「ニコちゃん、やっぱり可愛いわね。こっちに連れて来れないの?」

 ベッドの上で上半身を起こした母親がタブレットを手にしながら言う。配信を観ているのだ。ニコの。

「本人の希望次第かな。あと、協力者がいれば連れて来れないことはない」

「なら、こっちに呼んじゃいなよ。死と隣り合わせの世界よりいいと思わない?」

 難しいことを言う。確かにあっちの未来は危険だ。しかし、暮らしている人が全員不幸かというと、一概にそうは言えない。辛い環境でも、生き生きと暮らしている人はいるのだ。

「手術が終わった途端に人の心配?」

 窓際に立つ姉が口を挟む。

 そう。母親は無事に手術を終えた。今後の経過次第だが、少しすれば退院出来ることになっている。

「だって会ってみたいじゃない。ひろしの未来のお嫁さんに」

「なっ! 勝手なことを言わないでよ」

「ニコちゃんは本気だと思うわよ? それにあんただって満更ではないでしょ?」

「……しかし法律の問題もある。未来から来たオーガと人間のハーフだよ?」

「そんなもの、何とでもなる。あんた、腐るほどお金持ってるでしょ? 男なら金で法律を捻じ曲げなさい」

 無茶苦茶言う母親である。

「何にせよ、本人に聞いてみないとね。じゃ、母さん。一度、未来に行ってくるよ」

「はいはい。気を付けてね」

 配信が面白いのか。母親はチラリとこちらを見て直ぐに画面に視線を落とした。

 俺は母親のことを姉に任せて、気兼ねなく病室を後にした。


#


「ルーメンさん! そっちに行きましたよ!」

「任せろ!!」

 岩場から投網を投げると、それは黒い影に向かって円を描くように広がり、海中へと沈んでいった。

「どうですか?」

「大丈夫。網にはかかっている」

 俺達が何をしているかというと、海亀の捕獲だ。

 異世界に帰ることを決心した手品師アダチと俺は東京湾に浮かぶ無人島へと来ていた。そしてこの島の周囲を回遊している例の海亀を捕まえていたのだ。

 現代と未来を繋ぐキーとなっているのは俺のスマホと、この海亀だ。

 投網を引き上げる腕に力が篭る。

 この無人島に来てから三日目にしてやっと掴んだチャンス。逃すことは出来ない。

「くそっ! 重い! アダチ、手伝ってくれ」

「直ぐに行きます!」

 二人で協力して海亀を岩場に引き上げる。普通の投網ならとっくに糸を引きちぎられていただろう。特注で作ってもらった甲斐があった。

「よし! 確保だ!」

 海亀を網から外し、アダチと協力して砂浜へと運ぶ。

「逃げないように見張っていてくれ。俺は書き込みをする」

 ニコはほぼ毎日、俺のスマホとアクションカメラを使ってルーメンチャンネルの配信を行っている。そこに書き込みをする事で、こちらから未来へ戻るタイミングを知らせることになっているのだ。

