一度死んだ俺はもう一度世界を旅する

何度か見た景色だと思った。
目を瞑っているけれど、外は明るいことがわかる。オレンジ色だ。
きっと夕焼け色に空が染まっているのだとユウリは思った。

耳を澄ませると誰かが近くですすり泣く声が聞こえて、頭の周りは暖かいけれど、体はなんだかだるい。
なんでこんなに体が重いんだ、といつも通りの悪態を心の中でついて、眩しい夕焼け以上にその音が気になって重い瞼を開ける。

—————親友がいた。

いつもの一緒に悪だくみするときの意地の悪い顔とは違って、大泣きの顔が目の前にあった。俺は長い間一緒に過ごしてきたけれど、こんな顔は初めて見たものだったから、なんだか茶化したくなって周りを確認しようとした。

でもどういうわけか、相変わらず体は重いし、あいつは俺の頭を腕に抱えて涙を流しているようで、頭は固定されていた。

どうりで頭のあたりが温かいわけだ。普段はけんかっぱやくて、他人には猫かぶってすまし顔でいるくせにどうしてまたこんなにも公の場でぐしょぐしょに泣いているのか。重い瞼の隙間からその顔をジーっとみてると何かを話そうと口をそっと動かしたのが見えた。

「――――なんでまた……………。」

あいつは、シュウはそうつぶやくとますますユウリを強く抱きしめた。声が小さすぎてよく聞こえない。
「また」ってどういうことなのかを聞きたいけれどうまく体が動かせない。瞼が動くのだから口くらい動いてもいいものなのにと頭は冷静だった。

(俺は何しているんだろう?)

シュウは涙のせいか、それともほかに原因があるのか呼吸も荒くなってきていて、震える指先がユウリの頬をなでる。
「お願い、もう置いていくな。……一人はいやだ。なんで全部言う前にそうやって……。」

ああ。おいていかない。どうしてそんなことを言う?泣くなよ、
一人はさみしいって俺が一番知っている。

いつもそばで見守ってくれたのは、あいつだったしこの先ずっと一緒にいると思っていた。でもこの体が動かないから、

(あーあ、こんなタイミングであいつへ言いたいことを思いついてしまうなんて、なんてタイミングが悪いんだ)

もううまく頭が働かない。

体は一気に冷えていって、思うように動かない。ぽたぽたと落ちてくる涙をぬぐってあげたいのに、肝心の手を挙げることもままならない。

目の前が暗くなった。
いい風が吹いてきた。
花の香りを乗せたその風はユウリのそばを通り抜ける。
エイデンの花が、蕾の時の薄いピンクの色から深いブルーへと変化を遂げて、花を開花する時期だ。エイデンの人々が最も愛する花で、微かににおいを漂わせた。

エイデンはジョルベーナ大陸の西に位置する国の街の名だ。
ジョルベーナ大陸では十年前に戦争があったが、今は終戦を迎え人々の暮らしに平和が戻りつつある。
山々に囲まれ、麓に流れる小川は澄んでいるし、それは人々の生活の礎を築く。
花の咲く季節になれば、王都から帰ってくる商人たちがこの街によって王都での売れ残りを売りに来る。そんなおかげもあって街は人でにぎわっているし、戦争が最近まであったなんて初めて来る人は誰も知ることはない。

今もちょうどその季節の真っただ中だった。







少々、いやかなり困っていた。
気づいたら、足が痛かった。
先ほどまで夢を見ていたような気がする。だからボーとしていたのも少しはしょうがない。

ユウリは家の裏にある森に入ったものの、ぬかるみに足を取られてしまったようだった。
昨夜、強めに降っていた雨がいつもの道をぬかるみに変え、人をがけ下に誘っていたようだ。ぬかるみに悪態をつけばいいのか、それとも注意を怠った自分か、それとも原因はほかにあったのか。くじいた足を気遣うように少し飛び出した岩の上にゆっくりと座るもため息が止まらなかった。

(こんなところでゆっくり座っている場合じゃないんだけどな…。明日からしばらく遠出する予定だったのに。これじゃあ出かけることもままならないじゃねえか。)

愚痴を心の中にこぼす。

ここは見渡したところ、少し中に入ったところで気づく人は少ない。
そもそも、ユウリの近所の人たちはユウリがこんなにもピンチに陥っていることなんて知る由もないだろうし、所詮近所の人に過ぎないユウリをどれほど気にかけてくれるだろうか。


