「いってきまーす」
「いってらっしゃい。気をつけるのよ」
私、大野奈子は保育士を目指して大学へ通っている。
実家は総合病院を経営し、両親も二人の兄も医師として働いている。
特に小児医療に力を入れていて、たくさんの子どもたちが入院している。
そこで、私が資格を取り、病棟に子ども学級を作ろうと頑張っているのだ。
ところが...
その日、体調があまり良くなかった私は駅の階段を踏み外し、上から数段の高さから転落してしまった。
目が覚めると、そこは見たこともないような広く豪華な部屋で、私は天蓋付きのふかふかのベッドに寝かされていた。
「ここは...どこ?」
「奈子、お目覚めですか?」
「えっ、誰?!」
ベッドの右側に、いかにも王子様という雰囲気のやさしそうな人が立っていた。
「あの、いっ...!」
体を起こそうとすると頭に激痛が走った。
「まだ動かないほうがいいですよ。申し遅れました。わたしはレオ。ここシトラス王国の第一王子です」
「シトラス王国?...私、たしか駅の階段から落ちて...」
「すみません。何があったのか詳細はわからないのですが、奈子は三日程前、城の裏手に倒れていたのですよ」
頭を打ったせいか気分が悪く、現実とは思えないこの状況の中でも、今はとにかく何も考えず眠っていたいと思った。
「奈子、傷が癒えるまでここでゆっくり休んでいてください」
「...ありがとう」
目を閉じようとしたとき、レオが「早く良くなるよう、薬をあげますね」と言って、ズキズキと痛む額に口づけをした。
びっくりしたけれどその瞬間スッと痛みが引き、あたたかな何かに包まれたような感覚があり、私はそのまま意識を手放した。
どのくらい眠っていたのだろう。ゆっくり体を起こし辺りを見回すと、いつの間にか窓の外は暗くなり綺麗な星空が広がっていた。
ベッドの横の小さなテーブルの上には、オレンジ色の光が揺れるランタンが置いてある。
「さっきよりだいぶ痛みが治まったかも...」
遠慮がちなノックの後、静かにドアを開けゆっくりとレオが入ってきた。
「すみません、起こしてしまいましたか」
「いえ、少し前に目が覚めて...」
「それならよかった。気分はいかがですか?」
「はい、だいぶ落ち着きました」
レオは笑顔で頷き「さて、薬の時間ですよ」とベッドに腰掛ける。
「あの、さっきみたいな、その...口づけが薬ってどういうこと?」
「わたしの口づけそのものが薬なのです。苦い薬でも痛い注射でもなく、ほんの一瞬触れるだけで効果がある、そんな魔法のようなものだと思っていただければ」
「よくわからないけど、たしかに効いているのかも...」
「さぁ、横になってください。わたしは薬をあげる以外何もしません。安心してください」
レオが嘘をついているとは思えないし、ドアの横には二人のメイドさんもいる。
私は言われたとおり横になった。
するとレオはまた私の額に口づけをした。やっぱり、やさしくてあたたかい。
レオが手を上げ合図をすると、メイドさんの一人がこちらへ近づいてきて、持っていたバッグをレオに手渡した。
「奈子、これはあなたのそばに落ちていました。勝手に名前を見てしまい申し訳ありません」
「それ、私のバッグと学生証...よかった。ありがとう」
「きっと十日もすれば傷は癒えるでしょう。いろいろと聞きたいこともあると思いますが元気になったら元の世界へ戻れるようにしますから、今はゆっくり休んでください」
レオが部屋を出て行くと、入れ替わるようにメイドさんが食事を持ってきてくれた。
「奈子様、今夜は玉子のおかゆと林檎のコンポートをご用意しました。ほかに何かお好きなものなどありましたらいつでもお申し付けください」
「ありがとう、いただきます」
鶏の出汁がきいたやさしい味のおかゆ。それに、さっぱりとしたミルクアイスが乗った甘酸っぱい林檎のコンポート。どちらもちょっと少なめで、久しぶりの食事には丁度良い量だった。
「とてもおいしかった。ごちそうさまでした」
笑顔を見せたメイドさんが「なにかありましたらお呼びください」と、ガラスのハンドベルをテーブルに置いてくれた。
「それではごゆっくりお休みください」
そう言って食器を乗せたカートを押し、部屋を出て行った。
親切にしてくれる王子様やメイドさん。薬という名の口づけ。ここはいったいどんな場所なんだろう。私、本当に元の世界に戻れるのかな...
