実家に戻ると、普段は別のマンションに暮らしている姉がいた。入院中の母親の衣類を取りに来ていたようだ。「ひろし、本当に帰ってきた」とあっけらかんと言い、それ以上は追求してこない。忙しいのだ。
姉の話によると、母親は外出中に急に具合が悪くなり、そのまま病院に運ばれたらしい。
父親が亡くなって以降、ずっと一人で暮らしていた母親。破天荒な性格で、酒もタバコもギャンブルもがっつりやる。勿論、病院嫌い。
こんな母親だから、俺も気兼ねなく配信者なんてヤクザな職業をやっていたという一面もある。やればなんとかなる精神は間違いなく母親から引き継いだものだ。
「ほれ。ひろし。行くよ」
支度を終えた姉が感傷的になっていた俺に声を掛ける。
「わかった」
姉は駐車場のボロボロの軽自動車を俺に勧める。父親が生きていたころからあるものだ。バッテリーが弱っているのか、なかなかエンジンが掛からない。
「ちっ。こっちにもガタがきてやがる」
口の悪い姉は、母親と軽自動車をまとめて「ガタがきた」と表現したようだ。
「母さん、悪いの?」
「悪いね。倒れたのは肝臓が原因。で、検査するとそれとは別に胃に腫瘍が見つかった。もうすぐ手術だよ」
やっと動き出した軽自動車は法定速度をギリギリ守りながら、病院へと急ぐ。
「で、ひろしは何処へ行ってたんだ?」
「未来」
「たまに配信見てたけど、あれは現実なの?」
「現実だよ」
「あんな世界になるぐらいなら、今死んじゃった方が幸せかもね」
「まさか。母さんなら嬉々として受け入れるだろ。めちゃくちゃな世界を」
姉は黙り込んで、運転を続ける。
そして三十分程で病院についた。
#
「ひろし、おかえり。立ってないで、座ったら」
力のない無理矢理作った笑顔で母親は俺をむかえた。
なるほど。病人だ。
小ざっぱりとした個室のベッドにいる母親の姿は頼りない。記憶の中にある勝気な母親とは随分と違う。あまりのギャップに胸が苦しくなる。
「母さん。心配かけてごめん。なんとか帰ってこれたよ」
軽く頷くと、ふっと力が抜けたように母親は真顔になった。
「手術、するんだって?」
「そうなの。人生で初めての手術よ」
好き勝手生きていた割に、母親は健康だった。入院したって話すら聞いたことがない。
「ひろし。未来の話をしておくれ」
「いいよ。配信は観ていた?」
「見てた見てた。ニコちゃん、可愛いね。あの子幾つだい?」
少し、イタズラっぽい顔になる。
「十四か五ぐらいかな」
「まだちょっと結婚は出来ないね。その年齢だと」
何を言ってんだか。この病人は。
「ひろしはあんなゲテモノばっかり食べて、身体はおかしくなってないの?」
「全然大丈夫だよ。ちゃんと火を通してるから寄生虫とかの心配もないし」
「あんた、フナムシを生で食べてタイムスリップしたんじゃないの?」
「……そうだった」
「未来には戻れるの? ニコちゃんは置いてきたんだろ?」
「戻れる……よ。きっと」
母親と目が合う。
「……そう。なら良かった」
「いつまでこっちにいるの?」
「しばらくいるよ。やることあるし」
「なら、家のことお願いね。庭の鉢の水やりとか。お姉ちゃんはあんまりそーいうのやらないから」
窓際に立ってずっと外を見ていた姉が、面倒くさそうな顔をした。
「わかった。任せて。母さんは何も気にしなくていいから」
「ありがとう」
そう言って母親は目を瞑った。疲れたのかもしれない。
姉が自分の家に帰ると言い出したのを機に、俺も個室から出た。
「びっくりしたでしょ?」
「うん。痩せたね」
「私は仕事があるから毎日は無理だけど、ひろしは来れるでしょ? お願いね」
「わかった」
病棟のリノリウムの床に足音が響く。