ユウリは自分の性格ゆえか、過去の出来事ゆえなのか、一人行動が非常に多い。
普段からそんなだから、年の割に少し大人びていると周りに評価されることが常だった。
つまりユウリを知る人は、「一人で行動してもきっと大丈夫だ」という共通認識になっているというわけで、さらに言うと家を多く空けているユウリがいなくてもおかしいだなんて誰も思いはしないのである。

確かにユウリは、同い年の子供たちと比べ達観しているところがあったが、実際は話すと口が悪いから黙っているだけだし、本当は誰よりも悪戯することは好きだし、他が勝手にそう思うだけで……本人は、自分は年相応のふるまいだと思っている。ただほかの人より独り立ちが早かっただけなのだ。

―――――こんなことになるなら普段から近所の人にもっと自分の居場所を主張しておけばよかった。

そう考えたところで、ここには一人しかいないし、このままでは埒が明かない。
このまま、一夜森の中で明かすことも悪くはないが、今はまだ昼であるし、なんせ獣も多い。できることなら、自力で夜になる前に人里まで下りるのが得策だろう。そう思ってあたりを見渡すと、こんな時に限って暗い雲が近づいてきているのがわかるし、はやく山を下らないと困ったことになる。

「あーほんと、なんでこんなことになったんだ?本当に一人行動は楽だが、こういうところが不便だな。」

痛めた足をさする。痛いのは我慢できないほどのことでもない。この程度泣き言をいう人のほうが少ないだろ。

「立つか…。」

足に力を籠めて立ち上がろうと踏ん張った。

「そんなところでどうしたんだ?」

誰もいないはずの森の中でユウリは男の声を聴いた。
やわらかいその声は少しぶっきらぼうだが、こちらを心配しているかのような声音だった。
その声は木の上から聞こえてくる。

「……だれだ?」

ただでさえ人里離れた森で、ギルドに所属している人以外入ってくるはずのない森で誰かは分からないその声が聞こえたことに安堵の息が漏れた。


きょろきょろとあたりを見渡すと見上げないと見えないほどの高さに人がいた。
いったいなんでそんな高さにいるのか。よほど上から物を眺めるのが好きなのか。その男は自分から声をかけたはずなのに目を見開いていて、なぜかとても驚いているように見えた。

「―――――お前…」

その男は、飛び降りるには少し勇気がいるその木から、身軽そうに飛び降りて、こちらへと近づいてきた。シュタッと飛び降りた様子は、ずいぶん前に読んだ本に出てくる異国の暗殺者の動きにそっくりだった。地面に降り立つと相手は確かめるかのように、腕をこちらに伸ばして、顔の近くまでやってきた。

「こんなところでお前こそ何している?」

とは言え、いきなり現れた男はとても怪しかった。
本来なら素の自分を隠すように話すユウリも足の痛さからかポロっと素が出た。

現れた男はユウリが思っていたよりもずいぶん若く、同じぐらいの年に見えた。少し伸びた髪が風に揺れる様子はどこかの貴人に見えるが、その口調に合わない。しかし、身なりはこぎれいで貴族というには少し汚れが物足りない。

中途半端な男だった。
「…?」
―――――なんだ、こいつ。どっから湧いて出たんだ。

相手は何も言わない。だからユウリはかすかに頭を傾けた。
野生の勘がそうさせるのか、急に現れた怪しいやつにユウリはいつもの「ああ、こんにちは」みたいな雰囲気は出せなくて、しばらく沈黙が流れた。
しかし、わざわざ声をかけてくるぐらいだから、悪い人とは限らない。でもいったいどこから来たのやら、そこそこ深い森の中から現れるなんて、ユウリにとってそいつは怪しい以外の何物でもなかった。

強盗、脱走、いやそれにしてはやはり服がきれいだな……。

一人で悶々と考え始めると、周りのことは目に入らなくなるのは癖だ。

「・・・おい、お前失礼なこと考えているだろ。」

男はいきなり口を開いたかと思うと、腕を組んでじっとこちらに目線をよこしながら、ユウリの心の中を見抜いたかのようにぶっきらぼうにそう言った。

「いや、失礼じゃない、多分」

「多分って、それは考えていたってことと一緒だろ」

男はクスクス笑う。
咄嗟にユウリは嘘をつこうとしたが、ユウリは嘘をつくことが苦手であったことを思い出す。言っていることと顔が一致していないのだとか。
だからユウリが嘘をつくと、嘘はうそにしか聞こえないのだ。男は何が面白かったのか、さらに笑いを強める。

「まあ、俺のことはどうでもいい、ところで、お前はどうしてこんな森の中にいるんだ?」

「そんなこと」と軽い言葉で終わらせるものでもない気がするが、ユウリは早く家につきたいと思っていたので、ひとまず気にすることをやめる。見たところ害のある人でもない。

