一言で表せば色のない世界。
もう少し長めの文章で書くと、泳ぎ方を忘れて深海の底まで沈んだ魚が、もう二度と戻れない海の上を見上げながら静かに蹲っている様
それは、私が生まれた時から、ずっと当たり前にあったモノがある日を境になくなった。
十八年生きてきて、予想もしていなかった事実と現実に、未熟な私はそれを受け入れることが到底出来なかった。
苦しくて、夢が見えなくなって、心が溺れて色のない海にゆっくり沈んでいった。
誰にも伝えられないまま。
誰にも気づかれないまま。
誰にも言えないまま。
ずっと──私の世界は半分だった。
(あと一週間で卒業か……)
ぼんやりと階段を登りながら、私は今日も見慣れたグレーのブレザーの制服を身に纏い、騒がしい三年二組の扉を開ける。
「里田美波ーっ」
「美波、おっはよー」
私を見てすぐに二人の女子が駆けてくる。二人のうちショートカットの女子が私の首元に絡みついた。
「わっ、千幸ちゃん。おはよ」
「う〜ん。美波、今日もいい匂いーっ」
丸川千幸は人懐っこい笑顔を私に向け、もう一度ぎゅっと抱きしめてから私からぱっと離れた。毎朝恒例の千幸の朝の挨拶だ。
私は窓際から二列目の一番後ろの先に座ると教科書を机に仕舞った。私の左隣の席は二週間前突然転校してきた『無愛想な彼』こと橋本涼我だが、彼はまだ来ていない。
「ねぇねぇ、二人とも!昨日配信開始されたアタシの推しの新曲一緒に聴こー」
オシャレ大好きで推し活真っ最中の有馬一花が栗色の髪を揺らしながら、スマホを取り出すと、なんでもJポップ界の新星と呼ばれているアーティストの新曲をTikTokで流し始める。
私はさり気なく左手で肘を突くと、音が拾いやすいように右耳をスマホの方へ近づけた。教室が騒がしくてところどころ音がくぐもったように聴こえたが、全体の曲の雰囲気は大体わかる。
「どう?」
目をキラキラさせながら推しの新曲の感想を訊ねる一花に、先に千幸が口を開いた。
「いいね! 出だしの掛け声から始まって、途中はすこし緩めのバラードからのラストにむかってアップテンポ!」
「うんうん、美波は?」
「うん……、全体通して優しい音色で、ところどころの鈴の音色がアクセントになってるね」
「そうなんだよ~これ今度新しく発売されるチョコレートのCMソングに選ばれたらしくて。ってゆうか美波、さすが! 春の関東ピアノ大会の入賞者だけあるね! 鈴の音に気付くなんて」
(良かった……)
私は一花のその言葉に心から安堵する。
「もうっ、一花~、私の感想も褒めてよ~」
「はいはい、千幸最高!」
「あ、今の適当じゃん」
二人の笑い声に私もつられて口角を上げる。そして一花がふと眉を下げた。
「あーあ、こんなに楽しい高校があと一週間で終わっちゃうなんて」
「寂しすぎる〜、卒業式の全体で歌う卒業ソング! あれ歌ったら絶対号泣ー」
千幸の泣き真似を見ながら、一花が私の肩をたたいた。
「でもほんと卒業は寂しいけど、アタシ、美波の卒業式のピアノ伴奏楽しみにしてるんだよね」
「あ! 私もー!すっごく楽しみっ」
「あ、うん……」
「音大行ってもしコンサートとかするときは絶対行くからね」
「うんうん、アタシも聴きに行くっ」
「……ありがとう」
担任の藤元先生しか知らないが、私は四月からの進学先を音大から一般の私立大にギリギリで変更したのだ。私は精一杯の笑みを二人に向けながら、心の中でため息を吐き出した。
予鈴が鳴ると同時に二人が席に戻っていく。そして今日も遅刻ギリギリでやってきた橋本くんが私の隣に座ると共に授業が始まる。
私はそっと自分の左耳に手を当てた。
(……もう一生聞こえないんだな)
半年前から──私には音が半分しかなくなった。
風邪を拗らせたことから扁桃腺が腫れてしまい、後遺症で両耳の聴力が著しく低下した。右耳の聴力は数日で半分ほどまでには回復したが左耳に至ってはもう音が完全に聞こえなくなって半年たつ。
医師の話だと大体三ヶ月、遅くとも半年以内に聴力は自然と戻ることが多いと言われていたが、私の聴力は戻ることがなかった。
「……であり……となる……」
(先生の声も聴くよりは、見るようになっちゃったな……)
私は藤元先生の口元をじっと見つめる。私は運動はからきしダメだが、勉強は得意な方なので授業が聞こえなくても問題ない。ただ授業中、質問に当てられる場合もあるため放課後、密かに図書室で口話についての本を読んで学んでいる。
「……か……て」
(あれ?)
