「そ、そう言えばブリュンヒルデ様はお元気ですか?」

 まだ頬を赤らめながら、ダリミルがなんとか話をそらそうとする。結局両者共通の話題と言えば、ブリュンヒルデのことだった。

「えぇ、元気ですよ。最近はよくお菓子を作って持ってきてくれます」
「あぁ……あの不思議なお菓子ですね。私も何度かいただきました。なんて言いましたっけ、あの……甘くて辛いと言うかしょっぱいと言うか、密度の高い丸い……」
「ミタラシダンゴですね」
「あぁ、そうです! ミタラシダンゴ。確か、オウカのほうのお菓子でしたよね」
「オウカの王都からかなり離れたところにある島国でかつて食べられていたものだと聞いています。スズラン姫様のお母様のご出身地だとか」
「かつてということは、今はもう?」
「だいぶ昔に作り方が途絶えて、古文書に残っているだけだったようですね」
「そんなお菓子を、なぜブリュンヒルデ様が?」
「以前どこかで作り方が書かれた本を読んだと聞いていますが、肝心の本自体は見つかっていないそうなんです。エドゥアルドがかなり必死に探していたようなんですが……」

 エドゥアルドの家系は代々国中の書物を管理しており、リーデルシュタイン王国で発行された本はもとより、個人が書いた日記に至るまで保管していると聞く。対象はリーデルシュタイン語で書かれた全ての書物で、王家が持つ機密事項の書かれた書類ですら例外ではないと噂されている。

「エドゥアルドの知らない本だなんて、なかなかに魅力的な話ですね」

 クルハーネク家の血が騒ぐのか、眼鏡の奥でダリミルの目が光る。

「それにしても、ブリュンヒルデ様が読んだとなるとリーデルシュタイン語で書かれた本なのは間違いないとして、元々オウカ語で書かれていたものを翻訳したのでしょうか? だとすると、原本が昔に失われてなお、誰かが大切に持っていたということなのでしょうが、その場合はかなり古典的なリーデルシュタイン語になります。ブリュンヒルデ様はとても記憶力の良い方ですので、いつ読んだのか忘れてしまっているということは、まだ幼いときに読んで内容を記憶していたということですよね。そんな幼いときに、古典的なリーデルシュタイン語を解読できたのでしょうか。……いえ、ブリュンヒルデ様なら不可能ではないと思うのですが……」

 ダリミルが眼鏡のブリッジに人差し指を押し当てながら考え込む。
 シャルロッテも以前同じ疑問を抱き考えたことがあるのだが、答えは出なかった。正確には、荒唐無稽な仮説なら成り立ったのだが、およそ非現実的な妄想過ぎて口に出すことは憚られた。

「……まあ、ブリュンヒルデ様は不思議な方ですから、幼いころから古典が読めた可能性はあります……よね」

 かなりの長考の末に、ダリミルがポツリとつぶやく。おそらく彼も、シャルロッテと同じ結論に至り、そんなことが起きるわけがないと自身でその考えを否定したのだろう。

(例えば、ヒルデちゃんは前世の記憶を持っていて、その時に見聞きした事柄の中にオウカのお菓子の作り方があった。いえ、もっと素直に考えて前世がオウカの人なのかもしれない)

 しかし、ブリュンヒルデに前世の記憶があると仮定した場合、彼女がそれを隠す理由が分からないのだ。
 ごくまれにだが、前世の記憶を保持している人間もいると聞いたことがある。その人たちは、一度も行ったことがないはずの異国の町の地図を正確に描いたり、かつてそこに存在していた人々のことを言い当てたと記録に残っている。
 好奇の目にはさらされるだろうが、苦しい嘘をついてまで隠し通すようなことではないはずだ。

(でももしもヒルデちゃんが“転生者”だったとしたら?)

 ゾクリと背筋が震える。
 他の世界からこの世界に来たとされる“転生者”。かつてたった一人だけいたとされるその人は、“始まりの魔女”と呼ばれ、今でも恐怖の象徴として言い伝えられていた。