夏季は三か月前に余命宣告され、昨日がその最後の日だった。二月の寒い日で、僕の受験が終わって二日後だった。

　ちっぽけな僕は受験が終わってもなかなか足が進まず、ようやく病室の前に着いたのは今日の午後に差し掛かる頃だった。

　すでに病室の中は空っぽで、ドアの横にあった相田夏季と書かれたプレートも外されていた。僕はその場でしばらく立ち尽くした。

　夏希の全てがこの部屋から無くなってしまった。

　何も外さなくてもいいのに。しかし、いなくなったとあれば、次の患者を迎い入れる準備をせねばならない。ただ、僕がさっさと来ないのが悪かったのだ。

　勇気の出なかった自分に絶望した。情けない。
　ここにいるのが場違いな気がして、僕は速足で病院を後にした。

　どこに行けばいいのか分からなくてがむしゃらに走っていたら、いつの間にか山の中にいた。

　山と言っても、町の中にある小さな山で、近所の住民が散歩がてら来るくらいのところだ。

　頂上に着き、少しだけ近くなった空を見上げたら、急に涙が込み上げてきた。

　何故、あと少し早く行かなかったのだろう。僕は大馬鹿者だ。

　家族でない僕を病室に入れてはくれなかったかもしれないけれども、最期の時を壁越しにでも見守るべきだった。

　きっと夏希はがっかりしただろう。

「ごめん」

　届かない謝罪が風に乗って飛んでいく。ふと、後ろから声がした。

「何が？」

　声に誘われて振り向く。

　会いたくて堪らなかった夏希が笑顔で立っていた。
　ここ最近では見られなかった元気な姿で。

「夏希……！？」

　夢かと思った。
　だって、彼女は昨日いなくなったのだ。

　神様はいじわるだ。幸せな夢は覚めた時が地獄なのに。

　それなのに、僕の足が彼女へ駆け出していた。

「夏希！」
「類君」

　夏希を抱きしめる。体はすり抜けることなく、僕の腕の中にすっぽり収まった。背中に腕が回される。途端恥ずかしくなって、僕は一歩後ろに下がって距離を取った。

「どうして？　だって夏希は」

　その後が紡げないでいたら、夏希が薄く笑って続けてくれた。

「うん。死んだよ」

　言葉がずっしりと重くのしかかる。しかも、本人の声で。

「じゃあ、今の夏希は幽霊？」
「そうかも」

　触れるのに。もう死んでいるなんて。

　一方で嬉しいと思う自分もいる。僕は我儘だ。

「僕以外は視えないのかな」
「試してみないと分からないや」
「一番に会いに来てくれたんだ。嬉しい」

　嬉しい。死んでからも僕のことを考えてくれて。

「ごめんね、昨日間に合わなくて」
「いいよ。私もがりがりの顔見られるの恥ずかしいから」
「今までも恥ずかしかった？」
「ちょっとだけ。でも、類君に会えるのは楽しかったよ」

　僕はどんな夏希も好きだ。でも、恥ずかしいという気持ちを分かっていなかった。もっと人に寄り添える人間になりたい。