微かに小さく聞こえてきた、藤元先生ではない声に私は机からはっと顔を上げた。左隣から無愛想な顔をした橋本くんが何かこちらに向かって小さく口を開いている。
私は音を拾おうと橋本くんに顔を寄せた。
「……なに?」
先生に気づかれないように私は橋本くんに聞き返した。
「……消しゴム貸して」
橋本くんがにこりともせずにそう言うと、大きな手のひらを差し出す。
(ほんと……無愛想)
私が顔をじっと見たからだろうか。僅かに橋本くんが私を見て微妙に眉を顰めた気がした。
(え? 何?)
「……はい」
私は平然を装いながら、筆箱から消しゴムを取り出すと怪訝な顔をした橋本くんの手のひらにそっと乗せる。何だか心臓が嫌な音を立てて、とくとくと少し駆け足になる。
(……耳が聞こえないことバレてないよね)
よく考えれば、橋本くんが私に向かって消しゴムを借りようと何回呼びかけていたのかわからない。
橋本くんは私から消しゴムを受け取ると、間違えたとみられるノートの文字をさっと消す。
「どうも」
そして、ぶっきらぼうな言葉と共に私に消しゴムを返した。
(やっぱり……苦手だな。ありがとう位、言えばいいのに)
私は綺麗な顔をしているが愛想のない橋本くんが苦手だ。
(男子とは笑顔でよく話すくせに……最後の席替えが隣とかハズレだな)
橋本くんはこの時期にはとても珍しく、ちょうど二週間前の二月下旬に転校してきた。
『訳あって隣の県から越してきました。橋本涼我です。卒業まであと数週間だけですが、宜しくお願いします』
サラサラの黒髪に綺麗な二重瞼。前の学校ではサッカーをしていたとかで背が高く、左の耳にはピアスが揺れていた。女子数人の目がハートになっていたことを思い出す。
(何不自由なく、色んなモノが恵まれてて……いいな)
私はありきたりでよくある挨拶に拍手で迎えられていた橋本くんを見ながら、どこか卑屈な気持ちが湧き上がるのを感じた。
音のある世界が当たり前で聞こえることが普通で、それがある日なくなってしまった私は以前よりも心が醜くなってしまったように思う。
みんなと同じ普通が一番。
大好きなピアノを続けられたらそれだけで良かったのに。音が半分しかなくなった私にとって普通と呼ばれるモノこそが何よりも大切で、そこからはみ出してしまった自分自身は何だか異質な存在になってしまった気がして苦しくてしょうがなかった。
そして普通と呼ばれる状態でなくなった事実を、誰かに伝えようだなんて考えただけても心が鉛のように重たくなって、いつしか自分を隠し偽ることで自分もみんなと同じ普通なんだと思い込むことに必死だった。
──キーンコーンカーンコーン
授業終了のチャイムが鳴って、私はため息混じりに国語の教科書を閉じた。
(えっと次の授業は……)
そして、私が黒板横に記載されている時間割を確認しようとしたときだった。
「……本ー、着替え……ようぜ」
低い声が聞こえてきて左隣に顔を向ければ、同じクラスの宇野くんがジャージ片手に橋本くんの肩に腕を伸ばした。
「今日持久走とか、ダルっ」
「だよな、俺もキライ」
「てか、橋本見学じゃん」
「あ、そうだったわ」
「おいっ」
宇野くんに痛くない程度に頭をポスンと叩かれながら橋本くんが白い歯を見せてニッと笑った。
(男子の前だと……あんな風に笑うんだ)
私はそんな二人の姿を見ながら机の横に掛けてあるジャージの入った鞄を手に持った。
「橋本、放課後、公園でのサッカーどうする?」
「あー、今日もパス」
「そっか、了解っ」
宇野くんはそう言うと橋本くんの首に腕を回したまま二人揃って教室から出ていく。
(……まだ足治らないんだ)
橋本くんは足を痛めてるのか、左足だけ微妙に引きずったような歩き方をしているのだ。
(でもいいじゃない。そのうち治るんなら……)
私は二人が出て行ったあとすぐに、何だかモヤモヤした気持ちが心の端っこを齧るように蝕んでいく。
