放課後、遥菜と亜希は先輩たちがいる3年生の教室に素早く入る。そして、遥菜は声を張り上げた。
「放送部2年の和南遥菜です。突然ですがインタビューさせてください。このインタビューは来週の校内放送で使います。ご協力、お願いします!」
 教室で雑談していた男女のグループは、皆、戸惑っている。遥菜は、そんなことなどお構いなしに、勝手にICレコーダーのマイクを向けて、3年生にインタビューしていった。
「高校生活の中で一番の思い出は何ですか?」
「え? そんな急に言われても……。この前の体育祭かな」
 マイクを最初に向けられた静香は、ハニカミながら答える。
「どんな楽しいことがあったんですか? 告白されたとか?」
「あたり!」と静香に代わって隣にいた絵美子が答えた。
「ちょっと、やめてよ。恥ずかしいよ」
 静香は頬を赤らめて、絵美子に抗議する。
「ええ、そんなことがあったのか?」「誰から告白されたんだよ?」などと一緒のグループにいた貴大と順哉は興味津々だ。
「知らない」と静香はしらばっくれる。

 遥菜と同じ放送部員の亜希はヘッドフォンをしながら、釣竿のような長い集音マイクを上からメンバーに向けて、大人数の声も逃さないように録音していた。
「では、こちらの先輩もお願いします」
 遥菜は教室の隅で一人、イヤホンで何かを聴きながらタブレットで入力している雅記にICレコーダーを向けた。
「え? 俺か?」
 戸惑う雅記に遥菜は頷く。しかし、背後にいた先程のグループは「そいつはやめとけよ」「人と話すのが得意じゃないよ」「変だし」と口々に言う。しかし、遥菜は引き下がらなかった。
「高校生活の楽しかった思い出を教えてください」
 遥菜の質問に、雅記は目を合わせることなく、「別に、ないよ」と素っ気なく答える。
「恋の話とか、ありませんか?」
「ないって」
「……好きな人は、いないんですか?」
「もう、いいだろ」と雅記は荷物をまとめて教室を出ていった。

 亜希は、遥菜の肩を叩いて同情の面持ちを浮かべる。
 遥菜は暗い気持ちを引きずったまま、亜希と教室を出た。





 放送部の部室で、亜希は遥菜と一緒に一台のパソコンのモニターを見つめる。音声データとして波形になったインタビューを編集しながら、亜希は遥菜に話しかけた。
「仕方がないよ。雅記先輩はインタビューは苦手なんだよ」
「どうしよう。私、雅記先輩に嫌われちゃったかな?」
「あの先輩、繊細そうだもんね」
「もう、諦めようか、な」
「遥菜は雅記先輩のこと、好きなんでしょ? いいの?」
「だって」
「今日のインタビューだって、本当は雅記先輩に話しかけたいっていう理由だけで、あのクラスを選んだんでしょ?」
「……バレてた?」
「当たり前だよ。……それより、あのさ。他の先輩から聞いたんだけど、雅記先輩って、自閉何とかっていう、発達障がいらしいよ。遥菜は知ってた?」
「え? 初めて知った。っていうか、それ、……障がいがあるってこと?」
「たぶん、そう」
「だからインタビューをあんなに拒んだの?」
「そうだと思う」
「先輩って、いい曲つくるんだよ」
「え? 遥菜って、雅記先輩のプライベートなこと、何か知ってるの?」
「うん。SNSで探しまくったら、雅記先輩のアカウント見つけちゃった。毎日タブレットで作曲してるよ。しかも、自分でボーカルを入れた楽曲をつくって、去年、全国のコンテストでグランプリを獲ったって」
「すごい!」
「私は公開されてる先輩の曲をいつも聴いてるの。すごくいい」
「もう、完全に心を奪われてるじゃん」
「でもね、卒業したら、東京の音大に行くんだって。だから、もうすぐ離ればなれになるよ」
「東京か。思い切って告白したら?」
「東京に行くのに?」
「東京に行くからだよ。伝えなきゃ、もう二度と会えなくなるよ」
「でも」
「もう、あと一週間で先輩たちは卒業だよ。時間がないって。私も着いていってあげるから、さ」





