大人気店の店長クマちゃんは現在、野営地になった湖を囲うように休んでいる冒険者達のお腹を満たすため、彼らの様子を観察している。
「なぁ……めっちゃ見られてねぇか」
「……ああ」
「なんかさぁ……メモ取られてねぇ?」
「何書かれてんだろ……」
「メモ帳見てなくね?」
「早い早い早いめちゃくちゃ書き殴ってる」
「頷いてる」
「まじ何書かれてんだあのメモ」
クマちゃんは彼らの様子を見ていて解った。
彼らは魚を欲している。
今のままだと凄腕の釣り師クマちゃんでも全員をお腹いっぱいにするのは難しいかもしれない。――あの方法を試してみよう。
ルークの所へ行かなければ。
一番お腹が空いていそうな冒険者の顔はメモ帳に描いた。空腹感がにじみ出ている。二番目以降は後でもいいだろう。
うむ。もこもこの手でリュックの中にメモ帳とペンをしまい、彼を目指し駆け出す。
「あ……片付けるらしいな」
「……ああ」
「リュック下ろすの大変そうなんだが……」
「手伝っていいのか?」
「いや、なんとか出来たらしい」
「背負うのも大変そうなんだが……」
「……もしかして走っているか?」
「どうだろうな……」
元気じゃない声が聞こえる。急がなければ。クマちゃんは一生懸命手足を動かしルークの元へ走り続けた。
「なんかせつねー。誰か運んでやったほうがいいんじゃねーか」
「あ、じゃあ俺連れてくわ」
彼らの中のひとりが、クマちゃんを抱き上げてくれた。
どうやらルークの元へ送り届ける為、力を振り絞ってくれたようだ。
「ルークさんクマちゃん連れてきました」
「ああ、悪いな」
冒険者の彼は凄いスピードで、クマちゃんを別荘前の地面に座り休んでいるルーク達の所まで運んでくれた。
早く彼らのお腹をいっぱいにしてあげたい。
「クマちゃんどしたん。なんかさっきからウロウロしてんだけど」
「何かしたいことがあるのではない? クマちゃんはいつも一生懸命で素敵だね」
ルークの腕の中で、自分を撫でてくれていた彼の長い指を一本借りて咥える。
「まじでその授乳みたいのなんなの」
「……リーダーが指に魔力を集めているのが答えだと思うのだけれど。でも、少し心配だね。何故クマちゃんの魔力は弱々しいままなのだろう」
「…………」
ルークに、フワリ、フワリと優しく撫でられながら魔力をもらう――――危ない。寝てしまう。
自分には使命があるのだ。こんなところでくじけるわけにはいかない。
「なんか今目がカッと開いたんだけど」
「うん。可愛らしいね」
「ああ」
魔力をたくさんもらい、大人気店の店長としての仕事をするためにルークの元から旅立つ。
「クマちゃんあっち行くんじゃねーの?」
「クマちゃんは寂しがり屋さんみたいだからね。リーダーの近くに居たいのではない?」
「んじゃそんなじっと見て無くても大丈夫か。――今日、マスターから聞いたやつだけどさー。遺跡とか少女とかよくわかんねぇけど、こんだけ毎日森で戦ってて女の子なんて誰も見てないんだし、俺らが森で探すとしたら遺跡の方じゃね? それか、クマちゃん家の鏡に浮かんだ情報ってことは、クマちゃんが探すの前提なかんじじゃん? でもクマちゃんが森で遺跡と女の子探すのなんてマジぜってー無理だから。それなら街で女の子探した方がいーんじゃねーの?」
「そうだね……君の言いたいことはわかるけれど、マスターはすべての情報を読み取れたわけではないと言っていたし、今は視野を広くもっておいたほうがいいのではないかな。森は此処だけとは限らない。女の子が人間ではない可能性もある。少女の姿の妖精や精霊かもしれない。僕たちがその誰かのことを少女と思わなかったとして、クマちゃんが誰かを、例えば君を少女と認識するだけでいいのなら? それに、クマちゃんが一人で探すのではなく人間の手を借りることを想定している可能性も――――」
