(ここは不思議な場所だわ)

 うさぎ――白花(きよか)と名前を付けられ、荒神荒日佐彦の妻となって一ヶ月が経った。

 仮宮とその周辺はとても静かで、自分以外の人はいない。
 鳥居の前まで来るとたまに村人が覗いているのが朧気に見え、鳥居の向こう側の景色はハッキリしない。

「神界と人間界の境界なんですよ。あちら側からは仮宮が見えるだけで私たちの姿は見えておりません」

 アカリが「ほほほ」と笑いながら話してくれた。
 神界側に自分はいると言うが、景色もさえずる鳥も、時折姿を見せる動物たちも向こう側にいた頃と寸分変わりない。

「不思議ね……。私たちからは見えるのに、向こうは私たちが見えないのね」
「はい。仮宮に入ってきても無人の宮に見えるでしょう。まあ、感の強いお方は『なんかいる』とかぐらいはわかるのではないでしょうか?」

(私も見えないのね)
 白花はそれが一番不思議だ。

『こちらから人間界に干渉できるが、向こう側の者たちは俺たちが許可するか、本人に力がない限り干渉できん』
 そう荒日佐彦が話してくれたことを思い出す。

 つい数日前までは『化け物』と呼ばれ、蔑まれてきた『人』だった。
 荒日佐彦神と夫婦の契りを結んで自分は『神』に近い『人』となったという。

(私自身、どこか変わったというのは……ないわよね?)

 自分の手のひらや腕、腰まである揺れる白い髪を撫でる。
 どこか変わったという部分はない。

『夫の身に受けた瘴気や不浄を祓う役目を担う』力を持っていたのも不思議だし。

 白花はアカリとそう話ながら掃き掃除を済ますと、剪定ばさみを所望した。

「お部屋がなんとなく寂しいから、花を飾りたいの」
「そうですねぇ、ではお持ちいたしますので、ここでお待ちくださいまし」

 アカリが取りに行っている間、白花は縁側を前に景色を眺めた。
 白花と荒日佐彦が住まいとしている場所は奥まったところにある。ここは人が住むのとなんの変わりない造りだ。

 白花は瞼を閉じ、鳥のさえずりを聞く。

(幸せだわ……)

 この空間の中で、自分は愛して愛されて、みな優しくしてくれる。

 心は哀しみで埋まっていたのに、荒日佐彦に触れてあっという間に霧散してしまった。
 ここでは「うさぎ」ではなく「白花」で、自分を受け入れてくれている。

 怯えて碌に話せなかったのに、怯える必要がないから今度はたくさんお喋りをしたくなった。
 こんなによく話せるなんて、自分でも知らなかった。