 翌日の夕方、校門で遥菜と亜希は待ち伏せていた。すると一人で帰ろうとする雅記が校門へとやって来る。遥菜は心臓が飛び出しそうだ。
「や、や、やっぱり無理」
「ダメだよ、ほら!」
 亜希は遥菜を雅記の方へ押し飛ばした。
「ヒャッ」
 勢いで、雅記の腕にぶつかってしまう。
「大丈夫か?」
「あ、はい」
「あ、君は昨日の……」
「昨日はいきなり、すいませんでした」
 遥菜は告白するどころか、謝っていた。
「別にいいけどさ。恥ずかしかったんだよ、周りにクラスの奴らがいたから。あのさ」
「はい」
「いないよ」
「え?」
「だから、俺は好きな人はいないって。俺みたいな嫌われものを受け入れてくれるのは、音楽だけだ」
 離れたところで亜希が遥菜にジェスチャーでエールを送っている。遥菜は、とうとう覚悟を決めた。
「あの」
「ん?」
「あの、私は雅記先輩が、先輩が……好きです」
 言い終わると、雅記の表情を見るのが怖くて下を向く。
「え?」
「迷惑ですか?」
 遥菜はおそるおそる顔を上げる。
「あ、いや。俺はやめた方がいい」
「私じゃ、ダメですか?」
「そうじゃないよ。ごめん、その、俺は、俺は」
「どうしたんですか?」
「俺は……自閉スペクトラム症ってヤツだ。小さい頃から発達障がいって言われて、よくバカにされてきた。自分で自分を変だとは思ってないけど、周りは俺を『変で、こだわりが強くて、コミュニケーションが苦手な障がい者だ』ってレッテルを貼ってる。俺なんかといると君まで変な目で見られるよ」
「私はそんな個性も含めて、雅記先輩が好きです。先輩の楽曲も、プロ級でかっこいいです。毎日聴いています」
「最初はみんな、俺を個性的だって言ってくれる。でもさ、深く知るようになったらみんな、俺から離れていく。君もきっとそうだよ」
 雅記は、悲しい顔をしていた。
「俺が普通の恋をするなんて、無理なんだよ。それに俺、東京に行くしさ」
「いつ、東京に行くんですか?」
「来週の火曜日」
「卒業式の日じゃないですか?」
「そうだ。午前に式が終わったら、さっさと出ていくよ、この街も高校も。だから、ごめん」





「どうするのよ?」
 雅記が校門から去った後、帰り道で亜希は、遥菜を心配そうに話しかける。
「そんなこと、言われても。雅記先輩からダメだって言われたんだから、諦めるしかないよ」
「いいの?」
「雅記先輩が悲しんでいたから、私も辛かったのよ。もう、そっとしておいた方がいいのかなって思う」
「本当は、誰かが傍にいてほしいんだと思うよ。そしたら、もっと才能を伸ばすかも」
「そんなの、私にできないよ」
「遥菜ってさ、本当は、ただカレシになって付きまといたいだけじゃなくて、一緒に夢を持って成長したいんでしょ」
「うん、私も雅記先輩みたいに努力して、認められて、いつかプロのアナウンサーになりたい。だから放送部に入ったんだもん。まだまだ夢は遠いけど、雅記さんと一緒なら頑張れるような気がして」
「それを伝えようよ」
「だから、無理だって」
「諦めないで! 同じ志を持った放送部員でしょ。伝えなきゃダメ。伝えることで初めて救われたり、喜んだり、涙を流す人がいるんだよ」
「じゃあ、どうすればいいの?」
 すると背後から、遥菜の方をたたく人がいる。遥菜は驚いて振り向いた。
「よっ」
「静香先輩!」
 先日インタビューに協力してくれた、雅記のクラスメートだ。3年生だからすでに部活は引退しているが、放送部のOBでもある。
「雅記くんはね、車に乗っている時、いつも地元のラジオ局、グリーンクリエイティブFMの放送を聴いてるよ。雅記くんのお母さんから聞いたから間違いない」
 静香は雅記と幼馴染だから、遥菜が知らない情報をたくさん知っている。遥菜は静香の説明を食いつくように聞いた。
「そうなんですか?」
「引っ越すのは、来週の火曜日で、午後1時には親と車で家を出るみたい。だから、……」
「だから?」
「来週の火曜の午後1時にグリーンクリエイティブFMに出演して、想いを伝えたら雅記くんは聴いてるよ」
「やったじゃん、遥菜! ありがとうございます、静香先輩」
「いやいやいや、それってラジオだからみんなに聞かれるじゃないですか! 恥ずかしいし、無理です。無理無理無理」
「もう、やっちゃいなよ、遥菜。これは放送部員としての誇りをかけた戦いだよ」
 どういう訳か、亜希の方が遥菜よりも燃え上がっている。
「いや、ちょっと待って。それに、そんなに簡単にラジオには出演できないよ」
「そうだね、何とかしなきゃ」