仲間たちが難しい話をしている。少女と聞いてほんの一瞬だけ誰かの声を思い出したが、すぐにその声は消えてしまった。クマちゃんも自分の出来ることを頑張ろう。
まずは必要なアイテムを作らねば。
リュックから必要な物をいくつか取り出し、よく混ぜてから魔力を注ぐ。
準備が終わったら、後は凄腕の釣り師クマちゃんが魚をたくさん釣り上げて、美味しく調理するだけだ。
◇
湖の周りで各々好きなことをして休んでいた冒険者たちの中には、クマちゃんの思っていた通り、魚を欲している者達が居た。
「あっちでクマちゃんも釣りしてんな」
「ホントだ」
「クマちゃん撒き餌してねぇ?」
「まじかよ本格的じゃん」
「すげぇなクマちゃん」
「気合入ってんな」
「撒きすぎじゃねぇ?」
「すげー撒いてんな」
「どんだけ撒くんだよ」
「瓶ごと入れる勢いじゃん」
「まじかよ全部いったぞ」
「やべーな。でもクマちゃんが作った撒き餌なら害はねぇだろ」
「確かに」
「癒やし系だもんな」
新米の釣り人になった冒険者達が環境破壊をする凄腕の釣り師クマちゃんを眺め、話している。
その数分後。
釣り人が一人、釣り竿を持ったまま勢いよく湖の中に飛び込んだ。
「は?」
「なんで?」
「一人消えたんだけど」
「何やってんのあいつ」
「え? 何? 今誰か飛ばなかった?」
「中々やるなあいつ」
「急に大喜びかよ」
「一人で楽しみすぎだろ」
釣り人達が飛んでいった釣り人についての感想を話していた時。
「は?」
「二人目?」
「即決かよ」
「急に高ぶりすぎだろ」
「感情の波どうなってんだよ」
釣り人が追加でもう一人飛んでいったが、冒険者達は泳ぎも得意なため誰も心配などしていなかった。
◇
「マジ上から見るまで森がこんな広いとか思わなかったんだけど。果てなんかなかったじゃん。酒場の冒険者全員で調べたって全部の遺跡探すのなんて無理じゃねーの?」
「……そうだね。せめてどのような遺跡を探せばいいのか判ればいいのだけれど」
リオとウィルが二人で今後の調査について話し、ルークがクマちゃんの様子を定期的に確認しながら二人の話を聞いていた時。
彼らから少し離れた場所から大きな水音と冒険者たちの声が聞こえてきた。
どうやら釣りをしていた誰かが水に飛び込んだらしい。
「あいつら何してんの? 皆で野営とか初めてだからって喜びすぎじゃね?」
珍しく頭脳労働をして少し疲れたリオがかすれ気味の声で、首の横を押さえながらめんどくさそうに言った。
「楽しい気分なのはわかるけれど。彼らは楽しくなりすぎてしまったのかな」
水しぶきが上がった場所を見ていたウィルが、飛んでいった釣り人の気持ちを分析する。
「なんかすげー勢いで飛び込んでんだけど。あいつら野営好き過ぎじゃね?」
少しすると「何かおかしくね?」「ヤベー!」「なんかヤベー!」「竿は置いてけよ」という声が聞こえてくる。
詳細はわからないが何かがやべーらしい。
「リーダー。騒いでいる彼らに少し注意をしてきたほうがいいのではない? 氷の様な彼がとても恐ろしい表情で、はしゃいでいる彼らのことを見ているようだから」
意外と色々考えている派手な男ウィルは、氷の塊クライヴの表情から考えを読み取ることは出来ないが、今はなんとなく彼の表情と思考が一致しているように感じる。
