オウカの商人との会食から帰ってきた両親は、婚約破棄の話をどこかで小耳にはさんでいたらしく、シャルロッテが詳しく説明する必要はなかった。
 今後のことはシャルロッテの意思に任せると、父アルベルトは威厳のある表情を崩さないまま宣言し、母アンネリーも柔和な顔に悲しげな陰りを宿しながらも頷いた。
 両親の心遣いに感謝しながら、シャルロッテはそっと部屋を後にすると詰めていた息を吐いた。
 両親の部屋に入る前には夕焼けに染まっていた窓の外は、すでに暗くなっていた。遠くにポツポツと見えるあの明かりは、夜中までにぎわっている市場のものだろう。早朝は新鮮な野菜や魚が並ぶそこは、夜中になると酒場に変わる。一度馬車で近くを通りかかったことがあるが、とても活気があって楽しそうだった。

(あの時は確か、クリストフェル王も一緒だったのよね)

 まだ先王が健在で、クリストフェルが王子だったころの話だ。
 義務的なデートの最後に、何の気まぐれか王子は帰路を変更し、夜の熱気にわく市場の近くをあえて通らせた。
 城下には何度も足を運んだことのあるシャルロッテだったが、夜の町を見たのは初めてだった。いつもはシャルロッテを見ると畏まり、首を垂れる彼らが陽気に踊り、巨大なジョッキを掲げて歌っていた。
 自由で無邪気な王国民の姿に、シャルロッテは軽い衝撃を受けた。貴族の立場では見ることのできない本来の城下町の空気を目の当たりにして、目が離せなくなった。
 夢中で窓の外を見続けるシャルロッテに、クリストフェルが何かを言った記憶がある。

(なんて言っていたのかしら……?)

 音声だけが欠けた記憶を手繰り寄せようとしたとき、廊下の先から澄んだ鈴の音が響いてきた。一定のテンポを保って近付いてくる音の方へと目を向ければ、暗がりからメイド服を着た小柄な少女が一人、こちらへ歩いて来ていた。
 彼女が歩くたび、左手首についた鈴が軽やかな音をたてる。聞いているだけで心が洗われるような美しい音色をたてるそれは、オウカの王族が愛用している品だった。
 水龍鳴涙鈴。
 オウカの王族と一部のオウカ貴族しか持つことを許されていないそれを、シャルロッテはオウカ王に頼み込んで一つ譲ってもらったのだ。
 この鈴を彼女にあげるために、オウカとの条約を締結したと言っても過言ではない。それほどまで、シャルロッテにとって彼女メイは特別な存在だった。