「はぁ、はぁ、はぁ。ぇ、えっと、本殿、奥……お稲荷、様っ」
 千本鳥居。祭場。玉山稲荷社――来た道を走って戻ってきた聖花は本殿の前で足を止めた。


「ぉ、落ち着いてぇ」
 聖花は幾度かの深呼吸をして心拍数と体力を整える。目の前には登り口。伏見稲荷大社の本入り口とも言えるであろう本殿奥の大きくて立派な鳥居が一墓立っていた。両側にはお稲荷様が凛と構えている。
 月光と聖花が照らすスマートフォンの明かりしかない。かなりの不気味さを漂わせていた。お化け屋敷やホラー映画はいける口の聖花でさえ、恐怖を感じる。


「えっと、左側の銅像。巻物を咥えているお稲荷様やね」
 左側のお稲荷様の前に歩み寄り、向かい合うように足を止める。
 なにかお怒りなのかと思うほど吊り上がった目に、巻物をぎゅっと咥えて凛と立つ姿をしたお稲荷様。幼子ならば恐怖で泣き出してしまいそうだ。


「こ……っぅ~」
 恐怖に怯えるのは聖花も同じこと。それでも、怖い。という言葉を飲み殺す。お稲荷様に対して失礼だと思ったのだろう。


「銅像の左側。巻物を咥えたお稲荷様の目の前に立ったら、例の呪文的なモノを唱えるんやったね」

 聖花は今しがたメモしていた言葉達を熟読し、脳に覚えさせる。一言一句間違えてはいけない。ということが聖花のプレッシャーを増幅させていた。


「ふぅ~」

 聖花は一度深く息を吐き、気持ちを落ち着かせて呪文へとうつる。


「我が、恭稲探偵事務所への依頼者である。恭稲白様と契約を交わした身。名は、碧海聖花と申す。直ちに、お稲荷様の知の秘法を」

 聖花は一言一句間違えず呪文を言い切り、ふぅと安堵の息を吐く。が、変わったことは何も起こらない。


「……あれ?」

 聖花は首を傾げる。脳内では、自分は騙されたのだろうか? このままでは真夜中に変な呪文を唱える変人ではないか。と、負の想いがループした。
 巻物を咥えるお稲荷様がドライアイスのような白い光にもわもわと包まれることで、聖花の負の想いはすぐに払拭されることになる。


『嗚呼。白様はまた新たな人間をよこしてきましたね』

 どこからともなく溜息交じりの不機嫌な声が響く。例えるならば、ヴァイオリンのD線からA線のような柔らかな色香と共に、どこか熱を感じる声音だった。


「⁉」

 聖花は後ずさり、勢いよく辺りを見回す。驚きで声もでない。


『どこを見ているのですか? こちらに決まっているでしょう? 貴方が呼び出しておいて慌てふためかれるのはやめてもらえますか。余計な手間をかけさせないで下さい。全く。何故貴方達はいつもいつも同じ反応ばかりするのですか。よくもまぁ飽きないことです』

 柔らかで紳士的な声音と口調は気を許しそうになるが、こちらも白に負けず劣らず、毒舌な言葉達が巻物を加えるお稲荷様から響く。


「ぁ、えっと。すみません。碧海聖花と申す者です」

 心底面倒くさそうに話す声が響き、聖花は恐怖も相まって身を縮こまらせる。


『えぇ、本当に。今宵は夜明けまで良き夢に浸れるだろう、と思っておりましたが、貴方のおかげで起こされてしまいました。ですが、名を再度申したことは褒めてあげましょう。私の名は、“()(はく)”と申します。まぁ、覚えずともよいです。どうせもう会うこともないでしょう。白様は一度で依頼を終末させるお方ですから。貴方は、あのお方の凄さを知らぬでしょう?』