喜びが極限に達した釣り人達が黒い革の手袋でおしおきされる前に、ギルド最強の男ルークが軽くコツンとしたほうが被害は少ないと彼は言う。
「……めんどくせぇ」
抑揚のない声で一言返し、言葉の通りめんどくさそうに立ち上がると、クマちゃんも連れて行こうとそちらに目を向けたが、ピンク色の肉球がついた手でおもちゃのような釣り竿を持ち、釣りを楽しんでいるもこもこの意思を尊重し「目ぇ放すな」とリオに告げ、喜びを極めた釣り人達の方へ足を向けた。
「クマちゃんさっきから全然動かねーじゃん。寝てんじゃねーの?」
ルークに頼まれたリオがクマちゃんを確認すると、少し前に見た時と全く同じ状態で釣り竿を握り、湖の方を向き、ぬいぐるみのように可愛らしく座っている。
「釣り竿が手から離れていないのだから起きているのではない? クマちゃんはとても素晴らしい集中力をもっているね」
ウィルもクマちゃんを観察したが、やはり少し前に彼が可愛らしい白いもこもこを見た時と何も変わらない。
別荘の前の二人がそう話していた時。
釣り竿とクマちゃんがシュッと湖へ飛んだ。
何も悪い事などせず大人しく静かに釣りを楽しんでいた善良で無害なかわいいクマちゃんが宙に舞っている。
「クマちゃーーーん!!」
リオが叫ぶ。
ガッと手で地面を押し飛び出すように立ち上がった勢いのまま駆け寄る。
間に合わない。
もうクマちゃんが湖に落ちてしまう。
同時にウィルも魔力を集める。
着水を遅らせようとするが時間が足りない。
駄目だ、落ちる――!
――その瞬間辺りに強い風が吹く――。
何の罪も無いもこもこの可愛いクマちゃんがびちゃびちゃになる直前、突如起こった強風で再び宙へ舞い上がったもこもこは、風も自在に操る最強の男ルークの手元にフワリと届けられた。
「リーダーマジ最強マジかっけー。まじでびびったしクマちゃん何でいきなり飛んでったの今」
クマちゃんが勢いよく湖に投げ出されたのを見たリオは、背中に冷や汗をかいていた。絶対に間に合わないと思った。駆け出した時にはすでに湖岸から大分離れた空中にもこもこはいたのだ。
本当にルークが助けてくれて良かった。
もしも可愛らしいクマちゃんが落ちてしまっていたら、と考え首を振った。
こんなに大人しく可愛らしく釣りを楽しんでいただけのクマちゃんが、可哀想な目に合わなくてよかった。
そこまで考え、リオは何かひっかかるものを感じた。
本当にそうだろうか。今まで急に問題が起こった時、犯人がクマちゃんでなかった事はあっただろうか。
「本当にリーダーが間に合ってよかったね。愛らしいクマちゃんが湖に落ちてしまうのではないかと、不安でたまらなかったよ。もし落ちてしまっていてもリーダーと僕たちがいるから、すぐに助けることは出来るけれど。それでもつらい思いをするクマちゃんは見たくないからね」
クマちゃんの生態を知らない南国の青い鳥男ウィルが呑気な事を言っている。
リオは思う。こいつは何も解っていない。あの白いもこもこはつぶらな瞳で可愛いだけの存在に見えるが、その可愛さの裏に危険が潜んでいるのだ。
何も考えていないような可愛らしい表情で、大人しくしているように見える時。それは奴がもう目的を果たした後なのだ。
飛んだ釣り人。
飛んだクマちゃん。
手には釣り竿。
飛んだ場所は湖。
湖の岸にはリュック、はみ出した杖、転がる牛乳瓶。
間違いない。
犯人はクマちゃん。
「ぜってー湖になんかある。ぜってーある」
リオは確信していた。
目を限界まで細め真っ直ぐな糸のようにしながら腕を組んで告げた。