おなかが満たされた私は、いろいろ考えているうちに眠ってしまっていた。
翌日も、その次も、まるでお姫様のように扱われ傷もほぼ癒えたころ、レオから庭へ誘われた。そこはたくさんの花が咲き誇り、甘くやさしい香りのする場所。
「奈子、薬をあげますね。ここに座ってください」
ガゼボの中のベンチに座ると、レオは額に口づけをした。
「これが最後の薬です。傷が綺麗に治ってよかった。明日には元の世界へお連れします」
「え...」
戻れるのはうれしい。でもやっぱり寂しい。私はいつの間にか心のどこかで、これからもレオと一緒にいたいと思い始めていた。
「元の世界に戻ったら、もうレオに会えないの?」
「そうですね。もうお会いすることはないでしょう」
「そんな...私、もうちょっとレオと一緒にいたい!」
「奈子、もう薬は必要ありません。ちゃんと元の生活に戻ってがんばってください。あなたを待っている人がたくさんいるはずですよ」
悲しくて涙が止まらない私を、レオはそっと支えて部屋まで連れて行ってくれた。
戻りたいけど戻りたくない...
自分の気持ちがわからないまま朝を迎え、レオと一緒に私が倒れていたという場所へ行くと、レオは私の頭に手をかざしつぶやいた。
「目を閉じて...さようなら、奈子」
目を開くとそこは実家の病院の個室だった。
「奈子!お母さんのことわかる?」
「うん」
「よかった。駅の階段から落ちたって聞いたとき、目の前が真っ暗になったわ。でも、もう傷は治ったし、どこにも異常は見られないわ。あと数日で退院できるからね」
「ありがとう。心配かけてごめんね」
ずっと夢を見ていただけなのかな...
でももし本当にレオがいるなら、いつかまた会いたいな。
「奈子。いつかあなたが大切な人と出会って、わたしのことを忘れるその日まで、こちらからそっと見守っていますよ」
「いってらっしゃい。気をつけるのよ」
私、大野奈子は保育士を目指して大学へ通っている。
実家は総合病院を経営し、両親も二人の兄も医師として働いている。
特に小児医療に力を入れていて、たくさんの子どもたちが入院している。
そこで、私が資格を取り、病棟に子ども学級を作ろうと頑張っているのだ。
ところが...
その日、体調があまり良くなかった私は駅の階段を踏み外し、上から数段の高さから転落してしまった。
目が覚めると、そこは見たこともないような広く豪華な部屋で、私は天蓋付きのふかふかのベッドに寝かされていた。
「ここは...どこ?」
「奈子、お目覚めですか?」
「えっ、誰?!」
ベッドの右側に、いかにも王子様という雰囲気のやさしそうな人が立っていた。
「あの、いっ...!」
体を起こそうとすると頭に激痛が走った。
「まだ動かないほうがいいですよ。申し遅れました。わたしはレオ。ここシトラス王国の第一王子です」
「シトラス王国?...私、たしか駅の階段から落ちて...」
「すみません。何があったのか詳細はわからないのですが、奈子は三日程前、城の裏手に倒れていたのですよ」
頭を打ったせいか気分が悪く、現実とは思えないこの状況の中でも、今はとにかく何も考えず眠っていたいと思った。
「奈子、傷が癒えるまでここでゆっくり休んでいてください」
「...ありがとう」
目を閉じようとしたとき、レオが「早く良くなるよう、薬をあげますね」と言って、ズキズキと痛む額に口づけをした。
びっくりしたけれどその瞬間スッと痛みが引き、あたたかな何かに包まれたような感覚があり、私はそのまま意識を手放した。
どのくらい眠っていたのだろう。ゆっくり体を起こし辺りを見回すと、いつの間にか窓の外は暗くなり綺麗な星空が広がっていた。
ベッドの横の小さなテーブルの上には、オレンジ色の光が揺れるランタンが置いてある。
「さっきよりだいぶ痛みが治まったかも...」
遠慮がちなノックの後、静かにドアを開けゆっくりとレオが入ってきた。
「すみません、起こしてしまいましたか」
「いえ、少し前に目が覚めて...」
「それならよかった。気分はいかがですか?」
