目の前に置かれた書類をどうするべきか考えていると、軽いノックの音が聞こえてきた。こちらが返事をするよりも早く扉が開き、外から若いメイドが笑顔で入って来る。

「お待たせしました! ベルタさんがお忙しそうなので、代わりにお持ちし……はうっ!!」

 陽気な口調が妙な叫び声に変わり、メイドが硬直する。視線は、デカデカと書かれた機密書類の文字に釘付けになっていた。
 帰ったほうが良いのか、それともお茶を運んだほうが良いのか。メイドがオロオロと視線をさまよわせ、意を決したように強く目をつぶった。

「な、なにも見てないです! リリィは機密書類の中身は見てないです! えっと、ベルタさんがお忙しいので、代わりにお茶をお持ちしました! 今、お届けしますね!」

 ソロリとすり足で歩もうとするが、その足元は心もとない。
 手には熱々の紅茶が入ったポットと、来客用のカップが二組乗ったトレー。それを支える細い腕は、小刻みに震えている。

「待ってリリィ、大丈夫だから目を開けて」
「目をつぶったままでは危ないですよ!」

 シャルロッテとパーシヴァルがそう声をかけるが、先月入ったばかりの新人メイドの耳には届いていない。足元に全神経を集中させ、毛足の長いカーペットの上をつま先で探りながらにじり寄ってきている。

「これは国家機密ではないので、大丈夫ですよ」

 リリィが転んで大惨事になる前にパーシヴァルがトレーを取り上げると、安堵交じりにそう告げた。しかし、生真面目なリリィは空になった両手で自身の両目を塞ぐと、何も見ていませんアピールを続けていた。

「で、ですが……機密事項って書いてあるじゃないですか」
「機密事項は機密事項なのですが、リリィさんが見ても特に問題は起きないですよ。これは、シャルロッテ様の伴侶候補のリストですから」
「お嬢様の、伴侶候補……」

 どうやら興味があるらしく、指の間に薄く隙間を作ると、そこから書類をジっと見つめている。黒色の瞳が、書類とパーシヴァル、そしてシャルロッテの上を行ったり来たりしていた。

「すごい……分厚さ、ですね……」
「国内外を問わず、シャルロッテ様のお相手になりそうな方を網羅していますので」

 自慢げに胸を張ったパーシヴァルが、書類をリリィに手渡す。開くか否かを迷っていたリリィだったが、好奇心には抗えなかった。もちろん、主人が苦笑しながら見ても良いと頷いたのを確認してからだが。
 まだシャルロッテも中身は確認していないのだが、知る由もないリリィはパラパラとページをめくるたびに「はわっ!」や「ほほう」など、独特な声を発していた。その表情も面白いくらいにクルクルと変わっており、見ていて飽きない。
 半分を超えたころだろうか、リリィは小さく「あっ」と声を上げるとページをめくる手を止めた。隣で笑いをこらえながら彼女の百面相を見ていたパーシヴァルが、開いたページをのぞき込む。

「クルハーネク子爵のダリミル様ですか? 彼が何か?」
「あたしがお勤め先を探していたとき、若いころにヘレニウス公爵様のところで働いていたおばあさんが、色々と教えてくれたんです。お給料ももちろん大事だけれども、優しい方がいらっしゃる場所が一番良いって。何人かお名前を挙げてくれたんですけど、その中にダリミル様もいらっしゃったなと」

 ヘレニウス公爵家で働いていたくらいのメイドなら、引退後も噂話は届いているのだろう。新しい雇用先を探しているメイドにとっては、重要な情報源だ。
 ちなみに、おばあさんの一押しはコルネリウス伯爵家だったと付け加える。

「お嬢様は、ダリミル様とお会いしたことはありますか?」
「えぇ、もちろんあるけれど……」

 シャルロッテは目を伏せると、ダリミルの姿を思い描いた。