──ジャリ。

 それは部屋の前に撒いておいた砂を踏む音だ。浅い眠りから覚醒し、少し迷った後に腰のサバイバルナイフではなく、長柄のハンマーを掴んだ。

 もし、襲われるとしたら相手は集団。リーチの短いサバイバルナイフは不利だ。少々重たくて取り回しは悪いが、コイツでやるしかない。

 足音が近づく。一つではない。複数だ。

 ベストの中から水分が抜けてカチカチに縮んだフナムシを取り出し、音もなく齧る。バフが効くまでまだ時間はある。しばらくは素面で戦うことになる……。

 ゆっくりと立ち上がり、リュックを背負ってから部屋の入り口の脇に立つ。心臓の拍動がやけにうるさく感じた。そして、来る──。

 暗闇の中、ドアのない入り口に赤い光が浮かんだ。やはりバッタ人間はモンスターだったか。凶暴な色を浮かべた複眼がその証拠だ。

 先頭のバッタ人間がベッドの方を見て首を捻った。気付かれたか。しかし──。

「オラッ!」

 ハンマーがバッタ人間の顎を打ち抜くと、面白いように後ろに倒れた。そして俄に騒がしくなる。俺は勢いに任せて部屋から飛び出した。

 通路の右側にずらりと並ぶ赤い複眼。十、二十、どんどん増えている。こちらを突破するのは無理だ。

 ノータイムで左を向いて走り出すと背後から怒声が響いた。

 追エ! 逃スナ! 捕マエロ!!

 奇妙に高い声と足音が廊下を震わせる。

 とにかく逃げろ!

 捕まればただでは済みそうにない。階段を見つけて飛び降りると、踊り場の先に赤い複眼がみえる。

 ──ブンッ! と自分の振るったハンマーの風切り音が響いた。そして飛び散るバッタ人間。ようやくバフが効いてきたようだ。

「ドッセイッ!!」

 ハンマーが軽い。フナムシの追いバフも効いてきた。目の前に立ちはだかるバッタ人間を次々と打ち払い、俺は前に進む。

 ギチギチギチギチィィ!!

 歯軋りのような不快な音が響いた。そして大きな影が廊下を塞ぐ。……バッタ人間の成虫だ。オーガのような肉体にバッタの頭がついている。

「悪ハ許サナイ」

「ふん。ヒーローを気取りやがって。死ねッ!」

 ガチンッ! と音が響いた。ハンマーのヘッドがクロスした腕で受け止められ──。

「フンッ!!」

 ──押し返されて身体が吹っ飛ぶ。

「カハッ」

 背中を壁に打ち付け、口から空気が漏れた。揺れる視界に複眼が迫る。

 ガッと肩を掴まれ、そのまま廊下に引き倒された。そして……何故か抱きしめられた。

「……えっ」

 顔を胸に擦り付けられ少々痛む。

「なっ、何をしている!」

 にゅっと顔が迫ってきて、複眼と目が合う。

「ルーメン」

 こいつ、俺の名前を知っているのか!?

「ルーメン! ルーメン! ルーメン!!」

 ……うん? 何か変だぞ。

 ゆっくりと目を開けると、ニコの顔がすぐそこにあった。俺の上に乗っかり、寝息を立てている。そしてブツブツと何かを言っている。どうやら俺を呼んでいるようだ。

「重い。邪魔だ」

 何を思ったか、余計に強く抱き締められた。そして部屋に浮かぶ幾つもの複眼。赤いわけではないが、ほんのり輝いている。

「人間、Hシテル!」

「なっ!」

 Hシテル! Hシテル! Hシテル!

 異口同音に囃し立てられる。

「してねえよ! お前ら、勝手に入ってくるんじゃねぇ!」

 怒ッター!! と言いながら幾つもの足音がバタバタと部屋から去っていった。

「……うん? ルーメンどうしたの?」

 やっと目を覚ましたニコが胸元に顔を埋めながら言った。

「バッタ人間が覗きに来てた」

「ふーん」

 興味なさそうにして、そのまま寝ようとする。

「重たい。どけ」

「嫌だ。わぁはここで寝る」

 がっしりくっついて離れないニコを諦め、ただベッドの上で時間を過ごす。

 都庁跡での二日目は寝不足で始まった。