それから夕餉の時間になって戻ってきた荒日佐彦の姿に、白花は慌てて駆け寄る。

 最初に出会ったときの姿にさも代わりしていたのだ。
 しかも前と違って棘のように尖った毛は黒々として、禍々しいよどんだ色をしている。

「荒日佐彦様、痛みはありませんか?」
「大丈夫だ。……今のところは、だが。すまぬが至急、浄化をしてもらえぬか?」

「勿論です」と白花は荒日佐彦と寝所へ移動する。
 白花は荒日佐彦のことを想いながら針の山と化している腕に触れた。

「――っ」
 その針山たちは白花の手のひらに刺さる。思わず手を引っ込めた。

(以前と違う)
 以前の茶色の枯れた松の葉のような針山は、自分が触れると瞬間に柔らかくなりハラハラと荒日佐彦の体から取れ、落ちていった。

 今回のは自分が触れても、しなることなく自分の身を守るように牢固として荒日佐彦の体から抜けようとしない。

「これは……荒日佐彦様。私が触れても頑として抜けません。いったいこれは何なのですか?」
「前のは『災』の『瘴気』であった。だが今回は『厄』だ。それも『禍』に近い……」
「どうしたら荒日佐彦様の体から抜けるのでしょう? 私が触れてもビクともしないんです」

「長く触れていれば、いずれ抜ける……痛い思いをするだろうが、堪えてくれるか?」
「勿論です。それで『災』が抜ければ私が傷を負うことなどどうでもいいことです」
 白花は迷わずにすぐに答えた。

 それが『花嫁』で『妻』の自分の役目だ。
 これは自分にしかできない。

 アカリが話してくれた――神が心を許し、己を触れさせる相手は一人だけ。
 それは神が認め、愛し、乞うた者。

(荒日佐彦様は私を選んでくれた。私を愛し、妻に望んでくれた。それに応えなくてどうするの?)

「一本一本、丁寧に触れた方がいいのでしょうか?」
「ああ、時間がかかるだろうが……」

 答える荒日佐彦の声が疲れ切っている。
 以前とは明らかに違う。

「荒日佐彦、『厄』というものはあなたの体を蝕むものなのでしょうか?」
「結果的には『厄』であろうと『災』であろうと俺の力や、体力を奪うものだ。『禍』にまでなると最後には俺自身を見失う可能性が高い。そうなると別の『神』になる」

「別の……神?」
「『厄神』という悪神だ。そうなると、私の中身も変わってしまう。……ただ、人や自然を破壊しようとする欲望しかなくなる」

「そんな……!」

 荒日佐彦の衝撃の発言に白花の体は震えた。

(荒日佐彦様が全く違う神になる? 私のことも忘れてしまうの?)

――そんなの、いや。

「……ぅうっ」

 荒日佐彦は体が痛むのか、唯一見える目を瞑り、苦しそうに前屈みになる。

「痛いのですか?」
「針状になった『厄』が俺の体の奥に向かってゆっくり伸びていくのだ……」

 荒日佐彦の話に白花は想像してゾッとする。
 一本一本触れて浄化させれば時間はかかるけれど、確実に彼から『厄』は抜けるだろう。
 けれど、そのあいだ無数にある他の棘が彼の体を蝕んでいくのだ。

(いったいどれくらい、彼に痛みを我慢させなければいけないの?)

 全身を覆っている黒い棘は、こうしている間にも荒日佐彦の体に痛みを与えている。
「……そんなの、駄目」

 
 白花は荒日佐彦から一歩下がると、着物の帯を緩めはじめた。
「白花、何をする気だ?」

 帯を解いて、着物を脱ぎ、長襦袢の姿になった白花は更にその襦袢も脱ぎ、全裸になった。
「私の『手』だけでは、時間がかかりましょう。けれど、私の体全体を使って荒日佐彦様の『厄』を浄化させれば早いと思います」

「駄目だ! それでは白花の体が傷だらけになってしまうぞ!」
 
 当然とばかりに反対してきた荒日佐彦に白花は、自分の決心を告げる。
「いやなんです、私。荒日佐彦様が必要以上に痛みを我慢するのが。一本一本浄化していたらその間荒日佐彦様はずっと痛みを堪えなくてはなりません。そんな、体の奥に伸びていく無数の針があなたを痛めつけるなんて……いやです! 人の業を身に受けてくれて、その業の針に体を痛めつけられて……人であった私も一緒に受けるべきです!」

「白花……」
「だって……私、あなたの妻でしょう? ……あなたの痛みを私も知りたい……」

 知らず白花の目から、涙が出てくる。
 怖いからとか痛そうだからとか、そんな理由で泣いたんじゃない。

「それが当然」と『厄災』を受け入れる荒日佐彦に白花は泣いた。

「夫であるあなたの妻が私なら当然、妻も痛みを受け入れるべきです」
 そう言いながら白花は荒日佐彦を抱きしめた。