二十××年十二月二十三日。
 深夜零時。
 

 本革と天然木が融合される高級感溢れるレザーチェアに長い足を持て余すように組み、余裕のある作りをした背もたれに深く背を預けている二十代後半ほどの青年が一人。


 青年はその右手に持つ一枚の写真をどこか慈しむように、だけどもどこか苦しそうに眺めていた。
 青年の背後にある大きな窓ガラス。開け放たれたウッドブラインドから差し込む月光が青年の濁り一つない白髪を輝かせる。


「白様、明かりもつけずに考え事ですか?」
 ヴァイオリンのD線からA線のような柔らかな色香と共に、どこか熱を感じる声音が恭稲探偵事務所に響く。

 白髪(はくはつ)には少しツヤやハリがない印象があるものの、それは白同様に年齢からなるものではない。
 真ん中分けセミロングにセットした五十代前半程の見目を持つ男性が、牛革で作られたA五サイズほどの白色が印象的なシステム手帳を手に白を見る。
シャープなフェイスラインに、少し煌めきが薄れたパープルスピネルを彷彿とさせる瞳。目尻や口元にほんのりある皺が年齢を感じさせるが、その整った顔立ちは人間離れをしており、白と並べば圧迫感や威圧感さえ与える――智白だ。


「事件をまとめてくれているのか?」
「えぇ。その後、黒崎玄音は?」
「さぁな。洗い浚い吐かせた後、一番近くの河川敷に捨ててきた」
「その結果?」
 智白は出入り口の壁に背を預け、システム手帳に万年筆で文字を綴ってゆく。最新デジタルを駆使する白に対し、智白はアナログ派だ。


「一応GPSもスーツの内ポケットに忍び込ませたが、何者かに壊されたようだ。黒崎本人が気づき壊したのか、それとも……」
「例の者の仕業か――。それで、何故碧海聖花の記憶も消されなかったのですか?」
 白は通常であれば、依頼者の事件を解決し、契約期間が終了した時点で、依頼者とその事件に巻き込まれた人物達が持つ一定期間の記憶を、一つ残らず消去していた。
 一度知ってしまえば、知らなかった頃には戻れない。何かの拍子で依頼者が口を滑らし、白達の存在が公にされてしまう危険性がある。
 恭稲探偵事務所へと繋ぐ暗号の答えがネットに出回らないのは、それが一番の要因だった。依頼者が契約を守っているわけではなく、白達が裏から手を回し、自ら守っていただけに過ぎない。


「碧海聖花は別だ」
「あの事件に、あの人に繋がっているかもしれないから――ですか?」
「さぁな」
 白はそれ以上の詮索は不要だとばかりに持っていた写真を手帳にしまう。

 そんな白に小さく肩を竦める智白は、高さ174cm、横幅95cm、奥行き50cm程の英国クラシックなブックショルフの前に歩み寄る。
 スーツの左ポケットから鍵を取り出した智白は、ガラス引戸書庫を開ける。
 下段にはワインレッド色のシステム手帳が十冊収納されており、上段には、智白が持つシステム手帳と同じ物が一冊置かれていた。
 恭稲探偵事務所は今年設立したばかりでありながら、依頼者は白が選びに選び抜いている。白の目的は事務所を経営させ、探偵として生き続けることでないのであれば、手掛けた事件数は多くないだろう。
 それでも探偵としてやってゆけるのは、天性のものと、下積みのような時代を経験してきたことが大きいだろう。


「碧海聖花はどうしますか?」
「あの者へ」
「かしこまりました。西条春香のほうはどうなされますか?」
「暫くは様子を見る」
「かしこまりました」
 白の指示を読み取った智白は、持っていたシステム手帳を上段に収納する。背表紙には、[恭稲探偵事務所、真実の事件ファイルⅠ]と、バイオレット色の文字で刻印されていた。




「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば――」

 闇夜に薄く差し込む月光の中、望月の歌を囁くように口ずさむ白の声が、どこか寂し気に恭稲探偵事へ響くのだった――。