「んで、いつ結婚すんの?」

「気が早い」

「早くねーよ! もう二年付き合っただろ、もういいよ、適齢期だよ俺たち」


 二年間部署移動もなく平和にやってこれたのは色人と涼嶋の業績だけが特に抜きんでてよかったからで、あれから特に仕事は代わり映えしていない。
 満と付き合い始めたとうっかり、本当にうっかり強い酒を飲み、つい酔って、酒の席で大声を出してしまった……というのは冗談として、さすがに秘書課に彼女がいるといえば横恋慕しようという女性は営業や経理にはいないらしかった。


「毎週ノー残業デーはほぼ確でデートしてるもんな。マメだよなあ」

「涼嶋はどうなんだ、工藤愛理と。いやもう涼嶋愛理になったんだったな」

「それまだ言う?」

「先月の話だろ、いまイジらないでいつイジるんだよ」


 仕事は特に変化はないが、私生活にはある程度波があった。
 色人と満が付き合い始めてしばらくしてから涼嶋と愛理も付き合い始めたのだと報告されたときはさすがに因果関係に首を傾げた。
 なんでも色人が話していたことが愛理には筒抜けだったらしいと聞いた時には少しばかりの殺意も芽生えた。
 だからなのかいつの間にか涼嶋も奇病のことを知っていた。満は涼嶋と愛理が連絡をとってることは知らなかったそうだが。
 それでいてさらにサクッと結婚してしまったのだからなにがあるかわからないものだ。


「今日はどこ行くとか決めてんの? そういや愛島さん今日有給とってるから外で待ち合わせすんのか」

「ああ、昼間はお前の嫁さんと会ってたからな。なんか新宿に新しく店ができたとかでそこに行きたいって」


 定時の鐘がなる。さっさと荷物をまとめてパソコンを落として涼嶋と並んでオフィスをあとにする。


「今度二人もうちで飯でも食おうぜ」

「ああ、じゃあ邪魔しようかな。繁忙期が終わればだけど」

「ほんとにそれなんだよな」


 山手線ホームへの階段を上っていく涼嶋に軽く手を振り、色人は中央線へと足早に進む。
 発射間際の高尾行きへ乗り込んで流れる夜景に目線を投げた。
 結局、もう少し、を重ね続けて二年も経ってしまったし今更彼女を置いていくほうが無理だなとさえ思う始末。
 二人とも病状は悪化も改善もせず、いまだに月に一度は瀬戸口と顔を合わせている。
 問題は山積みだし、無いといえば無い。あの日の宣言通り、色人は満の声であるし、満も色人の目であるからだ。
 人ごみを縫って東口改札から地上に出る。ライオン広場にまだ彼女はいない。
 アルタ前の横断歩道の向こう側にそれっぽい人物を見かけて歩道側に歩いていたら視界の右端が大きく曇った。

 刹那。
 キイイッ、ガンッ、ガシャンッ、バリンッ

 たくさんの大きな悲鳴と金属音、ゴムの焦げるにおいがしてあたりが騒然とする。ああ、交通事故だと冷静にしている自分が上から見下ろしているようだった。
 慌てて人ごみをかき分けて前に出る。彼女に似た人影を探す。
 いない、いない、いない。杞憂ならそれでいい、似ただけの他人ならそれでいい。
 呻きながら破片の合間に倒れこむ人や手を貸す人たちの顔を一つずつ確認していく。


「おい! 車の下に女の人がいるぞ!」


 そんなことは、ないはずだと手を貸す数人に交じって自分も車体を押しのける。
 輪郭のぼんやりした車体、つまり赤い車なのだろう。
 同じように、視界のアスファルトの大部分もおなじようにぼんやりとモザイクがかかっている。
 その真ん中で、青いワンピースの女性が倒れこんでいた。
 嘘だ、嘘だ、嘘だ。そんなわけない。
 スーツに血が付くのも構わず、膝をついて彼女を見る。顔の半分が、うまく見えない。


「満、満! 聞こえるか、満!」


 手を取るとまだかすかに温かった。
 頭を打ったのだろうか、かすかなうめき声が聞こえ、それをかき消すようなサイレンが遠くに聞こえる。


「しき、」

「救急車が来るからな、しゃべらなくていい、きっと助かるからだから」

「しきと、さん」

「満、大丈夫だ、大丈夫……」

「わたし、あなたを、あいしています」


 音が消える。どうして今、そんなことを言うんだ。助かるのに、まだこれからがあるのに、いまここで忘れられてしまったら


「満、満? 満!」

「通してください! 関係者の方ですか?」


 真っ白な車体と、救護服を着た隊員たちにやんわりと制止される。
 いつのまにか視界が酷くクリアになってきて、世界の半分が濁っていたんじゃないかと思うほどだった自分の目線の先には横たわった彼女と、その手をとって首を振る救急隊員の姿があった。


「あなたはケガしてませんか、聞こえますか? どこかケガをしていますか?」

「俺は、どこも……満が、彼女が……」


 息を飲む音が聞こえる。
 十数年ぶりに世界の姿を見た。


「あ、あ……あああぁ……ああああああああっ」





 フィルターの外れた世界は残酷なまでに美しく、世界で一番好きな人を彩る色はそれはそれは綺麗な赤色をしていた。