「湖? 皆が飛んでいってしまったのは湖が原因ということ? ……飛んでいった人達は皆、釣り竿を持っていたね。急に強く引っ張られたということなら納得ができるよ。でも、この湖にそんなに大きな魚がいるようには思えないのだけれど」
ウィルがリオの話を聞き、考えを纏めながら言うが、この湖がお気に入りの彼は、安全なこの場所を危険な湖に変えたのが先程飛んでいったクマちゃんだとは考えてもいないようだ。
「リーダー。湖の中絶対なんか居るんだけど……」
湖から自力で上がってきた釣り人達にコツンしてから、クマちゃんも鮮やかに救い戻ってきた抜かり無い最強飼い主ルークに少しかすれたリオの声が掛かる。
「釣りゃいいだろ」
強風で乱れたクマちゃんの毛並みとリボンを長い指でスッと整えていたルークが適当に返した。
「……冒険者達が皆引きずり込まれたんだからぜってーやべーやつじゃん。リーダー先やってよ」
リオは思う。あの良い声は本当にいいかげんな事しか言わない。先程釣り人が飛んでいった事を本当にふざけてやったと思っているのだろうか。そしてクマちゃんが落ちたのは軽いせいだと思っているのかもしれない。
冒険者がただの魚ごときに負けるなど、彼には想像もつかないに違いない。
しかし、リオは湖に引きずり込まれたくない。彼は犯人クマちゃんの飼い主に責任をとってもらうことにした。
「ああ」
特に気にする様子もなく、『そこの物とって』『ああ』くらいの気軽さで引き受けるルーク。
魔力を適当に網状にすると――普通の魔法使いはそんな事は出来ない――湖に軽く腕を振って投げ入れ、数秒待って肘から先を軽く手前に動かした。
激しく上がる水しぶき。
湖面から顔を出す巨大魚。
魔力の網の中で暴れようとした巨大魚は一瞬で動きを封じられ、ルークが手首を軽く引くだけで宙を舞った。
皆の目に、ここにいるはずのない大きさの魚が映る。
長い水草に隠れていたその巨大な魚は全長四メートルを優に超えるだろう。
周りの冒険者達も遠い目をしている。
ルークにすべてを握られた空中の巨大魚は、一度だけ激しい音を立て、別荘の前に着地させられ静かになった。
「えぇ……」
自分で頼んでおきながら肯定的ではない声を出すリオ。
「おや。この魚だけ何故こんなに大きいのだろう。でもこんなに簡単に捕まえるなんてさすがリーダーだね」
大雑把すぎるウィルは少し不思議そうにしただけだ。彼にとって魚の大小は気にするほどのことではないようだ。
クマちゃんは別荘前に届けられた大きなお魚に大喜びしながら考えていた。
少しだけ予定が狂ってしまったが、皆この魚でお腹がいっぱいになるだろう。
調理も上手な店長クマちゃんが早速さばいて美味しくしてあげよう。
ルークにお願いして地面に優しく降ろして貰ったクマちゃんは、リュックの元へ走り、中から持ち運び用の小さな折りたたみナイフを取り出した。
魚のところまで引き返し、すぐに調理を開始する。
左手を猫の手の形にし、右手に持った小さな折りたたみナイフを魚に向かって振り下ろす。
「ささるわけねぇーー」
そばでクマちゃんの動きを眺めていたリオは言った。
四メートルを超える魚の前に、刃の部分が三センチメートル程度の折りたたみナイフを持ったもこもこが、肉球の見える後ろ足をちょっとだけつま先立ちにしながら突き立てている。
「クジラとペーパーナイフみたいになってんじゃん」
リオがまた目を糸のように細めながら、クマちゃんにそのナイフでは切れない旨を伝えるが、あのもこもこがリオの言葉を素直に聞くことは無い。
こうしてクマちゃんと仲間達の初めてのお泊りは順調に進んでいく。
