「なんと無礼な……! 信神しないと罰が当たるなどと! あなた、言わせておいてよろしいのですか!?」

 宮司が帰った後、真っ先に声を荒げたのは勇蔵の妻だった。
 顔を真っ赤にして騒ぐ。
 その声に同調したのは娘の美月だ。

「そうよ! 私が嫁入りする鷹司家にも害が及ぶと言っているようなものだわ! 嫌がらせよ、きっとあの女が裏で手を引いてるに決まってるわ!」

「母さんも美月も、黙っていなさい。父さんはどうお考えで?」
 制したのは勇だ。
 家族の中で一番冷静でいるようだが、顔を歪めているところをみると気分を害しているのは間違いない。

「あの宮司とは長い付き合いだ。『馬鹿』がつくほど生真面目でお人好しだ。嫌がらせで朝早く話に来たわけじゃないだろう。本当に『神託』が降りたのかもしれん」

「あなた、あのほら吹きの話を信じるのですか?」
 嘘だと思い込んでいる妻は、すでに宮司のことを「ほら吹き」と呼んで嘲っている。

「母さん、それは言い過ぎです。……しかし、少々心理学の門を叩いた僕としては、宮司は幻覚妄想状態にあるのではないでしょうか? 神を信仰するあまりに『神の声が聞こえた』と思うんです。強い心労で解離状態になるんです。遷宮で老体をうって動いていますからお疲れなんでしょう」

「それはあるかもな……」
 うむ、と勇蔵は唸る。

「それにしたって無礼ですわ。わたくしたちはこれから帝都に引っ越すのです。そこで新しく祀る神を見つければいいではありませんか。――そうだわ、鷹司家が祀っているご本尊をお尋ねして祀りましょう」

「縁を深くするにはそうした方がよかろう。だがわしは槙山家の当主として、辻結神社を祀った子孫として見送らなくてはならん。不義理な真似はできん。やはり遷宮までやり遂げねば。……それに宮司は儂より歳だしな」

「それがいいと思います」
 勇が同意する。

 次の当主である勇が賛成したことで、妻と娘は何も言えなくなってしまった。

 

 しかし、この二人の思惑は信神とか罰が当たるとか、そのようなことを懸想しているのではない。

 とにかく自分たちより格上の『鷹司家』に想いを馳せている。

 人間社会で女性として誰よりも上の身分になることに美月は有頂天になっており、母の方は自慢の娘が国の頂点に近い一族の一人になることで、自分もその輪の中に入れることが何よりの自慢になっていた。

 鷹司家の不評を買いたくない。

 ――それと、男たちは忘れているようだが女たちは忘れてはいない。

 厄介者であった『あの女』を。

「忘れろ」といわれても忘れることなどできない。

 母は――いくら遷宮の際の花嫁を差し出すために作った娘だとしても、他の女に孕ませた。別腹の憎い娘。
 娘は――別腹だとしても、白い髪に赤い目という奇怪な容姿の妹がいたという事実。

 稀な髪と瞳の色を持ちながらも、こちらがハッと見惚れてしまう儚げで美しい顔。

 ――あの女が贄として差し出された神社なんぞ、祀りたくない――

 やっと消えたのに。
 清々したのに。
 もし、贄として差し出したことを鷹司家が知ったら?
 いえ、万が一にでも再び『あの女』が目の前に現れたりしたら?

 あり得ない。だって『花嫁』というのは『神に捧げる生贄』のこと。
 とうにこの世にはいない。
 現に鳥居を潜ったら消えたと宮司が言っていた。

 けれど
 けれど――

 本当は生きていたら?
 宮司が逃していたら?

 そうよ、神の花嫁だなんて作り話。逸話よ。
 きっと宮司が『あの女』をどこかに逃がしたに決まっている。

 それでも自分たちの前から消えたことに満足していた。

 なのに今になって身を襲う不安。
 この目で完全に『あの女』がいないことを確認しないと。

 でないと

 私たちの幸せが脅かされる――