「おーい、美波早くっ」
「おいてくよ」
私は教室の右側の扉から聞こえてきた千幸と一花の大きな声に視線を移すと、「今いくー」となるべく元気よく返事をしてすぐに駆け出した。
※※
「美波、また明日ね!」
「美波ー、まったね〜」
「うん、千幸も一花もまた明日」
放課後、いつものように私達は教室で挨拶を交わすとそれぞれの場所に向かっていく。
千幸はバレエのレッスン、一花はカラオケボックスへバイト。そして私は教室から二つ上の階に上がり、さらに隣の旧校舎にある図書館へと向かう。
(今日も空いてるな……)
私は元々読書が好きでピアノのレッスンの日以外は図書館で日が暮れるまで本を読んでいた。
主に読むのはミステリー一択だったが、いまは口話の本ばかりだ。耳が不自由になってからは読書を楽しむためというよりも学ぶためにここに来るようになった。
私は読みかけの口話の本を言語の棚から取り出すと、いつものように一番奥の席に座る。図書室の目の前はガラス張りになっており、運動場と背の高い時計が見える。
(えっと……前回は七六ページまで読んだっけ)
本当なら借りることさえできれば、持ち帰って家で学ぶことができるのだが、耳が不自由なことを周りに隠している私はこの本を借りる勇気がどうしても出なかった。
もし誰かに借りるところを見られたりしたら、不自由なことがバレて変な噂を立てられるかも知れない。皆んなから哀れまれたり、変に同情されるのはどうしても嫌だった。
耳が不自由になってから、そんなまだ起こってもない悪い想像ばかりをしては、私は暗い気持ちになって、以前よりもさらに内向的になった。
「やっぱ……ラとレの音が読み取りづらいんだよね……」
私は本を眺めながら、静かにため息を吐きだした。
(今度……お母さんが帰ってきたらもう一回聞いてみよ……)
私の母はピアニストをしており今も講演があれば三百六十五日、日本中を飛び回っている。私が幼い頃から音楽とピアノが大好きなのは母の影響だろう。
幼い頃、初めて観に行った母のコンサートで、母が煌びやかなドレスを身に纏い、母の指先から紡ぎだされる繊細なメロディーに観客たちが心を震わせ涙し、歓喜の拍手を送る景色は幼かった私にとって衝撃的で自慢の母になった瞬間だった。
──いつか私も。
そんな風に夢見てピアノに励み音大を目指していた私だったが、もう夢見た世界を実現することは難しいだろう。今まで思い描いてきた未来の景色は意図せず変わってしまった。
「……音大行きたかったな……」
母は聴力回復を信じてあらゆる病院に私を連れて行ってくれた。そして自分ができる限りサポートするから大学もこのまま音大へと言ってくれたが、私はどうしても頷くことができなかった。
耳が不自由になった私が音大へ行けば、音楽の世界では少し名が知れているピアニストの母の顔に泥を塗るような気がしたし、他の未来の音楽家を目指して入学してくる同級生たちより自分がスタート時点からはるかに劣っている気がして前向きになれなかった。
「……最後に卒業式の伴奏だけは……完璧に弾きたい……」
私が卒業式で弾く卒業ソングはは数年前に流行ったJ-POPで男性ボーカルが優しいメロディーに合わせて伸びやかに歌い上げているのだが、今度の卒業式では男女にパートを分けて主に女子生徒が高音のハモリをいれることになっている。
春に卒業式でのピアノ伴奏という大役を任されたときは嬉しくてしょうがなかったのに、今は重圧に押しつぶされそうだ。聴力が完璧じゃない故に音を外さないか、歌詞と歌詞の間の微妙な間を上手く空けて、歌いだしに合わせて弾くことができるか、不安を数え上げたらキリがない。
「はぁあ……」
私は口話の本を更に数ページ捲ったが、何だか気持ちが沈んできてそっと本を閉じた。その時、頭上から知っている声が聞こえてくる。
「……やっぱ聴こえてないんだ」
──え?
