「俺は……早瀬さんを泣かせるの? 笑顔にしたいのに……!」

 ああ、だめだ。
 こんな顔をさせたくて言ったのではないのに。
 私は焦る。楠君の悲しい顔は、私をどんなことより苦しく、悲しくさせる。
 私は自分の胸がきゅーっとなるのを感じた。

 なんて言ったら伝わる? 楠君を笑顔にできる?

「違うの! あの、あのね! 楠君の悲しい顔は、私の涙腺を崩壊させるの!」

 言った私の瞳から、涙がぽとりと落ちた。
 楠君は驚いたように私を見つめている。

「私、楠君の穏やかな笑顔が好きみたい。だから、駅でされたような顔をされると、とても悲しい」
「駅?」
「私を見失ったとき」
「俺、どんな顔してたのかな」
「酷く悲しい顔。今も、楠君が悲しい顔するから、胸が痛い」

 楠君の瞳に私の小さな泣き顔だけが映っていた。

「俺も早瀬さんが悲しいと悲しいよ」
「え?」

 楠君は一度テーブルに置かれた自分のハンカチを見て、それがぐしゃぐしゃになってしまったことに気付いたのか、ちょっと困った顔をした。そして、私の顔に遠慮がちに手を伸ばしてきた。楠君は私の涙を大きな手で腫れ物に触るように優しくぬぐった。

「早瀬さんが泣くと、悲しくて、どうしていいか、わからなくなる」
「ふえ」

 私はその大きな手に安心して、ますます涙が止まらなくなった。楠君は困ったような顔のまま、私の手に被せていたもう一つの手で私の頭をぽんぽんとあやすように撫でた。

「泣かないで大丈夫、早瀬さん。俺はもう悲しい顔しないから」

 そう言われてもなかなか泣きやまない私に楠君はぽつぽつと話し始めた。私もそれに応えるように話した。

 楠君の身長は今は百八十四センチであること。私の身長は一年のときから変わっていないこと。楠君が図書室に来ていたのは、私が図書委員だったからだということ。私は楠君が助けてくれることが自然すぎて、甘えちゃっていたこと。楠君はどうしても私と一緒に帰りたくて、強硬手段をとってしまったこと。驚いた私は名前がでてこなくて、心で楠君をのっぽさんと呼んでいたこと。

「のっぽさん?」

 複雑そうな顔をした楠君に私は吹き出した。

「うん。だって、ぴったりだよ」
「……のっぽさん……」
「ごめん!」
「おちびさん」

 楠君の言葉に、むーっと私は顔をしかめる。

「それは嫌だな、確かに。なんか馬鹿にされている気がする。あ、でもね、私は楠君を馬鹿にしてのっぽさんって呼んでいたんじゃないよ?」
「うん」

 楠君が笑ったから、私も笑った。

「やっぱり、笑顔がいい」

 楠君がそう言って赤くなったから、私もなんだか恥ずかしくなってしまった。

「あ、ありがとう」

 やっぱり、笑顔がいい。
 それは私も楠君に対して思ったこと。

 この気持ちをなんて言うんだろう?

 大学は同じところを受けているのが分った。私立も地元を受けたから、たぶん同じ県になるんだろう。そう思うと少し嬉しかった。
 もう少し楠君のことを知りたいと思った。

「同じ学校だといいね」

 言った私に、楠君は少し眩しそうな目をして、

「うん」

 と頷いた。