 ()(はく)と名乗るお稲荷様は、滑らかな口調で聖花に問う。


「えっと、その……薔薇のようなお人だ……ッ!」
『違う! 白様を貴方達と同じ住人にするなッ』
 智白は聖花の言葉を遮る。そこに紳士的な柔らかさは存在しない。お稲荷様のお怒りを買ってしまった聖花はビクリと肩を震わせる。
『失敬』
 一謝りをいれた智白はコホンと咳ばらいを一つして、話を続けた。


『私は貴方達に嫌悪はしません。ですが、白様と貴方達を同等に見ることは許せません。いえ、それは許されぬことなのです。確か薔薇という植物は刺があるものでしたね。貴方がいうその例えは一種の嫌味ではないのですか?』

 智白は威圧感のある声音で問う。月明かりに佇むお稲荷様の銅像に睨まれる気持ちになる聖花は、これはいけないと慌てて口を開く。


「ち、違います。お気に障ったのならすみません。薔薇に例えたのは嫌味や皮肉ではなく、私のような小娘が容易く近づいてはいけないような……そう! 特別高貴であると感じたからです」

 智白の立腹オーラに焦る聖花は顔の前で両掌を左右に振りながら、がぶりを振って否定する。


『ほぉ。貴方は中々分かっているようですね。如何にも。本来であれば、白様と貴方のような小娘が言葉を交わし合うことですら恐れ多いこと。長年仕えている私ですら、迂闊には近づけぬお方なのですから』

 智白は聖花の言葉と態度に納得したか、満足気に頷くように言った。


「仕……える?」
 聖花は智白の言葉が引っかかり、問いかけるように呟く。


『嗚呼。私心(ししん)を持ち込みすぎてしまいましたね。このままではまた白様のお叱りを受けることになってしまいます。さぁ、これを持ち帰りなさい』

 智白は聖花に答えを与えず、知恵を授ける。
 智白の銅像の下に「カサッ、カッチャン」という小さな音を立て、小さなアイテムが落ちてくる。


「⁉」
 一体どこから落ちてきたのかと、聖花はアイテムと銅像を交互に見る。


『何をしているのですか? 早く受け取りなさい』
「は、はいッ!」
 智白に急かされる聖花は慌ててアイテムを手に取った。

「ピアス……ですか?」

 智白が聖花に与えたアイテム。それは、大振りのスワロフスキーがゴールドの丸い枠に埋め込まれているアクセサリーが透明のファイルに貼られている物だった。


『如何にも。それは貼るピアスというものです。依頼者の身体に負荷がかからぬように作られた代物。耳が痛むことも、頭が痛むようなこともありません。医療用テープという物を使っていますゆえ、肌荒れなどのトラブルも心配ないでしょう。全く。人という者は、ずいぶんと繊細な生き物なのですね』

 智白はどこか少し哀れむような溜息を吐いた。


『何をしているのですか? 早く身につけていただけますか? それとも、身につけ方すら分からぬのでしょうか?』


「い、いえ。分かります。すぐにつけます」

 聖花は慌てて左サイドの髪を耳に引っかけ、二つのうち一つをポケットに直した。
 ピアス穴のない聖花は、学校が休みの時などに多種多様のイヤリングを楽しんでいた。そのため装着の仕方は既に熟知していた。

 透明フィルムと持ち手にあたる金色の部分を白の無地パッケージ台紙から貼るピアスと一緒にはがす。次に聖花は、持ち手を切り離さないようフィルムからはがし、耳たぶの真ん中辺りにピアスを数秒押し当てた。ミラーを持ち合わせていないため、ほぼ感覚頼みだった。


