陽之木くんに貰った腕時計を左腕に巻き付けて、ダイヤルで時間を合わせてカチンと押し込む。
 時計の秒針が、時を刻み始めた。
 目尻にたまっていた最後の涙を拭って、鞄の中からティッシュを取り出して鼻をかみ、立ち上がる。
 すると立ち眩みがして、そこにあった席にぶつかった。 ぶつかった腰に鈍い痛みが走った。 ぐぅ、とお腹が鳴った。
 そう言えば朝から何も食べていなかったし、喉がカラカラだった。
 ……帰ろう。

 その時、閉め忘れていた窓から、大遅刻をかましていた春の風が吹いた。
 桜の葉が揺れてこすれ合い、ザァザァと暖かく鳴く。
 その中に、声がした。

「おめでとう」

 ハッと振り返ったけど。 もちろん、誰もいない。
 それは、気のせいだと言われればそうかもしれないと納得してしまう程の、不確かな声だった。
 それでも私はその声に「うん」と頷いた。
 ポケットの中に入れっぱなしにしていたそれを思い出して、取り出す。
 卒業生が胸に差す用の一凛のピンク色の造花。
 私はそれを陽之木くんの席に、笑顔とともに手向けた。

「卒業おめでとう。 陽之木くん」