「はい、できたわよ」

 卒業式当日。
 姿見に映る私はいつもの制服姿ではない。
 深い赤の布地に大きな花柄の入った着物と紫の袴姿だ。母が気合を入れて着付けをしてくれた。
 つい珍しくて鏡の前でくるくると袖を振ってみた。そんな私を母は目を細めて見ている。

「夕璃はどんな男の子と帰って来るのかしら? 楽しみだわ~」

 母の言葉に、私は途端に不機嫌になった。

「……お母さん。だから、私は好きな人いないって言ってるじゃん」
「分からないわよ~? お誘いがあるかもしれないわ」

 語尾にハートマークがつきそうな勢いで母は言う。

「一人で帰ってくる予定なの!」

 語気を強めて言ったけれど、母はくすくす笑ったままだ。

「お、夕璃。その格好、そうか、今日は卒業式だったな」

 パジャマ姿で一階に下りてきた父が私の姿を見て声をかけてきた。

「お母さんもそれは綺麗だったが、夕璃も可愛いぞ」
「そうよ。ほらほら、笑顔笑顔。夕璃は可愛いんだから自信もって!」

 自信はないけれど、とりあえず母に言われた通りに笑顔を作ると、鏡の中のちっさな私がへにゃっと笑った。




 春之宮高校には変わった風習があって、卒業式のときは卒業生は皆袴を着る。

 そして、これは風習ではないけれど、卒業式の後に男子は意中の女子を誘って帰るというのが慣例となっていた。まあ、現在では女子が好きな男子を誘って帰るということも増えているのだが、そういうわけで、卒業式が近づくと男子も女子もそわそわしていた。そんな空気が夕璃には居心地悪いことこの上なかった。
 恋愛イベント大好きな母もこうして心踊らせている。もともと春之宮高校出身で、卒業式に一緒に帰った父と結婚したからかもしれない。正直羨ましいといえば羨ましいけれど、今の私にそんな慣例は関係ない。
 私はまだ恋をしたことがない。そして、私を好きな男子がいるとも思えない。


「別に好きな人がいなくても生きていけてるもん」
「……そうね。でも好きな人がいると世界が輝くのよ。夕璃にも体験して欲しいわ」

 私の言葉に母はしみじみと言った。

 世界が輝く、ね。私は今でも十分楽しいけどな。