それから二人、無言で病院を後にした。
姉の話によると、母親は外出中に急に具合が悪くなり、そのまま病院に運ばれたらしい。
父親が亡くなって以降、ずっと一人で暮らしていた母親。破天荒な性格で、酒もタバコもギャンブルもがっつりやる。勿論、病院嫌い。
こんな母親だから、俺も気兼ねなく配信者なんてヤクザな職業をやっていたという一面もある。やればなんとかなる精神は間違いなく母親から引き継いだものだ。
「ほれ。ひろし。行くよ」
支度を終えた姉が感傷的になっていた俺に声を掛ける。
「わかった」
姉は駐車場のボロボロの軽自動車を俺に勧める。父親が生きていたころからあるものだ。バッテリーが弱っているのか、なかなかエンジンが掛からない。
「ちっ。こっちにもガタがきてやがる」
口の悪い姉は、母親と軽自動車をまとめて「ガタがきた」と表現したようだ。
「母さん、悪いの?」
「悪いね。倒れたのは肝臓が原因。で、検査するとそれとは別に胃に腫瘍が見つかった。もうすぐ手術だよ」
やっと動き出した軽自動車は法定速度をギリギリ守りながら、病院へと急ぐ。
「で、ひろしは何処へ行ってたんだ?」
「未来」
「たまに配信見てたけど、あれは現実なの?」
「現実だよ」
「あんな世界になるぐらいなら、今死んじゃった方が幸せかもね」
「まさか。母さんなら嬉々として受け入れるだろ。めちゃくちゃな世界を」
姉は黙り込んで、運転を続ける。
そして三十分程で病院についた。
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「ひろし、おかえり。立ってないで、座ったら」
力のない無理矢理作った笑顔で母親は俺をむかえた。
なるほど。病人だ。
小ざっぱりとした個室のベッドにいる母親の姿は頼りない。記憶の中にある勝気な母親とは随分と違う。あまりのギャップに胸が苦しくなる。
「母さん。心配かけてごめん。なんとか帰ってこれたよ」
軽く頷くと、ふっと力が抜けたように母親は真顔になった。
「手術、するんだって?」
「そうなの。人生で初めての手術よ」
好き勝手生きていた割に、母親は健康だった。入院したって話すら聞いたことがない。
「ひろし。未来の話をしておくれ」
「いいよ。配信は観ていた?」
「見てた見てた。ニコちゃん、可愛いね。あの子幾つだい?」
少し、イタズラっぽい顔になる。
「十四か五ぐらいかな」
「まだちょっと結婚は出来ないね。その年齢だと」
何を言ってんだか。この病人は。
「ひろしはあんなゲテモノばっかり食べて、身体はおかしくなってないの?」
「全然大丈夫だよ。ちゃんと火を通してるから寄生虫とかの心配もないし」
「あんた、フナムシを生で食べてタイムスリップしたんじゃないの?」
「……そうだった」
「未来には戻れるの? ニコちゃんは置いてきたんだろ?」
「戻れる……よ。きっと」
母親と目が合う。
「……そう。なら良かった」
「いつまでこっちにいるの?」
「しばらくいるよ。やることあるし」
「なら、家のことお願いね。庭の鉢の水やりとか。お姉ちゃんはあんまりそーいうのやらないから」
窓際に立ってずっと外を見ていた姉が、面倒くさそうな顔をした。
「わかった。任せて。母さんは何も気にしなくていいから」
「ありがとう」
そう言って母親は目を瞑った。疲れたのかもしれない。
姉が自分の家に帰ると言い出したのを機に、俺も個室から出た。
「びっくりしたでしょ?」
「うん。痩せたね」
「私は仕事があるから毎日は無理だけど、ひろしは来れるでしょ? お願いね」
「わかった」
病棟のリノリウムの床に足音が響く。
それから二人、無言で病院を後にした。