エイサーという文化も、その各行事に根強く結びついて欠かせないものではある。

 それは神様や守護神、ご先祖様を楽しませることと、盆や旧正月に集まる〝よくない霊達〟つまるところ悪霊といったものを太鼓の音で追い払う、という意味合いもあった。

 だから夜にその音が聞こえてくると『悪霊も逃げて近付けないだろうな』と、ホッと安心する風習も、沖縄独自のものだろう。

 神やら幽霊やら信じていなかった仲村渠だって、子供の頃はオバケが怖かった。

 大人の誰かから聞いたそんな話が頭に残っていた少年時代、怖い怖いと夜道を歩いていた時に、ふっと思い出して、安心した記憶は不思議なことに大人なっても記憶に残されているものだ。

 他県からの移住者も増え始めたことでちょくちょく起こることになった『夜なのだからエイサーの練習を止めろ』の苦情を出す輩に、温厚な沖縄県民も怒りを覚えるのは仕方がないことだった。


 仲村渠は六十五年前、糸満市で産まれた。
 父親は漁師で、兄弟は全部で七人いた。当時は皆貧しく、防空壕には手榴弾も残っていたご時世でもある。