「ダンナ、飯だ。食いな」

 ランプで照らされたかと思うと、鉄格子の隙間から木の器に入ったスープが差し出された。牢屋に入れられて三度目の食事だ。一日一食だとすると、今日で三日目か……。時間の感覚のない空間で、ぼんやりと考える。

 手錠のはまった手で食事をするのも慣れたものだ。木の器を両手で抱え、傾けると冷たくドロドロのスープが喉に流れ込んだ。不味い……。早く、虫を食いたい……。

「ダンナはタフだな。普通、こんな暗闇に閉じ込められていたらおかしくなるもんだが……」

 食事を差し入れた老人は心底感心したように言う。

「普段からメンタルを鍛えているからな。この程度、なんともない」

「そいつはすげぇ。カオル様が気に入るわけだ」

 目を丸くし、口元は笑っている。この老人、話好きか?

「ところで、この集落のボスはあのラバースーツの女なのか?」

 老人は周囲を窺い、声を潜める。

「……今はそうだ。カオル様がボスだ」

「ふん。一枚岩では無さそうだな」

「……カオル様は一年程前に流れ着いた能力者だ。それがいつの間にかここの支配者になっちまった」

「あの、炎の能力でか?」

「……そうだ。抵抗した奴等は全員、燃やされた。この集落の長も。そして長の息子は今やカオルにべったりだ」

「ラバースーツのマサオのことか?」

「……ああ。目の前で自分の父親を真っ黒な炭にされて、それで折れた。今は一番の腹心だ」

「あれが腹心か……」

「……ダンナ。マサオも能力者だ。見た目で判断しない方がいい」

「なるほど。他にも能力者はいるのか?」

「……いない。二人だけだ。そういえば、ダンナも能力者だったな」

 情報が漏れている……? どういうことだ?

「何故それを?」

「……カオル様は近隣の集落にスパイを放っているんだ。ダンナは自分の能力を隠していなかっただろ? 過去から来たってことも、全部筒抜け。馬鹿だなぁ。だから捕まったんだよ」

 この老人、よく喋る。

「そんなことまで俺に言って大丈夫なのか?」

「残念だが、あんたはカオル様に拷問されて死んでしまう運命だ。儂は死人に向かって独り言を言っているだけだ」

「その割には、カオルは来ないな」

「今はオーガ討伐の大詰めだからな。それが終われば嫌というほど遊んで貰えるよ。儂としては今のうちに舌を噛んで自死することを勧めるがね」

「ないな。俺はカメラの前で死ぬと決めている」

 カカカッ! と老人は笑う。

「大した男だ。……さて、もう食べ終えたかい? 食器を貰おうか」

 そう言って老人は木の器を受け取り、去って行った。


#


 ──ジリッ。

 天井からの水滴の音に混じって、砂を踏む音がした。まだ食事の時間ではない。

「……ルーメン?」

 暗闇の中から俺を呼ぶ声がする。若い女の声だ。

「ニコか?」

「……よかった。生きてた。いつまで経っても戻って来ないから凄く心配した。後で殴っていい?」

 流石に周囲を気にしてるのか、声を顰めている。

「いや、駄目だ。ってお前、暗闇でも目が見えるのか?」

「……うん」

「どうやってここへ入ってきた? 警備はどうした?」

「……男はみんな武器を持って出て行った。ルーメン、これ食べられる?」

 何かが鉄格子の間から差し出された。受け取ると、それがフナムシの乾物だと分かる。

「でかしたぞ。ニコ」

 久しぶりにかぶり付いたフナムシの乾物から旨味が口いっぱいに広がる。美味い。こんなにも美味かったのか。フナムシ……。

「他の虫も取ってきた。いっぱいある。だから、ちゃんと褒めて」

「ここから出たらな」


 三重でフナムシのバフが効いたところで手錠の鎖を握り、グッと力を入れる。あっけない程簡単に鎖はちぎれた。

「ニコ、牢屋から離れろ」

 大きく息を吸い込む。

 ──ドバンッ!

 鉄格子に向かって思いっきり前蹴りを放つと、床と天井のコンクリートが崩れた。鉄格子はゆっくりと倒れる。

 途端、ニコが飛び付いてきた。首にぶら下がり、俺の胸に顔を擦り付けている。

「……もう! また一人になったかと思った!」

「俺がいなくなるのは登録者がゼロになった時だけだ」

「意味わかんない!」

「ところでニコ、ここの集落の男達はどっちに向かったか分かるか?」

「渋谷駅跡の方」

 ……オーガのいるビルに向かったということか?

「ニコ、ちょっと用事がある。俺を渋谷駅跡まで連れて行ってくれ」

「わぁに任せて!」

 ニコは俺の手を取り、暗闇の中を走り始めた。