一つ息を吸い込んだきり、身動きせずに固まるメイを視界の端に留め、シャルロッテは俯いていた。下手に動けば感情が溢れてしまいそうで、シミ一つないシーツの縫い目を見続けていた。
 どれくらい時間が経ったのだろうか。規則正しく進む時計の針の音が耳障りに感じ始めたとき、ポタリと何かがシーツの上に落ちた。ジワリと滲んだ液体に、反射的に顔を上げる。
 メイの目から、透明な涙が零れ落ちていた。
 潤んだ藍色の瞳が、涙に色移りしていないのが不思議なほど薄い色に見えた。

「どうしてメイが泣くの……?」

 その問いかけに、メイがエプロンのポケットから数枚のカードを取り出し、ベッドの上に広げた。
 可愛らしいキャラクターが様々な表情を浮かべているそれは、感情を言葉にできないメイのためにクラリッサが作ってくれたものだった。
 魔女は魔法陣を描くから絵が得意なのだと、嘘なのか本当なのか分からないことを言っていたことを思い出す。少なくともシャルロッテは、魔法陣を描く魔女を見たことがなかった。
 メイの細い指が、一枚のカードを指し示す。簡素な線で描かれたキャラクターが、ハンカチをかみしめて地団太を踏んでいる。
 そのカードが意味する感情は、悔しさだ。

「どうして?」

 再度の問いに、メイがシャルロッテを指さし、自身を指し、胸元でギュっと両手を合わせると蝶のようにパっと開いた。
 喋れず、文字を書くこともできないメイだったが、いくつかの簡単な単語は身振り手振りで伝えることができた。メイの言葉を読み解くことができるのは、コルネリウス家の人間だけだ。当然、シャルロッテには理解ができた。

『あなたは、私の、宝物、自慢』

 メイが再び先ほどのカードを指し示し、何度も指先で叩く。次第に力がこめられ、爪の先が赤く色づく。カードが音を立てて折れるころには、メイの指先からは血の気が失せていた。
 グシャリと潰されたカードを握りしめるメイの手は、震えていた。

 誰だって、自分の大切なものを粗末に扱われては感情が高ぶるだろう。悲しみと怒りが合わさり、行き場のない悔しさとなって心を支配する。
 シャルロッテは、感情を爆発させるメイをぼんやりと見つめながら、今度クラリッサに会ったら新しいカードを作ってもらうように頼まなくてはと冷静に考えていた。
 クラリッサなら、何も聞かずにサラサラと描いてくれるだろう。以前、メイがお皿を洗っているときにカードを落としてダメにしてしまった際も、嫌な顔一つせずにすぐに描いてくれた。
 その前は、庭に迷い込んだ野良猫と追いかけっこをしているうちに失くしてしまったと聞いた。あの時逃げ回っていた子猫は最終的に捕まって、誰かが引き取ったと言っていた。

(誰だったかしら? ……あぁ、そう言えば、クラリッサとは今度お茶会で会うのよね。カードはその時にお願いしないと。この間見つけた茶葉が美味しかったからぜひ振舞いたいのだけれど、ヴァネッサさんとヒルデちゃんのところに半分あげたから、残りは……)

 現実逃避をするように、思考が明後日のほうへとそれていく。しかし、思い付きで繋いでいく考えは胡乱でまとまらない。次第に迷走し、霧散していき、何も考えることができなくなる。停止した思考は、感情を抑えることすら放棄した。

 シャルロッテの目から、涙が一粒零れ落ちた。