何が悲しくて、数か月後に婚約破棄される相手の王冠につける宝石を選ばなくてはいけないのかという、くさくさした気持ちがないわけではなかった。しかし、心底困っている様子のパーシヴァルの背後に、彼以上に困り切っているクリストフェルの顔がちらついたのだ。
仕方がないわねとため息交じりにひとまず言ってから、シャルロッテは気が進まないと言いたげな表情を浮かべたまま頷いた。内心は表情ほど憂鬱ではなかったのだが、ここで妥協を見せてしまうと今後に影響があるかもしれない。クリストフェルとパーシヴァルの手に負えない案件があった際に、こうやっていちいち助力を請われてはたまったものではない。
城内に通され、恭しく王の間への扉を開かれた後も、シャルロッテは険しい顔を崩さなかった。大きなアンティーク調の机の奥で何やら資料を読んでいたクリストフェルが立ち上がり、山と積まれた書類を倒して床にぶちまけてもなお、眉一つ動かさなかった。
「お久しぶりです。相変わらずお忙しそうですね」
「……あぁ、うん。忙しいは忙しいんだけど、ちょっと今は別の忙しさで困っていると言うか、何と言うか……」
床にはいつくばって書類をかき集めようとしているクリストフェルを壁際に控えていた王国騎士団員が止め、代わりに丁寧に拾い上げていく。
王国騎士の柔らかそうな赤茶色の髪がふわふわと揺れ、灰色の瞳が困ったような照れたような不思議な色でシャルロッテを見上げた。見たことのある顔だと思ったが、すぐには思い出せなかった。
思案するシャルロッテの前で、その人物はへにゃりと弱弱しく微笑んだ。その笑顔は何度も見たことのあるもので、シャルロッテはすぐに彼が誰なのかわかると険しい表情から一変、深く刻んでいた眉間のシワを消すと頬を緩めた。
「アーチボルトさん!」
「久しぶりだね、シャルロッテちゃん。あ、シャルロッテ様のほうが良いかな?」
「畏まらないでください。アーチボルトさんにシャルロッテ様なんて呼ばれたら、ハイデマリーがなんて言うか……」
二人で顔を見合わせ、ハイデマリーが言いそうなことを想像する。
「絶対嫌味を言われますし、次の日から彼女にまで“シャルロッテ様”って呼ばれますよ」
「あはは、そんなわけないよ。大丈夫、マリーはきっと何も言わないよ」
兄を溺愛していながら表面上は素っ気なく振舞っているせいか、アーチボルトとシャルロッテではハイデマリーの解釈にだいぶ差があった。
書類を集め終わったアーチボルトが立ち上がる。もう拾うべきものはないかと念のため見回しているその顔は、ロックウェル子爵そっくりだった。目を伏せると特にそれは顕著だった。周囲を見下し、蔑むだけの灰色の瞳はそれがアーチボルトの物だと分かっていながら、思わず体に力が入ってしまうほどに似ていた。
「王様、多分これで全部だと思います」
「ありがとうアーチボルト。朝から何度もすまないね」
しかしそんな子爵譲りの灰色の瞳も、およそ子爵がしないであろう人の好い笑顔にかき消されてしまう。見ているこちらまで脱力してしまうような笑顔は、知らずに入っていた肩の力を抜いてくれた。
(それにしても、王都にいることが多いとは言えアーチボルトさんが王城の、それも王の間にいるのは珍しいわね)
何か理由があるのかと尋ねようとするが、クリストフェルの言った「朝から何度も」と言うセリフが気になった。
「もしかしてクリストフェル様、朝から何度もその書類を崩壊させているんですか?」
「あぁ……えっと……」
「さすがはロッティー、不用意な一言から王の失態を見抜くとは」
言い淀むクリストフェルの背後から、予想もしていなかった人物の声が聞こえてきた。
仕方がないわねとため息交じりにひとまず言ってから、シャルロッテは気が進まないと言いたげな表情を浮かべたまま頷いた。内心は表情ほど憂鬱ではなかったのだが、ここで妥協を見せてしまうと今後に影響があるかもしれない。クリストフェルとパーシヴァルの手に負えない案件があった際に、こうやっていちいち助力を請われてはたまったものではない。
城内に通され、恭しく王の間への扉を開かれた後も、シャルロッテは険しい顔を崩さなかった。大きなアンティーク調の机の奥で何やら資料を読んでいたクリストフェルが立ち上がり、山と積まれた書類を倒して床にぶちまけてもなお、眉一つ動かさなかった。
「お久しぶりです。相変わらずお忙しそうですね」
「……あぁ、うん。忙しいは忙しいんだけど、ちょっと今は別の忙しさで困っていると言うか、何と言うか……」
床にはいつくばって書類をかき集めようとしているクリストフェルを壁際に控えていた王国騎士団員が止め、代わりに丁寧に拾い上げていく。
王国騎士の柔らかそうな赤茶色の髪がふわふわと揺れ、灰色の瞳が困ったような照れたような不思議な色でシャルロッテを見上げた。見たことのある顔だと思ったが、すぐには思い出せなかった。
思案するシャルロッテの前で、その人物はへにゃりと弱弱しく微笑んだ。その笑顔は何度も見たことのあるもので、シャルロッテはすぐに彼が誰なのかわかると険しい表情から一変、深く刻んでいた眉間のシワを消すと頬を緩めた。
「アーチボルトさん!」
「久しぶりだね、シャルロッテちゃん。あ、シャルロッテ様のほうが良いかな?」
「畏まらないでください。アーチボルトさんにシャルロッテ様なんて呼ばれたら、ハイデマリーがなんて言うか……」
二人で顔を見合わせ、ハイデマリーが言いそうなことを想像する。
「絶対嫌味を言われますし、次の日から彼女にまで“シャルロッテ様”って呼ばれますよ」
「あはは、そんなわけないよ。大丈夫、マリーはきっと何も言わないよ」
兄を溺愛していながら表面上は素っ気なく振舞っているせいか、アーチボルトとシャルロッテではハイデマリーの解釈にだいぶ差があった。
書類を集め終わったアーチボルトが立ち上がる。もう拾うべきものはないかと念のため見回しているその顔は、ロックウェル子爵そっくりだった。目を伏せると特にそれは顕著だった。周囲を見下し、蔑むだけの灰色の瞳はそれがアーチボルトの物だと分かっていながら、思わず体に力が入ってしまうほどに似ていた。
「王様、多分これで全部だと思います」
「ありがとうアーチボルト。朝から何度もすまないね」
しかしそんな子爵譲りの灰色の瞳も、およそ子爵がしないであろう人の好い笑顔にかき消されてしまう。見ているこちらまで脱力してしまうような笑顔は、知らずに入っていた肩の力を抜いてくれた。
(それにしても、王都にいることが多いとは言えアーチボルトさんが王城の、それも王の間にいるのは珍しいわね)
何か理由があるのかと尋ねようとするが、クリストフェルの言った「朝から何度も」と言うセリフが気になった。
「もしかしてクリストフェル様、朝から何度もその書類を崩壊させているんですか?」
「あぁ……えっと……」
「さすがはロッティー、不用意な一言から王の失態を見抜くとは」
言い淀むクリストフェルの背後から、予想もしていなかった人物の声が聞こえてきた。