中野駅の駅ビル跡にある中野集落は度重なるモンスターの襲撃にさらされ、陥落の危機に瀕していた。

 集落の長、袴田の身体は日々の戦いの中でとうに限界を超えていた。しかし、袴田は集落で唯一の能力者。彼が戦わなければ集落の被害は甚大なものになる。戦うしかない。

「袴田さんっ!!」

 もはやドアさえなくなった袴田の居室に男が飛び込んできた。袴田は堅いベッドの上でみじろぎもせず、目だけを開く。

「……どうした。今日は昼まで寝ていられると思っていたのだが」

「南ゲートの内側に穴を掘られました! バッタ野郎が次々に集落に侵入しています! 奴等また、子供を狙っています!!」

「なんだと!」

 袴田は跳ね起き、部屋の外に向かうとするが糸が切れたように膝が落ちる。

「袴田さん……?」

「大丈夫だ。急ごう」

 袴田と男はもう動かないエスカレーターを駆け降り、地上へと急ぐ。徐々に悲鳴と怒声が聞こえてきた。

 ──バリンッ!

 突然、かつての駅ビルの窓ガラスが弾けた。そして、人間の子供の体にトノサマバッタの頭がついたモンスターが飛び込んでくる。

「なっ、飛翔可能な個体!」

 男が叫ぶ。

 キチキチと羽が擦り合わされる嫌な音が響いた。

「……死ね」

 袴田が呟くと、その右手から円錐状の氷の杭が猛烈な勢いで射出される。

 アイスバレット。

 氷を操る能力者、袴田のメインウェポンだ。鋭く回転しながらバッタのモンスターの額を穿つ。

 羽の音は止み、モンスターの体が床に落ちる。黒い血が広がった。二人はそれを忌々しく睨みつけた。

「急ぎましょう」

「……ああ」

 袴田は地上までのエスカレーターをやけに長く感じていた。脚が先程までより更に重い。能力を使ったせいだろう。この身体、いつまで持つのか。自分が倒れれば、この集落はどうなってしまうのか。新宿集落のようにバッタどもの手に落ちてしまうのでは? 嫌な考えが脳裏に浮かぶ。


「……酷い」

 やっと辿り着いた地上は地獄絵だった。

 防壁の内側にバッタのモンスターが百体以上、入り込んでいた。南ゲートのすぐ側にマンホールほどの穴が開き、次々とモンスターが這い出てくる。

「いやぁぁ」

 女の悲鳴。二、三歳の子供がモンスターに捕まり、連れて行かれようとしている。集落の男が槍で突こうとするが、背後から何体ものバッタに襲われる。

 また悲鳴。老婆が地面に倒れバッタに食い付かれている。

 悲鳴。悲鳴。悲鳴。

「……許さん」

 袴田の身体が蒼い光に覆われ、周囲に何十というアイスバレットが形成された。そして、放たれる──。

 子供を抱えていたバッタのモンスターは胸に風穴が開き、貫通したアイスバレットは別の個体の脳天を貫いた。一瞬で二十体以上が物言わぬ屍となる。

 ──鉄の臭いが漂った。

 モンスター達から警戒の声が上がる。アイツハ強イゾ。アイツヲヤッツケロ。皆デヤッツケロ。

 袴田に向けられた複眼は百を超えていた。紅く光り、人間に対する憎しみを感じる。そして……一斉に動き始めた。

「袴田さんっ!」

 圧倒的な物量が袴田に押し寄せる。集落の男達はその様子をただ見ているしかなかった。

 蒼い光が見える度にモンスターの死骸が積み重なっていく。しかし、まだまだ数は減らない。いつしか、集落を襲う全てのバッタのモンスターが袴田を取り囲んでいた。

「……はぁはぁ」

 袴田を覆う光は弱い。

 中空に形成されるアイスバレットは二つだけだ。敵に向かって放たれるも、勢いのないそれは躱され地面に落ちた。百の複眼が喜色に染まった。

 バッタのモンスターは袴田を囲む輪を縮める。飛翔可能な個体が宙を舞い始めた。

 キチキチキチと絶望の音が鳴り響く。

「……ここまでか。ならば少しでも道連れにしてやる。ォォォオオオオオオオー!!」

 俄に膨れ上がる蒼い光。命をくべて燃え上がる。

 モンスターの間に動揺が走った。そして──。

 ──ドガアアァァァン!!

 地面が捲れ上がった。集落全体が揺れる。

 人間もモンスターも何事かと動きを止めた……。

 袴田の視界には舞い上がる土砂とモンスターの姿がある。一体、何があった。まだ何もしていないぞ……。

 ボタボタと降ってくるのはバッタのモンスターの黒焦げた体だ。よくよく見ると地面に空いていた穴が広がっている。

 マンホール程だった穴は直径十メートルの大穴となり、バッタのモンスターを飲み込む。そして、その穴から何かがやってくる気配がある──。

「わぁはニコだ! 助けに来たぞ!!」

 穴から飛び出してきたのは男女二人組だった。長身の男に抱っこされた女の子が無邪気に手を振っている。

 袴田はパニックになっていた。自分の命を諦めた瞬間、訳の分からない状況に陥ったのだ。

 穴から出て来た男女をモンスターが取り囲んだ。

「……可哀想に」

 長身の男が呟く。

「……しかし、これ犠牲者を増やすわけにはいかない」

 シンとした空間に声が響いた。それを合図にモンスター達が一斉に男女に飛び掛かる。

 ──ブンッ! と風を切る音が響く。

 長身の男がハンマーを一振りすると何体ものモンスターが飛び散った。

 これは破壊の神だ。

 袴田は生まれて初めて神の存在を認めた。地下から現れた神が涙を流しながらモンスターを屠っている。何故泣いているのか?

 青白い光に包まれた破壊の神は、無言でハンマーを振るい続けた。その度にモンスターの体が飛び散った。

 ──ドシャッ!

 最後の一体が飛び散ると、破壊の神はハンマーを手放して地面に大の字になった。その隣に額に角を生やした女の子がちょこんと座る。

 女の子が涙を流す破壊の神の頭を撫でている。この子も神なのだろうか?

 ──静寂。

 集落の誰もが状況を飲み込めないまま時間が過ぎる。

「ありがとうございます!」

 誰かが声を上げた。

 それを聞いて袴田は気が付いた。この集落が救われたことを。

 袴田が男女に近寄る。

「貴方は一体……?」

 袴田の問いに男は答えない。それを見かねて女の子が口を開いた。

「こいつはルーメンだ! わぁの夫だ!!」

 地面に寝そべる男はいつまでも涙を流し続けていた。