「にゃっ」

 僕は急に体が浮いてビックリした。
 そして、未奈ちゃんと目があった。
 少し笑ってる。

「ほら不貞腐れ〜〜」

 と言って未奈ちゃんが、僕の眉間を触ってくる。

「シャー、やめてよいつもいつも」
「フフ、この眉間のシワ。やっぱりユキポンだ」
「遅いよ!」
「だって、猫はしゃべらない!」

 未奈ちゃんが、抱きしめてくれる。
 ……ニャッ! 未奈ちゃんの方が体冷たいよ。
 だけど、未奈ちゃんはそんな事気にせず、背中をワシャワシャ拭いてくれる。

「にゃにゃにゃにゃにゃ」
「ほら、じっとしてユキポン」

 背中もお腹も、足の先も首の下も。最後に頭をワシャワシャ、耳の周りをよく拭いてタオルをどけると未奈ちゃんとパっと目が合う。ぼく覚えているんだ。この感じ。



 その夕立降る夏の日に、生まれたての僕は箱の中にいた。
 暑い夏なのに雨が冷たくて冷たくて冷たくて。
 でもね何も知らないぼくは、こんなもんだと思ってたんだ。

 何もないんだな、
 消えてしまうんだな、
 僕はいなかったんだなって。

 そう思って
 夕立の雨粒に少しずつ消えていく僕を、
 僕は静かに待っていた。

 ………………キエル
 …………キエル
 ……キエル

 小学生の未奈ちゃんに、そっと抱いて持ち上げらるまでそう思ってた。
 ベージュのタオルでワシャワシャ拭いてくれて。
 最後に耳の周りをよく拭いて、パッと目があったんだ。

「シロユキ。うん。白くて雪のようだからシロユキ」

 小さな未奈ちゃんは、泣いてる様な笑ってる様な顔でそう言った。
 ……シロユキ。それが僕の名前。

「ごめんね。ごめんね。……シロユキ」

 そう言って、未奈ちゃんが抱いてくれた。
 暖かい胸の中で、僕はシロユキになった。

 そして僕が「にゃー」と力を振り絞って鳴いた時、未奈ちゃんがパッと笑ってくれた。
 笑ってくれた。



 大人になった未奈ちゃんが、あの時と違うのは、今は笑ってくれないこと。未奈ちゃんの方が、僕よりうんと冷えていた。

「水嫌いだよね」
「……ニャン?」
「いつもシャワー全力で嫌がってたもんね」
「ニャー」
「それなのに……ごめんね」
「にぇえ、未奈ちゃんは自分をふいてにゃ」
「……私はいいの」

 未奈ちゃんは黙って僕を拭いていた。
 雨の滴とは違う滴がこぼれ落ちる。未奈ちゃんは力なく立ち上がると後ろを向いた。

「ダメ!! ぼくそのために来たんにゃ!!」
「……うん」
「笑ってにゃ」
「……ごめんね」
「僕じゃ、役に立たにゃい?」
「違うの。……ごめんね」
「未奈ちゃん」
「ありがとうユキポン。マボロシでも嬉しいよ」

 ……どうしよう。
 僕は眉間にシワを寄せた。
 そしてその時、ふいに首輪がしゃべった。

「あのー。お取り込み中申し訳ないが、タオルが下に落ちてますよ。そして濡れちゃいそうですよ。
「エッ!! 誰? 今、おじさんの声がしたけど」

 未奈ちゃんが振り返る。

「にゃんでお前がしぇべるんにゃ」僕は首輪に怒った。
「いや、ユキポンがダメなら。俺の出番かと」
「首輪がしゃべっちゃダメだにゃ」
「猫がしゃべるんだから、首輪がしゃべったっていいだろうが」

 そういうと、ウォホンと咳払いをして首輪が話し始める。
 僕はもうヤケクソの気持ちでその場に座り込んだ。

「ええと、初めまして。俺はその…… あの…… 未奈様に作ってもらった首輪です。どうも」

 ただただ驚いている未奈ちゃんが、一歩二歩と後ずさる。