まあ害があったところでやり返せばいいか。
ユウリは頭で考えるよりも行動するほうが得意だ。
足は負傷しているものの動かせないわけではないし、しっかりと剣は背中にあることを確認する。そう判断するとユウリはいまだ笑っている男に家まで連れて行ってくれるように頼んだ。

「じゃあつまりこまっているということであっているか?」

「ああ!だから手を貸してほしい!お礼はしっかりする!」

困っているって初めから言っているのに聞いてなかったのか?
男は話を聞いていなかったのか腕組みをしながら、頼ってもらえてうれしいとでもいうような顔で言う。
ユウリはその態度に少しイラっとして、叫ぶように男に返事をした。そのうえ、イラっとしたせいもあって普段から釣り気味できついと評される目が少しばかしきつくなってしまった。

変な笑い顔を向けるこの男が自分の表情一つで断るような狭量なやつだとは思わなかったが、いろんな人に関わるほど断られることだって少なくないのだ。そんな風に考えながらこの男と話すのが初めてではないくらい気軽なことに気づく。

―――俺が今までいろいろな人ととってきたコミュニケーションの中でうまくいったものはあったっけ?

近所の女の子に顔が怖いって言われたこともあったし、初対面の人は必ず眉間にしわを寄せてユウリの態度にまず怒りを覚える。つまり俺のこんな顔にも優しく答えるこの男はきっといいやつなんだ。そう自己完結する。

ここで人を逃したらきっとしばらく、もしくは当分来ない。なにせここは人里から少し離れた森の中だ。ユウリは仕方がないので今さっきの態度を改めるべく愛想笑いでもして機嫌を取ろうと決心した。しかし普段から表情筋を動かさないせいか、頬の筋肉を動かすことができない。どんな時も練習が必要だと皆は言うが笑顔の練習なんてユウリはしたことはなくて、咄嗟に頬の筋肉に力を込めた。

人が機嫌悪くなる理由は愛想が悪いからだ。

(俺だっていつまでもむかしのままじゃねえ。ちゃんと笑顔の練習だってしてるし。)

そう思ったユウリの顔は傍から見れば無理に力を入れすぎてこめかみがピクピクしていて喧嘩でも売っているのかと思うような顔になってしまっていたのだが。
男はそれを見ると笑っていた顔をさらに笑いを深めて、ますます大きな笑い声をあげた。

「はははっ!そんなに言わなくてもわかってる、お前を連れて行けばいいんだろ?」

一生懸命なユウリの気持ちが伝わったのか男は、そういうと手を木のほうにかざし、まるで腕のように枝を動かし始めた。

「俺は優しいからな」

木から何本か枝を受け取ると器用にユウリの足に巻き付けて固定した。
どうやらこの男は植物と仲がいいらしい。魔法は大体みんな詠唱するが、得意なものに関しては詠唱をしないでする人もいる。ユウリはこんな風に大胆に魔法を使う人を初めて見た。しかも植物となんて、めったに見れるもんじゃないなと得をした気持ちになった。

男はユウリに手を差し伸べると軽々と背負った。
一応成人した男であるユウリにとって広い背中は何か負けた気がした。
「おい、ついたぞ。」

そうユウリをここまで連れてきてくれた男、シュウは言う。その男はさらっと自分の名を述べるとそれ以上は言わず、安定感のある足取りでここまでたどり着いたらしかった。

そうしてどうやら寝ている間にシュウは迷うことなくユウリの家にたどり着いたようだ。
その声に意識が浮上してこんなに寝こけてしまったことに警戒と不安が入り混じる。
しかししっかりと目を開けると見慣れた扉の前だ。

「よく、迷子にならなかったな?礼を言う。…ここでおろしてくれて構わない。少しそこのソファーに座ってろ。」

そういうと勢いのままにユウリは背中から飛び降りようとした。
しかし思ったように体が抜けなくて妙にブラブラと垂れ下がる足の重さに顔をしかめた。
シュウがぎゅっとユウリを離さなかったせいらしい。

「おいっ!でもその足じゃ歩くのがきついんじゃないか?代わりにやろうか?」

「いやこのくらいなら問題ない。というかお前は客人だ。」

「チッ…。けが人は甘えてろ。俺がそこまで運んでやる。」

そういうと中へそのまま入って、キッチンの近くまで運ぶ。
足取りは軽い。
ユウリは横眼に男の姿を確認しながら紅茶をお気に入りのティーカップに入れる。
正直、俺はお気に入りとか言ったけどいつからこのカップが家にあったかよく覚えていない。
なんとなく大切なのだ。
その時、茶の水面に眩しく何かが移った気がして顔をあげた。
しかしそこにいたのは運んできてくれた張本人のみで、それ以外に見当たらない。

眩しさの原因は何だろうか…?