「お願いします!」
 遥菜と亜希は、頭を下げる。
「いや、さすがにそれは無理だよ」
 グリーンクリエイティブFMの男性スタッフは困惑していた。何のアポも取らずラジオ局にやってきたものの、予想どおり出演するというのは容易ではない。
「お願いします。来週の火曜日、午後1時から数分だけでいいんです。ラジオで話す時間をください」
 亜希は食い下がった。
「あのね、そもそも12時とか1時とか各時報終わりは、ニュースをすることで決まってるの。だったら、夕方の放送のゲスト枠で出演したらどう? それならパーソナリティとトークできるよ」
「それじゃダメなんです。どうしても来週の火曜日の午後1時に出演したいんです。しかも、パーソナリティなしで。ここにいる遥菜の一人トークをさせてください」
「もう、言ってることがメチャクチャだよ。俺たちはね、遊びで放送をやってるんじゃないからな。とにかく無理。帰ってくれ」
 遥菜と亜希は、追い出された。途方に暮れる遥菜に、亜希は何かを思い付いたように話しかけてくる。
「よーし、じゃあ、作戦を立てよう」
「作戦?」
「放送部員の誇りをかけて、大勝負するよ。耳を貸して」
 亜希がヒソヒソと、作戦を伝えた。





 卒業式が終わった直後の午前11時。卒業生が次々と校舎から巣立っていく。記念撮影をしたり、先生たちと最後の挨拶をしている中、雅記は大急ぎで帰っていった。
 ──やはり、静香の言うとおり雅記は午後1時に家を出るのだ。
 遥菜は確信した。
「よし、作戦どおりやるよ」
 作戦の首謀者である亜希は、余程楽しいのか、目を輝かせている。
「怖いよ」
 一方で遥菜は、怖じ気づいていた。
 二人は、ストップウォッチや雅記の音源のCDなどを準備し、グリーンクリエイティブFMの前で、その時を待つ。
「遥菜、もう、覚悟はできた?」
「覚悟だなんて。それよりドキドキだよ」
「これくらいで、呑み込まれてるようじゃ、プロのアナウンサーなんてなれないよ」
「そうだね」
 いよいよ遥菜も、戸惑いが吹っ切れてきた。
 その時、12時50分。
 二人は、ラジオ局の社屋の呼び鈴を押した。
「はい、どなたですか?」
 ラジオ局のスタッフが応答する。
「いなべ高校の生徒です。オリジナルの楽曲をつくったので、ぜひディレクターさんに聴いてほしいと思って持ってきました」
「はい、ちょっと待ってね」
 しばらくすると、先日出演のお願いを断った男性スタッフが出てきた。
「あ、君たちは先週ここに来た……」
「ごめんなさい! 許して!」
「え?」
 遥菜は男性スタッフを突き飛ばし、社屋に侵入する。
「おい、何をしてるんだ?」
 男性スタッフの怒りの声を無視して、二人は社屋を奥へと走る。ラジオ局の他のスタッフが集まって二人を止めようとするが、それを力でねじ返す。目の前にスタジオが見えた。ドアの前でスタッフに取り囲まれ、「やめろ!」「これから生放送が始まるんだ、出て行け!」と罵声を浴びせられる。
「ごめんなさい。今から私たち、このラジオ局をジャックします!」
 亜希の叫びにスタッフはどよめく。
「3分間だけ、私たちにトーク時間をください。ごめんなさい!」
 遥菜は叫びながら防音の重いドアを開けて、二人はスタジオに押し入った。そして中にいた女性パーソナリティを強引に押し出すと、中から鍵をかけイスや机をドアの前に並べて立てこもった。