 その合図となる言葉は「ひろしです。任務完了しました」。

 その書き込みを見た途端、ニコはぴょんぴょんと跳ね上がり、そして配信は終了された。現代と未来を繋ぐ管を開く作業に移るのだろう。

「アダチ。もう間も無く、未来に行くことになる」

「……はい。大丈夫です。準備は出来ています」

「ファンに別れは告げたのか?」

「配信者を引退して、故郷に帰ると伝えました」

 ふむ。嘘は言っていないな。配信者なんて雨後の筍だ。次から次へと新しい奴が現れる。アダチがいなくなっても、別の配信者がその枠に収まるだけだ。


 少しすると、海亀の上の空間に歪みが生じ始めた。

「間も無くだ。開いたら躊躇なく飛び込め」

「はい!」

 小さかった中空の黒い渦が、一気に広がった。アダチは勢いよく頭から飛び込む。そして俺も。

 全ては収束へと向かい始めた。


#


「ニコ、起きろ」

 いつの間にか俺のベッドに入ってきていたニコは俺の脇にすっぽりと嵌っている。

「いいのか? 置いて行くぞ?」

 ぴくりと反応し、俺の胸におでこを擦りつけている。角が当たってちょっと痛い。これは俺の言葉に対するニコの抗議なのだ。「置いていくな」という。

 今日は多摩川で獲れた外来種を鍋にして振る舞うイベント、「タマゾン川闇鍋会」の日だ。グッピー、ピラニア、アリゲーターガー等の外来種を釣り上げてその場でしめて鍋にし、視聴者に振る舞う、心温まる触れ合いの時間。

「……眠い。このまま連れていって」

 先に起きて着替えていると、ようやく瞼を開けたニコがポツリと言う。

 仕方がない。パジャマのままのニコを抱き上げ、実家の一階に降りる。

 ダイニングではもうすっかり元気になった母親がコーヒーを飲んでいた。

「おでかけ?」

「ちょっと多摩川まで。車、借りるから」

「どうぞー」と母親は興味なさそうに言うが、間違いなく配信は見る筈だ。なんだかんだで、ルーメンチャンネルのヘビーな視聴者なのだ。母親は。

 ボロボロの軽自動車はバッテリーを替えてからは調子がいい。直ぐにエンジンがかかり、軽快に回る。

 実家から多摩川河川敷まで約三十分のドライブだ。

 助手席に座るニコは涎を垂らして寝ている。本当に朝が弱い。


 未来に戻ったあの日。

 俺はニコに選択肢を提示した。「この時代に残るか、俺の生きていた時代に来るか」と。

 ニコの判断は「ルーメンの生きていた時代に行く」というものだった。全く悩むことなく、即決だった。理由を尋ねたら「面白そうだから」とだけ返ってきた。ニコらしい。

 この時代と未来を繋ぐのには、アンスラとアダチが協力してくれた。アダチはもう異世界に帰ったかもしれないが、スマホとアクションカメラはまだアンスラの元にある。今やアンスラもルーメンチャンネルのサブレギュラーだ。

「ニコ、着いたぞ。今度こそ起きろ」

 河川敷に車を停めると、すでにイベントスタッフ達が準備をしていた。気の早い視聴者も来ている。

「……よーし! 目が覚めた!」

 急に元気になったニコがパジャマ姿のまま、多摩川河川敷に立つ。靴もはいていないけれど、お構いなしだ。

「ルーメン!! 竿を出して!! わぁはアリゲーターガーを釣るから!! 外来種、許すまじ!!」

 自分は異世界の血が混ざっている癖に、外来種には厳しい。この前は「日本の生態系はわぁが守る!」と拳を握っていた。

 ニコはさっそくルアーを投げてワイワイ言いながら釣りを始めた。視聴者達もニコにならってルアーを投げ始める。

 なんとも平和な光景。

 未来に飛ばされた時、俺は現代に戻ってこれるとは考えていなかった。別に諦めていたわけではないが、なんとなく、モンスターに塗れた世界で生きて行くことになるだろうと、達観したのだ。

 もう数年したら、富士山は噴火すると言われている。これは俺がもたらした情報を元に、国が真剣に調査した結果だ。

 きっと地球の内部にあった魔素もばら撒かれることになるだろう。しかし、異世界との融合は起きない筈だ。アダチはもういない。

 世界は枝分かれしたのだ。ニコ達のいた地球はもう、別物だ。

 じゃあ、この世界が何処に向かっていくのか?

 それは俺にも分からない。しかし、一つだけ言えることがある。

「よーし! お前達! 今日は外来種を釣りまくって食いまくるぞ!! どんな世の中になっても、ゲテモノ食べて生き抜くんだ!!!!」

 多摩川河川敷に歓声が響く。

 この視聴者達がいる限り、俺は馬鹿をやり続けるだろう。ニコと一緒に。