聞き覚えのある低い声に身体がビクンと跳ねる。
私がゆっくり振り返るとそこには橋本くんが立っていた。
「え……」
すぐに橋本くんは真後ろから、私の右側へと移動すると席に腰かけた。
「こっちなら聴こえるんだよね?」
私は目を見開いたまま硬直した。だって卒業式まであと一週間……ここまできたら誰にも知られずに黙って卒業したかったのに。
「あ、里田ごめん。いきなり……こんなこと言われて気に障ったってゆうか驚かせたよな」
「……お願い……言わないで」
「え?」
橋本くんが今度は目を丸くしてからすぐに大きく頷いた。
「別に……俺、誰かに言おうとか思ってないから」
その言葉が本当かどうかなんてわからないのに、私はとりあえずその言葉を聞けてほっとする。
「じゃあ……これで」
「え! ちょっと待てよっ」
グイと大きな手のひらで手首を掴まれて私は勝手に顔が熱くなる。
「な……に、離してっ」
「ちょ……」
橋本くんが何を言おうとしているのかは分からない。でも私は今すぐにでもこの場を逃げ出したくてしょうがなかった。
私がこの半年間、誰にも知られないように必死に隠してきたことを、まさか橋本くんに気づかれてしまうなんて。橋本くんは困ったように眉をさげると、さっきよりもゆっくりとした口調で私に向かって口を開く。
「なんで耳、不自由なの隠してんの?」
(──不自由)
不自由。自由じゃない。自由がきかない。
それはどれも『普通』を持ってる人が何気なく使いがちな言葉じゃないだろうか。そしてその言葉こそ、無意識に『普通』である人たちが私達、不自由な者たちをどこか見下しているような気がして、私はそれらの言葉を目にするだけで心に蓋をしたくなってくる。
(何にもしらないくせに……当たり前に普通を持ってるからって)
私は今まで誰にも見られないように知られないように、必死に隠してきた心の大事な部分に土足で踏み込まれた気がして、目の奥が熱くなってくる。
(泣くもんか)
「橋本くんに関係ないじゃないっ!」
私は強い口調でそう言い放つと、その場から逃げるようにして立ち去った。
──翌朝、私はいつもより重い気分で下足ホールから教室への階段を登っていく。昨日はあまり寝られなかったせいもあり、いつもより三十分も早く登校してしまった。
(あ……あとで図書館行かなきゃ)
橋本くんに耳のことがバレて逃げるように帰ったため、読んでいた口話の本を本棚に戻すのを忘れてしまったからだ。私はまだ電気がついていない教室の扉をガラリと開けた。
「……おは……う」
「え……っ」
直ぐに橋本くんと目が合って橋本くんが私に向かって挨拶したのが分かった。
私は蚊の鳴くような声で「おはよう」と答えると黙って席にすわる。
(なんで……橋本くん……いつも来るの遅い癖に……)
私が机に教科書を仕舞って行くのを橋本くんはただじっと眺めている。そして私が全ての教科書を仕舞い終えたのを見計らって、橋本くんが隣から一冊の本を差し出した。
それは私が昨日図書室で読んでいた口話の本だ。
「え、これ……」
「昨日はごめん。あと違ったらごめん。里田、この本借りたいけど、みんなにあのコト内緒にしてるから借りれなかったであってる?」
私は橋本くんの行動の意図がわからず困惑する。橋本くんが困ったように眉を下げた。