「はい、だいぶ落ち着きました」
レオは笑顔で頷き「さて、薬の時間ですよ」とベッドに腰掛ける。
「あの、さっきみたいな、その...口づけが薬ってどういうこと?」
「わたしの口づけそのものが薬なのです。苦い薬でも痛い注射でもなく、ほんの一瞬触れるだけで効果がある、そんな魔法のようなものだと思っていただければ」
「よくわからないけど、たしかに効いているのかも...」
「さぁ、横になってください。わたしは薬をあげる以外何もしません。安心してください」
レオが嘘をついているとは思えないし、ドアの横には二人のメイドさんもいる。
私は言われたとおり横になった。
するとレオはまた私の額に口づけをした。やっぱり、やさしくてあたたかい。
レオが手を上げ合図をすると、メイドさんの一人がこちらへ近づいてきて、持っていたバッグをレオに手渡した。
「奈子、これはあなたのそばに落ちていました。勝手に名前を見てしまい申し訳ありません」
「それ、私のバッグと学生証...よかった。ありがとう」
「きっと十日もすれば傷は癒えるでしょう。いろいろと聞きたいこともあると思いますが元気になったら元の世界へ戻れるようにしますから、今はゆっくり休んでください」
レオが部屋を出て行くと、入れ替わるようにメイドさんが食事を持ってきてくれた。
「奈子様、今夜は玉子のおかゆと林檎のコンポートをご用意しました。ほかに何かお好きなものなどありましたらいつでもお申し付けください」
「ありがとう、いただきます」
鶏の出汁がきいたやさしい味のおかゆ。それに、さっぱりとしたミルクアイスが乗った甘酸っぱい林檎のコンポート。どちらもちょっと少なめで、久しぶりの食事には丁度良い量だった。
「とてもおいしかった。ごちそうさまでした」
笑顔を見せたメイドさんが「なにかありましたらお呼びください」と、ガラスのハンドベルをテーブルに置いてくれた。
「それではごゆっくりお休みください」
そう言って食器を乗せたカートを押し、部屋を出て行った。
親切にしてくれる王子様やメイドさん。薬という名の口づけ。ここはいったいどんな場所なんだろう。私、本当に元の世界に戻れるのかな...
おなかが満たされた私は、いろいろ考えているうちに眠ってしまっていた。
翌日も、その次も、まるでお姫様のように扱われ傷もほぼ癒えたころ、レオから庭へ誘われた。そこはたくさんの花が咲き誇り、甘くやさしい香りのする場所。
「奈子、薬をあげますね。ここに座ってください」
ガゼボの中のベンチに座ると、レオは額に口づけをした。
「これが最後の薬です。傷が綺麗に治ってよかった。明日には元の世界へお連れします」
「え...」
戻れるのはうれしい。でもやっぱり寂しい。私はいつの間にか心のどこかで、これからもレオと一緒にいたいと思い始めていた。
「元の世界に戻ったら、もうレオに会えないの?」
「そうですね。もうお会いすることはないでしょう」
「そんな...私、もうちょっとレオと一緒にいたい!」
「奈子、もう薬は必要ありません。ちゃんと元の生活に戻ってがんばってください。あなたを待っている人がたくさんいるはずですよ」
悲しくて涙が止まらない私を、レオはそっと支えて部屋まで連れて行ってくれた。
戻りたいけど戻りたくない...
自分の気持ちがわからないまま朝を迎え、レオと一緒に私が倒れていたという場所へ行くと、レオは私の頭に手をかざしつぶやいた。
「目を閉じて...さようなら、奈子」
目を開くとそこは実家の病院の個室だった。
「奈子!お母さんのことわかる?」
「うん」
「よかった。駅の階段から落ちたって聞いたとき、目の前が真っ暗になったわ。でも、もう傷は治ったし、どこにも異常は見られないわ。あと数日で退院できるからね」
「ありがとう。心配かけてごめんね」
ずっと夢を見ていただけなのかな...
でももし本当にレオがいるなら、いつかまた会いたいな。
「奈子。いつかあなたが大切な人と出会って、わたしのことを忘れるその日まで、こちらからそっと見守っていますよ」