「亜希、今、時間は?」
 亜希は急いでスタジオの時計を見る。
「12時59分12秒。間に合ったよ! よし、スタンバイだ」
 遥菜は、マイクの前に座り、ヘッドフォンをして呼吸を整える。亜希は遥菜の向かいにあるミキサー卓の席に座った。
「亜希、カフを上げてマイクチェックするよ。チェック、チェック。マイクワン。ワンツー、ワンツー」
「マイクチェックOKだよ。もういつでも放送できる」
 校内放送をしてきた二人は息がぴったりだった。亜希は手早くCDプレイヤーに雅記の音源と、昨日、二人で製作したジングルの音源を入れる。
 スタジオの外では、スタッフが中に入ろうとドアに体当たりしているが、防音の重厚なドアは決して壊れない。窓ガラス越しにスタッフが狂ったように喚いていた。
「本番10秒前、8、7、6、5秒前。4、3、じゃあ、ジングルから入ります!」
 亜希はカウントダウンをし始めた。いよいよ本番だ。午後1時の自報音が鳴り響いて、スタジオのオンエアランプが赤く灯った。
 亜希がCDプレイヤーをミキサーから再生させると、「いなべハイスクール・スペシャル・プログラム」と流ちょうな英語で話すナレーションとアタック音をミックスしたオリジナル音源が流れた。無事放送がスタートしたのだ。
「やったあ!」と亜希が大声を上げる。そしてBGMに切り替わると亜希は右手を上げ、遥菜に見えるように手の平を振った。
 キューだ。
 遥菜はカフを上げた。

「皆さん、こんにちは。いなべ高校、放送部2年の和南遥菜です。すいません、本来なら昼の生放送番組が始める時間ですが、この時間は、……私が、このグリーンクリエイティブFMをジャックします!」
 亜希は「落ち着いて」とカンペを出してきた。遥菜は頷く。
「3分間だけ、どうか私に時間をください。私が番組をジャックする理由、それは、今日高校を卒業した、ある先輩に自分の気持ちを伝えるためです。本当は、この前、フラれました。フラれたのに、諦めたくないから、こうしてラジオの電波にのせて届くように祈っています」
 亜希がBGMをスローテンポな曲に入れ替えた。
「人付き合いが苦手だけど、すごくかっこいい楽曲をつくるM先輩、聴こえていますか? 私の声は、あなたに届いていますか? 東京に行く途中の先輩にどうしても伝えたいことがあります。そして私の言うことを受け入れてくれるなら、どうか、このグリーンクリエイティブFMの番組宛にメールをください。アドレスはgreen@inabefm.jpです。今、スタジオにいるので、私は、このアドレス宛のメールが見られます」
 亜希は、ミキサーの背後にあるリスナーからの番組宛メールを確認した。他のリスナーからのメールはたくさんあったが、雅記からのものはない。亜希は首を振って、まだ届いていないことを遥菜に伝えた。

「先週、私、先輩からフラれた時、すごく悲しかったです。でも、諦めないことにします。夢に向かって努力しているのは、先輩だけではないです。私も将来、アナウンサーになりたい! だからアナウンスの通信講座を受講したり、テレビ局でアルバイトしたり、動画や音声ファイルのコンテストに応募したり、やれることをやっています。先輩のようにプロから高く評価されることもまったくないですけど、想いは誰にも負けません。先輩は自分が変な目で見られると嘆いていましたが、私もそうです。普通の女の子らしいことなんか、全然興味がありません。先輩のように才能もなく、アナウンサーにもなれていない私ですが、それでもできることがあります。それが、伝えること。例え傷ついてでも、私は今、ラジオで伝えます。世界の誰より、私は先輩が好きです」

 入り口に置かれた机やイスが少しずつ押し込まれ、スタジオ入り口のドアが開き始めた。亜希は指先で円を何度もグルグルと描く。「時間がないから急げ」と指示している。もはや、ここまでだ。
「私は先輩に傍にいてほしいし、二人で色んな表現のステージを見たいです。先輩と一緒だったら、今より大きなことができるような予感がするんです。夢は一人より二人でシェアした方が楽しいです。届いていますか、私の声は? 私は目に見えない電波に向けて祈っています。もう、一人殻の中に閉じ籠ることから卒業してください! 他人に、いや、できれば私に心を開いてください。東京に行っても、私は先輩と繋がっていたい! 好き!」
 とうとう、スタジオにスタッフがなだれ込んできた。
「キタ~!」
 亜希は取り押さえようとする大人をかわし、メールの受信した画面を見せようと、パソコンごと遥菜に手渡す。

 遥菜は涙を流した。
(嬉しかったよ。ありがとう。ボクもあなたと繋がりたい。近堂雅記)と書かれ、LINEアドレスのQRコードが画像で添付されている。遥菜は取り押さえる大人を押し飛ばして、素早く自分のケータイを取り出して、QRコードを読み取った。
「亜希! やったよ!」
「さすが、同志! 遥菜、サイコー!」
 その瞬間、二人はスタッフに取り押さえられ、わずか3分のラジオジャックは終わった。(了)