そう思っていると風になびいて今度は直接教えてくれる。
暗い森の中では気づかなかったが、シュウの灰色かと思っていた髪も少し太陽に当たると銀色に輝く星屑のようだった。歩きながら聞いた話によると年も同い年というから、偶然にしてはめずらしい。
しかも、シュウだなんて名前、この国ではトップ20には入るくらい良くある名前だ。
こんな美人がこのような偏狭な地に一人で、怪しく森の中で、…絶対偽名だな、そう結論づけた。

ユウリが程なくして入れたお茶を目敏く確認すると立ち上がって何も言わずにソファーに戻る。
まるで家の中を知っていたかのようだ。

「家の中は武器が多いな?全部お前が使っているわけじゃないんだろう?」

そんなことも気づくのか…。
細かな指摘に単なる貴人ではなさそうだと見当をつけつつもその芸当に目を見張る。
確かに一見するとどこの武器倉庫かと見間違えるほどの武器の数ではあるが、そう簡単に言い切れるものではないだろうに。
「俺は普段ギルドで傭兵や護衛の仕事をすることが多くて、武器を使い分けているんだ。でも確かに全部は俺のじゃないな。」
何だか当てられたことが面白くて初対面は気づかないくらいの微笑を浮かべた。

「じゃあ、今日はそいつが相棒か?」

視線で、さっきまで背負っていた大剣を指すとニヤッと笑う。

「ああ、普段使いはこっちだ、父が選んでくれたものなんだ。」

やっぱりこいつ見る目あるな。
ますますユウリはシュウがいいやつだと評価したのだった。

「それよりもどうしてお前は森の中にいたんだ?あそこらへんはあまり人が立ち寄らないだろう?」

紅茶に口をつけながらそんなことを口にする。そのことにふとユウリは行動を止めてカップを元に戻した。

「………そのことを忘れていた。」

「は?忘れてたって……」

俺は気づいたときにあそこに立っていた。
気づいた時には足が痛くなっていたし、どうしてあんな所にいたのかも思いだせない。確か今日の朝はいつも通り起きたはずだ。

「…。」
--------今朝今朝何かあったかな。記憶がない…

「なんでいたのか忘れた。」

「忘れたって……今日の朝の話だ、そんなことあるのか?」

シュウはいたって真面目に答えたユウリの顔を見ると笑いながらも少々あきれた表情でそう返す。
真面目に悩み始めたユウリを見て、シュウはユウリの頭をくしゃくしゃと撫でた。

人に頭を触られるなんて何年ぶりだろう。
ユウリは幼いころに両親と別れてからこんな風に人と接したことがあっただろうか、と記憶の彼方に記憶を馳せた。
ギルドの親父には頭をはたかれることもあったが、最近じゃそんなもの少なかった。何しろ命と隣り合わせだ。
親父からは強いげんこつが愛情表現というものだ。

しばらくその手はどかなくて、いつまでするんだろうと思いながら頭の端で浮かんだのは肉屋の番犬ジローだった。
『ジローちゃん』『ジローちゃん』『ジロ』『じろ』……と。

「じゃあ次はボーっとしないように気を付けないといけないな」

そういうと目を細めもう一度頭を撫でてきた。
めったに撫でられることのないはずの頭を撫でられて少しくすぐったさを覚えるとなんだか、むずがゆくて、腕をつかんだ。

「——っ、お、俺は犬じゃねえってば……」
———犬みたいによしよししやがって…。

今朝のことと言われても覚えていないものはどうにか思い出そうとしても難しいのだ。
頑張って思い出している途中で何というマウントの取り方だとユウリは顔をしかめた。
忘れたかもしれない内容を、唸って考えてみるけれどさっぱりひらめかない。ユウリはつかんだ腕を下に向けながら、シュウと目を合わせた。

「それよりもお前、お礼がしたい。なにがいい?」

じっと見つめるとシュウはキョトンとした顔でこっちを見つめ返した。

「なんかしてくれるのか?いいのか?」

「さすがに足を怪我しているから「何でも」は無理だが、できることなら」
――――――――どうせ初対面に図々しい奴じゃないはずだ。

正直捻挫していても困るようなことは要求されないと思っていたから、主導権はあっちで問題ない。そんなことよりも借りを作るのはごめんだ。

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