「あ、俺さ。昨日その本、徹夜して読破して……ゆっくり口の形に気を付けてなるべく里田の右耳に向かって発声するようにやってみたつもり……だけど、ごめん。急にできる訳ないよな」
「どうして……」
橋本くんが二重瞼をにこりと細めた。
「あ、やった。ちゃんと伝わってたんだ」
「あ、うん……聞き取りやすいし口の動きも大きくてゆっくりだから……」
「そっか」
橋本くんが照れたように頭を掻くと椅子の背もたれに背中を預けて、うんと伸びをした。
「当たり前ってさ……いつもそばにあるからその有難みとかってわかんねぇよな」
「……それはどういう意味? 同情?」
私はより正確に声を拾おうと橋本くんの方に座ったまま向き直る。
「同情? そんなわけないじゃん。共感」
(……共感……)
橋本くんもふいに真面目な顔になると、私の方に身体を向けた。そして私の目としっかり目を合わせた。その綺麗な顔立ちに、鼓動がひとつトクンと跳ねる。
「それも、純粋な共感だから。もし俺もそうだったらとかの想像からの共感とも違うし、家族にそういう人がいるとかで自分の事のように錯覚している人とも違うから。そんなんは混ざりモノのない純粋な共感とは言えないと俺は思ってて」
「えと……もう少し……分かりやすく言ってくれないと橋本くんが何いってるのかわかんない」
「あー、ごめん……何て言ったら里田が気を遣わないかなって思ってさ」
「私が橋本くんに気を遣う?」
怪訝な顔をした私を見ながら、橋本くんは暫く視線を膝の上に落とすと黙った。
私は訳が分からなくなってくる。でも橋本くんとこうして少しだが会話をしてみると、私の抱いていた何でも持ってる無愛想なイケメンという、表面的なイメージとは全然違う。
もしかしたら私と同じで特別好意がなくとも異性と話すのが苦手なのかもしれないな、なんてなんとなくそう思った。
「あの……ありがと」
下唇を噛んで考え事をしている橋本くんに向かって私は小さな勇気を出した。
「えっ? 俺なんかお礼言われるような事したっけ?」
「あ、あの……図書館で本借りてきてくれたし……その口話も勉強してくれて……」
「あ、いや。それは俺が昨日突然あんなこと言って、その……気を悪くさせただろ。そのお返しっていうのもあるけど、俺の自身の為でもあるからさ」
やっぱりますます意味が分からない。だって橋本くんは、間違いなく音のある、普通の世界に住んでいるのだから。
「里田……俺さ……」
「なに?」
下唇を湿らせながら橋本くんが意を決したように口を開いた、その時だった。
──ガラリッ
「橋……ー、おは……う、って早……じゃん……」
私が振り向けば、橋本くんとよくつるんでいる宇野くんが教室に入ってきた。
宇野くんは自分の机に鞄を置くとニカっと笑いながら橋本くんに向かって手を挙げた。
「おっす、宇野早いじゃん」
すぐに橋本くんも手を挙げると宇野くんに誘われるように二人で教室から出ていく。
(……橋本くん……何を言いかけてたんだろう)
私は首を傾げながら千幸達が教室に来る前に口話の本を仕舞おうと手に取った。
(あ……これ……)
見れば本には、ところどころに付箋が張り付けてある。そっと広げれば、男の子らしい大きな文字で『ここポイント』とメモが書いてある。
(橋本くん……)
私は思わずふっと笑うと大事に本を仕舞った。