「ま、待っ……て!」

 焦って小走りになった私は、思いっきり前につんのめり倒れこんだ。慣れない下駄の鼻緒が切れていた。
 なんだか自分が凄く惨めな気がした。不覚にも涙が浮かぶ。

 のっぽさんのほうを見ると、やっと私がいないことに気づいたようで、彼は辺りを見回している。

 背の高いのっぽさんは私からはよく見えるけど、小さな私はのっぽさんには見えないようだった。
 たとえ私が小さくなくても、こんなに袴姿の生徒が溢れていたら分からなくなるかもしれない。

「早瀬さん!」

 のっぽさんの低い声が私の名を呼んでいる。

 私は下駄で歩くのを諦めて、下駄を脱いで手で持つと、痛めた足をひきずって必死にのっぽさんを目指した。私にはのっぽさんの背中がしっかりと見えていた。

 気付いて! 気付いてよ! 私はここだよ!

 心で何度も叫んだけれどのっぽさんには届かない。それでも。

「っねえ!」

 力を振り絞った私の声が聞こえたのか、一瞬のっぽさんが止まった。こちらのほうを探している。でも、目が合わない!
 
 しばらくきょろきょろしていたのっぽさんは。辺りを探すのををやめて。頭を振った。

 次の瞬間のっぽさんが見せた悲しい顔に、私は胸がギュッと掴まれるような痛みを覚えた。
 彼は悲しそうに一度額に手をあてて。そして。自分の、その手を、見た。
 
 ヤッパリ、ツカンデオケバ、ヨカッタ。
 
 のっぽさんの心の声が聞こえた気がした。

 私の心臓がドクンと鳴った。

 諦めたのか、のっぽさんは再び電車のほうに歩き出した。
 私は歩いても歩いてものっぽさんの背中が遠ざかっていくのをどうすることもできなかった。
 やがて、のっぽさんを見失った私は、力が抜けて座り込んでしまった。

 人の行きかう駅の中、私はひとりぼっちで呆然と佇んでいた。
 ちっぽけな私。誰も気づいてくれない。
 でも。そんなことより。
 あの時見せた悲しそうなのっぽさんの瞳が脳裏に焼き付いて。

「ふえ」

 私は情けないけれど涙が溢れるのを止められなかった。

 のっぽさんの、馬鹿! 馬鹿! 自分が私と帰るのを望んだのに、私に気付いてくれないなんて! 

 違う。それも悲しい原因のひとつだけれど。

 なんであんな悲しい目、するのよ! 私は、のっぽさんにあんな顔させたいわけじゃない!

 私は思って自分で驚いた。
 なんでそんなふうに思うんだろう。
 でも、私の知っているのっぽさんははにかんだ笑顔が似合うんだ。
 そう。あたたかな、優しい笑顔が。

 あれ? なんで私、そんなこと知ってるんだろう?

 泣いている私に気づいた人たちがちらちらと私を振り返る。

 はあ。

 私はため息をついた。

 なんで私は卒業式の日にこんなに情けないことになっているんだろう。
 持田君と帰ればよかったのかもしれない、と一瞬思って頭を振った。
 それはダメ。あんなに真剣な想いに嘘で応えるのは駄目だ。
 
 私は涙をぬぐった。いい加減、帰らないと。
 もともと一人で帰る予定だったのだ。しっかりしよう。

「おい」

 今日はよく肩を叩かれる。ぼんやりそう思って、私はよく知った声の主を振り返った。

「夕璃、こんなところでなにしてんだよ?」
「……ちょっといろいろあってね。大和こそ一人?」
「痛いとこついてくるな、お前。誘ったよ、好きな人。告白したけど、玉砕した」
「それで一人……」
「一人一人うるさいな」
「ごめん」
「夕璃こそ一人なわけ? って、なにそれ、持ってんの下駄?」
「うん……。鼻緒が切れてね」

 ずぴっと鼻をすすりながら答える。

「え? 泣いてたの? えっと、失恋した、とか?」
「違う」
「じゃあなんで泣いてんだよ?」
「だから、いろいろあったんだって」

 私は大和に肩を貸してもらい、電車に乗った。
 電車の中で大和に一連の出来事を話した。話しているとまたのっぽさんの目を思い出して、私は鼻をすすった。

「まあ、なんというか……大変だったな……」
「うん……」
「まあ、夕璃は今まで経験したことがないことを一気に経験しちゃったって感じだな」
「うん」
「一つ大人になったってことだよ」
「大和に言われたくないよ」
「だよな~」

 大和と話していると、自然と笑顔を取り戻している自分がいた。

 でも、やっぱり大和は好きとは違う。私は確信した。