僕は、未奈ちゃんの膝の上で祈ることしか出来なかった。
 ……あれは、マボロシじゃない。

 夕立後、一緒に見た不思議な夕日。
 ハラハラしながら飲ませてくれた、ミルク。
 飲んだのは僕だけど、僕以上に嬉しそうだった未奈ちゃんの笑顔。
 一生懸命作ってくれた『にくきゅうまる』。
 いっぱい作って遊んでくれた手作りおもちゃ。
 病気になった時、抱いて病院に連れてってくれた時に聞いていた心臓の鼓動。
 最後まで一緒にいてくれて、こぼれ落ちた涙。

 いつも一緒だった。
 いつも同じ気持ちだった。
 それは、僕がなくなってからも同じ。
 僕は未奈ちゃんの心の中で、いつも一緒だったから、いつも同じ気持ちだったから……

 だから、分かるよ辛い気持ち。

「僕はだれより、未奈ちゃんが好きにゃ」

 未奈ちゃんの体から心が出て行こうしているのを感じる。

「ダメ、行っちゃダメにゃ」

 僕は、必死で未奈ちゃんの心を繋ぎ止めた。
 冷えた未奈ちゃんの体が小さくなる、小さく、小さく、小さく、小さく……
 その姿は、やがて1匹の三毛猫の姿になり、凍え震えていた。
 息が細い。

「未奈ちゃんあああん」

 体が冷えすぎている。僕は体を寄せて温めた。

「こ、これは、一体?」肉球丸が呟いた。
「わかんないにゃ。でも、未奈ちゃんの心が、体から離れようしてたにゃ。だから、引き留めてるにゃ。僕の心で引き留めてるにゃ」
「ユキポンの心……。未奈様がユキポンの心に入っているでござるか?」
「分かんにゃい。だけど、だけど、未奈ちゃんは僕が守るにゃ!!」

 もう迷わない。
 未奈ちゃんが、あいつと付き合う時、辛かった。でも、それが未奈ちゃんの為ならと、目を逸らしてた。なにもできない自分が嫌で嫌でしょうがなかった。僕は猫だし。
 いや、必要とされてないのかも。忘れ去られているかも。その事が怖かった。だから僕はただ目を逸らして逃げてた。

 だけど、もう迷わない。

「未奈ちゃん愛してるにゃ」

 未奈ちゃんが薄く目を開けた。 

「……僕は消えたっていいにゃ」

 未奈ちゃんががそれを望むなら、僕も一緒に消えてしまおう。でもそれまでは僕もそばにいる。相手にされなくても、役に立てなくても、それでもそばにいる。
 そして、一緒に消える。

「ごめんにゃ、何もできにゃくて」

 でも、お願い。
 未奈ちゃんは自分を取り戻して。
 僕は祈ることしかできなかった。

「……ユキポン」

 未奈ちゃんの口から微かに声が聞こえた。

 雷鳴がとどろき、どこか遠くで木が爆ぜた。
 雨の音が遠のいて、空間が歪む。

「ニャッ!!」

 未奈ちゃんの手が背中に触れた。

「未奈ちゃん!」

 未奈ちゃんの姿が人間の姿に戻っていた。手を背中にそっと置いてくれる。

「……よ、よかったにゃ」

 僕は一生懸命、冷えた未奈ちゃんが手に顔を擦り付けた。

「ユキポンどの。ま、まずいでござるぞ。こ、これは、逢魔時」

 周りを見渡すと、雨の音が消えていた、周りが急に暗くなり空気が重い。

「この不安定な場所、不安定な心、何が起こるか想像できませぬ」

 その時、暗闇にピアノが浮かび、そのピアノの向こうからピアニストの彼が静かに現れた。
 カットソーにベージュパンツ。細身でスラリとした背がまるでモデルを思わせる。
 彼は気取らずピアノの前の椅子に座ると、一呼吸置いて、鍵盤を見つめていた。
 全ての音を飲み込んで静寂がすべての動きを押さえつける。
 刻が止められたように動けなかった。

 ……逢魔が時。

 僕は、彼のマボロシを飛びかかって引っ掻いてやろうと思ったけど、静寂に押さえつけられた体が動かない。上を見ると、未奈ちゃんが彼をジッと見つめていた。

「クソックソッ」

 もう一度、動こうと頑張ったけど動けなかった。