マスターが心配するほどの事もなく、湖に出来たばかりの別荘で、大体予定通り楽しく調理を開始したのだった。
「なぁ……めっちゃ見られてねぇか」
「……ああ」
「なんかさぁ……メモ取られてねぇ?」
「何書かれてんだろ……」
「メモ帳見てなくね?」
「早い早い早いめちゃくちゃ書き殴ってる」
「頷いてる」
「まじ何書かれてんだあのメモ」
クマちゃんは彼らの様子を見ていて解った。
彼らは魚を欲している。
今のままだと凄腕の釣り師クマちゃんでも全員をお腹いっぱいにするのは難しいかもしれない。――あの方法を試してみよう。
ルークの所へ行かなければ。
一番お腹が空いていそうな冒険者の顔はメモ帳に描いた。空腹感がにじみ出ている。二番目以降は後でもいいだろう。
うむ。もこもこの手でリュックの中にメモ帳とペンをしまい、彼を目指し駆け出す。
「あ……片付けるらしいな」
「……ああ」
「リュック下ろすの大変そうなんだが……」
「手伝っていいのか?」
「いや、なんとか出来たらしい」
「背負うのも大変そうなんだが……」
「……もしかして走っているか?」
「どうだろうな……」
元気じゃない声が聞こえる。急がなければ。クマちゃんは一生懸命手足を動かしルークの元へ走り続けた。
「なんかせつねー。誰か運んでやったほうがいいんじゃねーか」
「あ、じゃあ俺連れてくわ」
彼らの中のひとりが、クマちゃんを抱き上げてくれた。
どうやらルークの元へ送り届ける為、力を振り絞ってくれたようだ。
「ルークさんクマちゃん連れてきました」
「ああ、悪いな」
冒険者の彼は凄いスピードで、クマちゃんを別荘前の地面に座り休んでいるルーク達の所まで運んでくれた。
早く彼らのお腹をいっぱいにしてあげたい。
「クマちゃんどしたん。なんかさっきからウロウロしてんだけど」
「何かしたいことがあるのではない? クマちゃんはいつも一生懸命で素敵だね」
ルークの腕の中で、自分を撫でてくれていた彼の長い指を一本借りて咥える。
「まじでその授乳みたいのなんなの」
「……リーダーが指に魔力を集めているのが答えだと思うのだけれど。でも、少し心配だね。何故クマちゃんの魔力は弱々しいままなのだろう」
「…………」
ルークに、フワリ、フワリと優しく撫でられながら魔力をもらう――――危ない。寝てしまう。
自分には使命があるのだ。こんなところでくじけるわけにはいかない。
「なんか今目がカッと開いたんだけど」
「うん。可愛らしいね」
「ああ」
魔力をたくさんもらい、大人気店の店長としての仕事をするためにルークの元から旅立つ。
「クマちゃんあっち行くんじゃねーの?」
「クマちゃんは寂しがり屋さんみたいだからね。リーダーの近くに居たいのではない?」
「んじゃそんなじっと見て無くても大丈夫か。――今日、マスターから聞いたやつだけどさー。遺跡とか少女とかよくわかんねぇけど、こんだけ毎日森で戦ってて女の子なんて誰も見てないんだし、俺らが森で探すとしたら遺跡の方じゃね? それか、クマちゃん家の鏡に浮かんだ情報ってことは、クマちゃんが探すの前提なかんじじゃん? でもクマちゃんが森で遺跡と女の子探すのなんてマジぜってー無理だから。それなら街で女の子探した方がいーんじゃねーの?」
「そうだね……君の言いたいことはわかるけれど、マスターはすべての情報を読み取れたわけではないと言っていたし、今は視野を広くもっておいたほうがいいのではないかな。森は此処だけとは限らない。女の子が人間ではない可能性もある。少女の姿の妖精や精霊かもしれない。僕たちがその誰かのことを少女と思わなかったとして、クマちゃんが誰かを、例えば君を少女と認識するだけでいいのなら? それに、クマちゃんが一人で探すのではなく人間の手を借りることを想定している可能性も――――」