『その位置で問題ないでしょう。右側も身につけるのですよ』

 智白は聖花の些細な不安を感じ取ったのか、先生のような口調でそう声をかける。口も態度も悪いが、根は良いお稲荷様なのだろう。


「ありがとうございます。これは、ずっと身につけておくのですか?」

 と、持ち手を横に引っ張って台紙と貼るピアスを切り離す。ピアスはぴったりと聖花の耳たぶにくっついている。どうやら装着はバッチリなようだ。


『もちろんです。防水対応していますので滅多なことでは外れません。貴方が故意に外そうとしなければずっとついていることでしょう』

 智白は同じ要領で右耳にも装着していた聖花に深く頷くように答える。


「学校に行っているあいだはどうすればいいですか? 私の高校はアクセサリーや毛染めなど禁止されているんですけど」
 貼るピアスを装着し終えた聖花は困ったように問う。


『気にすることはありません。私が渡す物達は全て、結界のようなもの。結界をはった白様。それを預かりし者。そして、その結界に守られる者にしか見えないようになっています』
「そうなんですね。では安心です」
 気がかりなことが払拭された聖花は胸を撫で下ろす。


『白様はちゃんと考えておいでなのです。後、こちらも身につけていなさい』
 智白はそう言ってまた新たなアイテムをだしてくる。


「ザッ、カチャン」
 少し鈍く響きのない音と共に現れたのはネックレスだった。そのデザインは少し特殊だ。


 日本刀の持ち手の部分とされる(なかご)と、刃と茎を繋ぐ(はば)()がシルバーの金属で捻じられたように作られたデザインをしている。
 刃の部分には“4000”という数字が刻印されており、(みね)の部分には大振りのシルバーストーンが一つ。その隣、しのぎの部分には大振りの真珠の半球が埋め込まれており、その隣にはまた大振りのシルバーストーンが一つ埋め込まれていた。
 ホワイトゴールドで作られた日本刀のデザインは細部までこっている。切先が下になるようにホワイトゴールドチェーンがついた大振りのネックレスで、どちらかというと男性向きのような印象だった。


「か、カッコイイ」
 パンク系や男性的ファッションを好む聖花にとってはときめくデザインだったようで、素直な感想が零れる。


『白様がデザインされたのです。当たり前でしょう』

 智白はどこが得意気に声を響かせる。人という実態があるなら胸をはっている姿が想像できる。


(ほんまに恭稲さんのことが大好きなんやろなぁ)
 そんなことをぼんやり思っていた聖花にご機嫌な智白は言葉を付け足す。


『それも二十四時間身につけていなさい。眠っている時も外してはいけませんよ』
「はい」
 と頷く聖花。
『良い返事です。嗚呼。あともう一つ渡さなければいけないものがありました』


(なんか色々と与えてくれはるなぁ。次は何がでてくるんやろぉ?)
 ネックレスを身につけていた聖花の足元にカサッという軽い音を立てて、新たなアイテムが現れる。
 聖花はネックレスを身につけるためにライダースジャケットの左ポケットにしまっていたスマホを右手に、落ちてきたものを恐る恐るライトで照らす。


「か、可愛いっ!」

 ネックレスに続き、こちらのアイテムも聖花の心にヒットしたようだ。
 聖花は今日一の明るい声を上げながら俊敏にしゃがみ込み、ぬいぐるみストラップを左手で拾った。掌サイズの白狐マスコットだった。


「白狐のストラップみたいですけど、これは私が知っている白狐ストラップと異なりますね」

『無論です。それはこの場が扱っている品物ではありませんから』

 智白は聖花が知っているストラップを察し、頷くように答える。
 聖花が言うのは、伏見稲荷大社に存在している、なんとなくおとぼけ顔をした白狐ストラップのことだろう。
 聖花が知っていたものは、大人女子でも持ちやすいスリムな白狐に対し、こちらは片手に納まるサイズでコロンとしている。ちびキャラ風な作りが子供受けしそうだ。耳と尻尾の先が赤く彩られ、尻尾はモフモフと太い。麿は麿は~。とでも言いだしそうな眉毛。まん丸い瞳とほんのり桃色に色づく頬がなんとも愛くるしい。
 素材は縮緬《ちりめん》で出来ており、中には綿かなにか柔らかいモノが入っているのか、触り心地のよいモフモフさが安心感を与えてくれる。


