そしてその日から、死んだ俺が送る、生者の世界での生活が始まった。
もちろん、物にも人にも触れられない。そして俺が移動できるのは、凛華の行く場所だけだった。家に帰ることも、会社へ行くことも自分の意思ではできなかった。凛華が自宅へ帰れば必然的に俺も凛華の部屋へ。出勤すれば俺も会社へ。
凛華は忌引きを使い葬儀に出席したものの、すぐに仕事へ復帰した。
「あれ?吉野さん、お昼は?」
お昼休憩にも関わらずデスクで、パックのオレンジジュース傍らに仕事をする凛華に声をかけたのは里中という男。凛華と同じ部署の先輩だ。
里中先輩は社内でもファンの多い、イケメン・エリート・高身長を兼ね備えた完璧な男。そして俺たちの5つ歳上。大人の色気も魅力の一つだった。
(本当に、ペチュニアみたいだな……)
俺は里中先輩を濃い紫色の花、ペチュニアのようだといつも思っていた。凛華が好きな花の1種だったその花は、アサガオのような形で豪華に咲き誇る姿が人々の目を惹く美しい花弁。まさに里中先輩のような花。
着飾っていなくとも洗練された彼の姿に惹きつけられた女性は多かった。しかし、噂によると、全員ことごとく振られているそうだ。女性の誘いを断り続ける色男。俺はその理由に心当たりがあった。
(里中先輩、きっと、いや確実に、ずっと前から凛華のこと狙ってるんだよな……)
俺と凛華が付き合っていたことはおそらく、耳に入っていただろう。それでも社内でトップレベルのモテ男が常日頃から凛華のそばにいることは、気が気じゃなかった。
(デスクも目の前だし?はぁ……俺、死んでも嫉妬するとか心狭すぎかよ!)
自分に苛立ちながらも凛華に視線を戻す。
凛華は椅子に座ったまま里中先輩の声に振り返った。180センチもある彼を座ったまま見上げるにはかなり首が痛くなりそうだ。
「そんなにお腹空いてなくて」
「そっか……じゃあこれ、あげる」
綺麗に染められ、整えられた髪がさらりと揺れ僅かに隠れる瞳に一層、色気が漂う。
「……?チョコですか?」
デスクに置かれたチョコを凛華が手に取ると里中先輩は片膝を床につけ、視線を合わせた。
「これくらいなら喉通らない?よかったら食べて」
(これがモテる男……凛華っ、気をつけろよ!)
少し僻みながらも凛華のそばを離れることができない俺の体は、ただその光景を見ることしかできなかった。
「ありがとうございます」
「あと……無理しちゃダメだよ」
里中先輩は少しだけ声を抑えてそう言った。
「え……」
「きっと吉野さんのことだから、忌引きがこれ以上使えないって理由だけで出社してるでしょ?たった2日で今まで通り仕事なんて、しんどくないわけないよ」
たしかに正式な家族では無かった俺の死でもらえる忌引きは2日間だった。
「まぁ……」
「休んでも大丈夫だからね。仕事のことなら僕が何とかするよ」
里中先輩は凛華から目を逸らさず微笑んだ。
「ありがとうございます。……でも何かしていないと、怖くて」
一方、凛華はその熱視線から逃げるように目を逸らした。
「……そっか」
彼女が視線を逸らしたことに少し安堵した俺はふと
(……凛華が幸せになれる『最善の選択』)
虎部さんに命じられたことを思い出した。