葬儀が終わると俺の意識は急に途切れ、気がつくとフカフカの椅子に腰掛けていた。そこは一面真っ白な空間で、周りは壁ではなく霧のような不確かなもので覆われている雰囲気だった。
 
 そして目の前には大きな椅子に腰掛ける人物が一人。その人は目以外の顔、そして全身は黒い布で覆われていたが、声の低さ、ガタイの良さから男だと分かった。

戸間(とま)トキ。25歳か。変わった名前だな」
 男は一枚の紙切れと俺の顔を交互に見た。
「え、ああ、まあ。祖母の名前から取ったらしいです」
「ふーん、あっそ。早速、本題に入るぞ」
 俺の返事が気に入らなかったのか、それとも興味がないのか。男は自ら始めた会話を断ち切り、軽く椅子に座り直すと背筋を伸ばした。
「えっ、はい」
 つられるように俺の背筋も伸びる。

「俺はこの世界の案内人、虎部(とらべ)だ」
 まるで異世界のような空気を漂わせている男だったが『虎部』と言う名前から急に生々しさを感じる。
「虎部、さん。この世界は何なんですか?」
「簡単に言えば生者と死者の狭間だ。お前にはこれからとあることを命ずる」
 サクサクと話を進めようとする虎部さんの業務感に頭が追いつかない。
「は、はぁ……」
「お前は生者の世界で誰か、気持ちを置いてきた人がいるな?」
 思いがけない質問に止まりかけた思考を必死に再稼働させる。
「気持ちを置いてきた人……えっと…彼女のことですか?」
「知らん。だが、お前がそう思うならそうだろう。この狭間の世界へ送られる者は皆、生者の世界で誰か愛する人や気にかけている人がいる者だ。わかりやすく言えばお前は、成仏できてない故人だ」
「たしかにあの日は、彼女の家に行こうと……」
「お前に命ずるのは、その恋人が幸せになれる『最善の選択』をさせる。それだけだ」
「『最善の選択』……?じゃあ彼女と話せるんですか?」
「いや、お前の声は聞こえない。もちろん人や物にも触れられない」
 僅かな希望を一瞬でへし折られた。

「だったらどうやって……」
「その時が来れば分かる。必ず来る」
「……その時」
 虎部さんが何を言っているのか、いまだに全く理解できなかった。
(やっぱり夢か?これ)
「分かったらさっさと送るぞ」
「あっ、待って!あと一つ!」
 虎部さんが忙しなく俺を追い出そうとしている空気は痛いほど伝わってきたが、俺は無理矢理遮った。
「何だ、さっさとしろ」
「もし彼女に『最善の選択』をさせることができなかったら、どうなるんですか」
『させる』という表現が妙に引っかかった俺はその失敗後を知りたかった。
「……この世界に彷徨い続ける。この、生者と死者の狭間でな。ほら、行ってこい」
「えっ、ちょっ、わっ!」
 虎部さんに触れられたわけでもないのに、不思議な力によって背中を力強く押し飛ばされた。そして、宙を舞うような浮遊感を全身で感じながら真っ白な空間を猛スピードで移動した。

(彷徨い続ける……?)
 答えを聞いても、やっぱりわからなかった。
 
 
 そしてたどり着いたのは凛華の部屋だった。部屋を見渡すと、そこには俺たちの写真や記念日に贈ったプレゼント、手紙……たくさんの思い出が並んでいた。

 そして部屋にあるパソコンの表示を見て気がつく。
 1月23日
 俺が死んだ日からすでに3日経っていた。不思議な感覚に襲われながらも、少しずつ死の世界を受け入れ始めている自分もいた。
(あの日、久々に来る予定だったんだよな……)
 彼女と俺は同い年で職場の同期だった。部署は違えど、多忙な時期は同じで……
 俺が事故に遭った日は2ヶ月ぶりに、二人でゆっくり過ごせる日、のはずだった。
(それなのに……俺は……)
 彼女のいない部屋で彼女の心中を想像し、気づいたら頬に冷たいものが流れていた。
(あ……幽霊でも涙って出るんだ)
 なんて、どうでもいい気づきに気を取られていると彼女が部屋へ入ってきた。
(やべっ)
 彼女にバレないように急いで濡れた頬を擦った。
(……バカか俺は)

 彼女に俺の姿は見えていない。そのはずなのに、彼女があまりにもうっとりした目つきで俺を……いいや、窓の外を見ているから、勘違いしそうになる。
(本当に見えてないんだよな)
 そう言葉にしても届くはずがない。明るさだけが取り柄だった俺が、今、彼女を笑顔にすることはできない。そればかりか、悲しませるだけだと、悟った。

 仕事熱心でストイックで、頑張りすぎるところもあるけれどまっすぐな彼女。でも俺の前じゃ、泣き虫だった彼女。
 泣き虫の彼女は、俺を想って泣いたのだろうか。