「ぁ、瞳の色が恭稲さんと似ていますね」

 聖花は白狐の瞳の色と白の瞳を重ねる。


『えぇ。それは白様の分身のようなものですからね。必ずや貴方をお守り下さることでしょう。それも肌身離さず持ってなさい』

「分かりました」

 聖花はスマホケースについているリング部分にマスコットをつける。


『私が貴方に授けた物は全て貴方を守るためのもの。安心しなさい。じゃぁ、私は今一度眠りにつかせてもらいます。貴方は帰るも、夜が明けるまでここにいるのも好きにしたらいいです。では……』

 智白はそう言うと身体を白く発光させる。


(ぇ、終わりなんっ⁉ 詳しい説明とかあらへんの? このアクセサリーやストラップでほんまに大丈夫なん?)
 焦る聖花は白狐ストラップと智白を交互に見る。


「ぁ、あの~……」
 聖花は恐る恐る声をかけてみる。
 智白は、自分がすべきことは果たした。とばかりに無反応を決め込む。うんともすんとも声はなく、何が起こるわけでもない。聖花の目の前に佇む智白は、月光に照らされたお稲荷様の銅像へ戻ってしまった。


(なっ、なんなんよ! もぉッ)

 聖花は不服さを吐き出すように荒い鼻息を一つ吐き出す。


「スマホの充電が切れる前に帰ろ!」

 聖花は木刀を右手に担ぎ、スマホで辺りを照らしながら帰路を走るのだった――。

  †


 二十××年十二月十五日。
 深夜三時。

 本革と天然木が融合された高級感溢れるレザーチェアで長い足を持て余すように組み、余裕のある作りをした背もたれに背を深く預ける二十代後半程の青年が一人、目の前のパソコンを眺めていた。
 その画面には聖花が撮影されたという三枚の写真の内、正面から撮影された登校中の聖花の写真が映し出されていた。


 青年の背後にある大きな窓ガラス。開け放たれたウッドブラインドから差し込む満月の自然光と、人工的な明かりのブルーライトが青年を怪しく照らす。恭稲白だ。
 横幅130、奥行き90、高さ80センチ程の英国クラシックデザインの対面式デスクは、深煎りさせたフレンチローストのコーヒー豆のような色合いが、何とも言えない上質かつ優雅さを感じさせる。


 そのデスクの真ん中に主体となるノートパソコン。左にノートパソコン、右にタブレットが卓上スタンドによって宙に浮いている。
 タブレットの下にはスマートフォンがスタンドに立てかけられており、宙に浮いているノートパソコンの下には、高さ22センチ程ある白の陶器キャンディーポットが置かれていた。

 それら端末の他、デスクの上にはキャンディーポットと、純喫茶などにある呼び鈴が置かれていた。それ以外は何もなく、スッキリしていた。
 書類や筆記など他の物は、九つある引き出し其々に収納されており、用途に合わせて出し入れするのだろう。


「白様、珍しく難しい顔をされていますね」

 仮眠室の出入り口の壁に背を預ける男性が一人、ヴァイオリンのD線からA線のような柔らかな色香と共に、どこか熱を感じる声音を恭稲探偵事務所に響かせる。暗がりで男性の姿はよく分からない。


「智白はどう思う?」
「さぁ、どうでしょうね。私はあの方のことについて詳しく存じ上げませんから。ただ、白様のお役に立てることがあれば何なりとお申し付け下さい」

「嗚呼」
「では……」

 智白は主に使える有能な執事のごとく胸に手を当て頭を下げると、自室かつ仮眠室である部屋へと消えていく。


 事務所に残された白は一人、駄菓子屋などにある串刺しのイカゲソをキャンディーポットから取り出して噛み締めながら、パソコン画面に映る聖花を、考え深げに見つめ続けるのだった――。