仲間たちが難しい話をしている。少女と聞いてほんの一瞬だけ誰かの声を思い出したが、すぐにその声は消えてしまった。クマちゃんも自分の出来ることを頑張ろう。
まずは必要なアイテムを作らねば。
リュックから必要な物をいくつか取り出し、よく混ぜてから魔力を注ぐ。
準備が終わったら、後は凄腕の釣り師クマちゃんが魚をたくさん釣り上げて、美味しく調理するだけだ。
◇
湖の周りで各々好きなことをして休んでいた冒険者たちの中には、クマちゃんの思っていた通り、魚を欲している者達が居た。
「あっちでクマちゃんも釣りしてんな」
「ホントだ」
「クマちゃん撒き餌してねぇ?」
「まじかよ本格的じゃん」
「すげぇなクマちゃん」
「気合入ってんな」
「撒きすぎじゃねぇ?」
「すげー撒いてんな」
「どんだけ撒くんだよ」
「瓶ごと入れる勢いじゃん」
「まじかよ全部いったぞ」
「やべーな。でもクマちゃんが作った撒き餌なら害はねぇだろ」
「確かに」
「癒やし系だもんな」
新米の釣り人になった冒険者達が環境破壊をする凄腕の釣り師クマちゃんを眺め、話している。
その数分後。
釣り人が一人、釣り竿を持ったまま勢いよく湖の中に飛び込んだ。
「は?」
「なんで?」
「一人消えたんだけど」
「何やってんのあいつ」
「え? 何? 今誰か飛ばなかった?」
「中々やるなあいつ」
「急に大喜びかよ」
「一人で楽しみすぎだろ」
釣り人達が飛んでいった釣り人についての感想を話していた時。
「は?」
「二人目?」
「即決かよ」
「急に高ぶりすぎだろ」
「感情の波どうなってんだよ」
釣り人が追加でもう一人飛んでいったが、冒険者達は泳ぎも得意なため誰も心配などしていなかった。
◇
「マジ上から見るまで森がこんな広いとか思わなかったんだけど。果てなんかなかったじゃん。酒場の冒険者全員で調べたって全部の遺跡探すのなんて無理じゃねーの?」
「……そうだね。せめてどのような遺跡を探せばいいのか判ればいいのだけれど」
リオとウィルが二人で今後の調査について話し、ルークがクマちゃんの様子を定期的に確認しながら二人の話を聞いていた時。
彼らから少し離れた場所から大きな水音と冒険者たちの声が聞こえてきた。
どうやら釣りをしていた誰かが水に飛び込んだらしい。
「あいつら何してんの? 皆で野営とか初めてだからって喜びすぎじゃね?」
珍しく頭脳労働をして少し疲れたリオがかすれ気味の声で、首の横を押さえながらめんどくさそうに言った。
「楽しい気分なのはわかるけれど。彼らは楽しくなりすぎてしまったのかな」
水しぶきが上がった場所を見ていたウィルが、飛んでいった釣り人の気持ちを分析する。
「なんかすげー勢いで飛び込んでんだけど。あいつら野営好き過ぎじゃね?」
少しすると「何かおかしくね?」「ヤベー!」「なんかヤベー!」「竿は置いてけよ」という声が聞こえてくる。
詳細はわからないが何かがやべーらしい。
「リーダー。騒いでいる彼らに少し注意をしてきたほうがいいのではない? 氷の様な彼がとても恐ろしい表情で、はしゃいでいる彼らのことを見ているようだから」
意外と色々考えている派手な男ウィルは、氷の塊クライヴの表情から考えを読み取ることは出来ないが、今はなんとなく彼の表情と思考が一致しているように感じる。
喜びが極限に達した釣り人達が黒い革の手袋でおしおきされる前に、ギルド最強の男ルークが軽くコツンとしたほうが被害は少ないと彼は言う。
「……めんどくせぇ」
抑揚のない声で一言返し、言葉の通りめんどくさそうに立ち上がると、クマちゃんも連れて行こうとそちらに目を向けたが、ピンク色の肉球がついた手でおもちゃのような釣り竿を持ち、釣りを楽しんでいるもこもこの意思を尊重し「目ぇ放すな」とリオに告げ、喜びを極めた釣り人達の方へ足を向けた。
「クマちゃんさっきから全然動かねーじゃん。寝てんじゃねーの?」
ルークに頼まれたリオがクマちゃんを確認すると、少し前に見た時と全く同じ状態で釣り竿を握り、湖の方を向き、ぬいぐるみのように可愛らしく座っている。
「釣り竿が手から離れていないのだから起きているのではない? クマちゃんはとても素晴らしい集中力をもっているね」
ウィルもクマちゃんを観察したが、やはり少し前に彼が可愛らしい白いもこもこを見た時と何も変わらない。
別荘の前の二人がそう話していた時。
釣り竿とクマちゃんがシュッと湖へ飛んだ。
何も悪い事などせず大人しく静かに釣りを楽しんでいた善良で無害なかわいいクマちゃんが宙に舞っている。
「クマちゃーーーん!!」
リオが叫ぶ。
ガッと手で地面を押し飛び出すように立ち上がった勢いのまま駆け寄る。
間に合わない。
もうクマちゃんが湖に落ちてしまう。
同時にウィルも魔力を集める。
着水を遅らせようとするが時間が足りない。
駄目だ、落ちる――!
――その瞬間辺りに強い風が吹く――。
何の罪も無いもこもこの可愛いクマちゃんがびちゃびちゃになる直前、突如起こった強風で再び宙へ舞い上がったもこもこは、風も自在に操る最強の男ルークの手元にフワリと届けられた。
「リーダーマジ最強マジかっけー。まじでびびったしクマちゃん何でいきなり飛んでったの今」
クマちゃんが勢いよく湖に投げ出されたのを見たリオは、背中に冷や汗をかいていた。絶対に間に合わないと思った。駆け出した時にはすでに湖岸から大分離れた空中にもこもこはいたのだ。
本当にルークが助けてくれて良かった。
もしも可愛らしいクマちゃんが落ちてしまっていたら、と考え首を振った。
こんなに大人しく可愛らしく釣りを楽しんでいただけのクマちゃんが、可哀想な目に合わなくてよかった。
そこまで考え、リオは何かひっかかるものを感じた。
本当にそうだろうか。今まで急に問題が起こった時、犯人がクマちゃんでなかった事はあっただろうか。
「本当にリーダーが間に合ってよかったね。愛らしいクマちゃんが湖に落ちてしまうのではないかと、不安でたまらなかったよ。もし落ちてしまっていてもリーダーと僕たちがいるから、すぐに助けることは出来るけれど。それでもつらい思いをするクマちゃんは見たくないからね」
クマちゃんの生態を知らない南国の青い鳥男ウィルが呑気な事を言っている。
リオは思う。こいつは何も解っていない。あの白いもこもこはつぶらな瞳で可愛いだけの存在に見えるが、その可愛さの裏に危険が潜んでいるのだ。
何も考えていないような可愛らしい表情で、大人しくしているように見える時。それは奴がもう目的を果たした後なのだ。
飛んだ釣り人。
飛んだクマちゃん。
手には釣り竿。
飛んだ場所は湖。
湖の岸にはリュック、はみ出した杖、転がる牛乳瓶。
間違いない。
犯人はクマちゃん。
「ぜってー湖になんかある。ぜってーある」
リオは確信していた。
目を限界まで細め真っ直ぐな糸のようにしながら腕を組んで告げた。
「湖? 皆が飛んでいってしまったのは湖が原因ということ? ……飛んでいった人達は皆、釣り竿を持っていたね。急に強く引っ張られたということなら納得ができるよ。でも、この湖にそんなに大きな魚がいるようには思えないのだけれど」
ウィルがリオの話を聞き、考えを纏めながら言うが、この湖がお気に入りの彼は、安全なこの場所を危険な湖に変えたのが先程飛んでいったクマちゃんだとは考えてもいないようだ。
「リーダー。湖の中絶対なんか居るんだけど……」
湖から自力で上がってきた釣り人達にコツンしてから、クマちゃんも鮮やかに救い戻ってきた抜かり無い最強飼い主ルークに少しかすれたリオの声が掛かる。
「釣りゃいいだろ」
強風で乱れたクマちゃんの毛並みとリボンを長い指でスッと整えていたルークが適当に返した。
「……冒険者達が皆引きずり込まれたんだからぜってーやべーやつじゃん。リーダー先やってよ」
リオは思う。あの良い声は本当にいいかげんな事しか言わない。先程釣り人が飛んでいった事を本当にふざけてやったと思っているのだろうか。そしてクマちゃんが落ちたのは軽いせいだと思っているのかもしれない。
冒険者がただの魚ごときに負けるなど、彼には想像もつかないに違いない。
しかし、リオは湖に引きずり込まれたくない。彼は犯人クマちゃんの飼い主に責任をとってもらうことにした。
「ああ」
特に気にする様子もなく、『そこの物とって』『ああ』くらいの気軽さで引き受けるルーク。
魔力を適当に網状にすると――普通の魔法使いはそんな事は出来ない――湖に軽く腕を振って投げ入れ、数秒待って肘から先を軽く手前に動かした。
激しく上がる水しぶき。
湖面から顔を出す巨大魚。
魔力の網の中で暴れようとした巨大魚は一瞬で動きを封じられ、ルークが手首を軽く引くだけで宙を舞った。
皆の目に、ここにいるはずのない大きさの魚が映る。
長い水草に隠れていたその巨大な魚は全長四メートルを優に超えるだろう。
周りの冒険者達も遠い目をしている。
ルークにすべてを握られた空中の巨大魚は、一度だけ激しい音を立て、別荘の前に着地させられ静かになった。
「えぇ……」
自分で頼んでおきながら肯定的ではない声を出すリオ。
「おや。この魚だけ何故こんなに大きいのだろう。でもこんなに簡単に捕まえるなんてさすがリーダーだね」
大雑把すぎるウィルは少し不思議そうにしただけだ。彼にとって魚の大小は気にするほどのことではないようだ。
クマちゃんは別荘前に届けられた大きなお魚に大喜びしながら考えていた。
少しだけ予定が狂ってしまったが、皆この魚でお腹がいっぱいになるだろう。
調理も上手な店長クマちゃんが早速さばいて美味しくしてあげよう。
ルークにお願いして地面に優しく降ろして貰ったクマちゃんは、リュックの元へ走り、中から持ち運び用の小さな折りたたみナイフを取り出した。
魚のところまで引き返し、すぐに調理を開始する。
左手を猫の手の形にし、右手に持った小さな折りたたみナイフを魚に向かって振り下ろす。
「ささるわけねぇーー」
そばでクマちゃんの動きを眺めていたリオは言った。
四メートルを超える魚の前に、刃の部分が三センチメートル程度の折りたたみナイフを持ったもこもこが、肉球の見える後ろ足をちょっとだけつま先立ちにしながら突き立てている。
「クジラとペーパーナイフみたいになってんじゃん」
リオがまた目を糸のように細めながら、クマちゃんにそのナイフでは切れない旨を伝えるが、あのもこもこがリオの言葉を素直に聞くことは無い。
こうしてクマちゃんと仲間達の初めてのお泊りは順調に進んでいく。
マスターが心配するほどの事もなく、湖に出来たばかりの別荘で、大体予定通り楽しく調理を開始したのだった。