白うさぎと呼ばれる娘、物の怪と呼ばれる荒神の贄になったら幸せな花嫁になりました


 パタパタ……と障子の向こうで走る音が聞こえ始める。

「あ、朝食ができたようですよ。お支度しますね」

 アカリは立ち上がりうさぎに羽織物を肩に掛けると、寝床に卓上を用意する。

 具合よく障子が開いて、ウサギたちが持ち上げて食事を持ってきた。

 後ろ足で立って四人一組で膳や汁物、おひつなど持って設置する。
 その手際の良さに、うさぎは目をまん丸にしたままだ。

 しかも食事といったら作りたてのほかほかで、汁物もよそるご飯も湯気が立っている。
 うさぎ自身、他の者の手で作られた食事を頂けるのは久しぶりでもあった。
 といっても包丁の持てない幼い頃にも食べたことはあるが、残り物の冷えた食事ばかりだった。

「さあ、お召し上がりください」

 アカリが言うとほかのウサギ等も「おめしあがりください」と一斉に声を上げジッと見ている。
(ちょっと食べづらい……)
 一斉に注目を浴びている中、うさぎはご飯を一口。

 つやつやに輝く白飯には大根など混ぜ物が入っていない。炊きたての甘い味がする。
「……美味しい」
 思わずつぶやくと「やったー!」とアカリ含むウサギたちが、飛び跳ねながら喜ぶ。

「わたしたちが作った」
「頑張った」
「美味しく作れた」

 アカリ以外のウサギ等は、そう口々に言い合いながら嬉しそうに部屋から出て行った。

「忙しなくて申し訳ありません。お嫁様がいらしてくれたことが嬉しくて、自分たちも何かしたくて仕方がないようで、許してやってください」
 アカリが深々と頭を下げる。うさぎは慌てて首を横に振る。
「い、いえ。全然平気です……それに」
 
 うさぎは膳に置かれた食事の数々を眺めながら言った。
「こんなに温かな食事をいただけて、しかも歓迎してくださるなんて思ってもみなかったんです。それに、神使様たちの主人である荒日佐彦様を皆が慕っているからこそ、その嫁である私にこのような支度をしてくださったのでしょう」

「まあ……うさぎ様は、なんてお優しい……」

 感激したアカリはよほど嬉しかったのか、隠していた耳をポンと出す。

「いえ……贄としてやってきた私にこんなにまでしていただいて、申し訳なさでいっぱいというか……」

 うさぎの言葉にアカリは、今度はウサギの目と鼻に戻る。

せっかく美人になっているというのに、こっけいな顔立ちになってしまっている。
「あ、あの、私、何かおかしなことを言いましたか?」
「ええ、仰いました――『贄』ってなんのことでしょう?」
「えっ? 言葉のままですが……?」
「と、いうことは『生贄』と? うさぎ様は食べられに来なさったと?」
「はい」
「誰に?」
「……その、奉られておられる御祭神様に……」

 うさぎは箸を置いてそろそろと話す。
 というのも、アカリの雰囲気がどんどん剣呑になってきたからだ。

(私、怒らせるようなこと、言ったんだわ)

「己、人間どもめ! 神をなんだと心得ておる!」
「あ、あのアカリ様……」
「くやしい~!荒日佐彦様~!!」

 そう声を荒げると、彼女は部屋から出て行った。

「……あっ」
 うさぎは青ざめた。カタカタと体が震える。

(どうしよう……神使様を怒らせてしまったわ……これでもし村に罰が落ちたら……)

 死んでもお詫びできない。

 どうしようと思っていたらすぐにアカリが戻ってきて、
「うさぎ様、わたしめのことは『アカリ』で結構ですからね? それからご飯もゆっくりとお召し上がりくださいませ! アカリはちょっと席を外させていただきますので!」

 そう笑顔を浮かべ一気に言うと、飛び跳ねるように去っていってしまった。

 うさぎはアカリの言葉を受け取り、最後かもしれない食事をしっかりと味わい朝ご飯をいただいた。







 朝ご飯を食べ終わる頃、別の兎が数匹やってきてお膳を持っていった。

「とても美味しく頂きました。ごちそうさまです」
と礼を言うと、兎たちは嬉しそうにぴょんぴょん跳ねながら部屋から出て行く。

その様子をうさぎは、
「お膳、落とさないのね。すごいわ」
 と、感心しながら見送った。

 兎たちが見えなくなるとうさぎは途端、不安が襲ってくる。

 アカリは酷く憤っていた。
 怒りそのままに荒日佐彦の神に報告していたらきっと供にお怒りになり、村人たちが大変な目に遭うかもしれない。

(ううん、もう遭っているかもしれない……)
 私の余計な一言が厄災を引き起こすかもしれないと思うと、体の震えが止まらなかった。

(家に居るときのように、息を殺して大人しくしていればよかった)
 自分の容姿に恐れることなく、話しかけてくれたアカリが嬉しくてついつい喋ってしまった。

(お会いしたらすぐに謝罪しなくては。お怒りであったのなら、私が全ての罪を償うと言おう……)

 私は村の発展と繁栄のために生まれたのだから。





 縁側を歩く足音に、うさぎは居住まいを正す。

 まだ足は痛むが、堪えられないほどじゃない。
 障子越しに映る影にうさぎは、ホッとしたようなガッカリしたような気持ちになった。
 障子に映る影はアカリ一人。荒日佐彦神のあの、大きくて荒山のような影はない。
 一緒に来なかったのか。それともこれから自分が向かうのか。

「うさぎ様、失礼します」
「はい」
 うさぎのはっきりと返事に、アカリはにこやかに障子を開ける。

「……?」
 うさぎは、アカリの手のひらの上に乗っている小さな茶色の針山に首を傾げた。

「うさぎ様、荒日佐彦様のお越しでございます」
 アカリの言葉にうさぎは座礼をする。
 茶色の針山が気になるが、今は荒日佐彦神に許しを請うのが先だ。

「顔を上げよ」
 すぐ近くで小さな男の子の声がして、うさぎは頭の中で「はて?」と思いながら顔を上げると――目の前に小さな茶色い針山が鎮座していた。

「荒日佐彦様であらせられます」

 縁側に控えたアカリが厳かに口を開いた。

 わけがわからなく、うさぎはジッとその茶色の針山を見下ろす。
 確か自分が見たのは、見上げるほど大きな長い毛で覆われた熊のような神であったはず。
 今、自分は見上げているのではなく見下ろしている。

(……いったい、どういうことなのかしら?)
 訳が分からず、うさぎの頭は混乱した。

「……あー」
 そのとき、小さな針山が咳払いをした。

「昨夜は済まなかった。たいそう怯えさせてしまったようだ」

 幼い声で話しかけてきて、うさぎは肩を震わせた。ようやく気づいたのだ。

 この小さな茶色い針山が荒日佐彦神だということに。


「も、申し訳ございません! 不躾に見下ろしてしまいました!」
 うさぎは勢いよく座礼をする。

「よい。それより顔をあげてくれ。話がしづらい」
 威厳たる言い方なのに小さくて幼い男の子の声音なので、その格差にうさぎはどうしてかほっこりしてしまう。

 しかも、見かけは針山を背負った小さな獣みたいだ。
 小さなものが好きなうさぎは、ますますほっこりする。

 うさぎの落ち着いた様子に荒日佐彦はホッとしたのか、その場に座ると「こほん」と咳払いをした。
 それが合図だったのかアカリは静かに退出し、部屋にいるのはうさぎと荒日佐彦神だけになる。

 それを見計らったように荒日佐彦は話し出した。

「私がお前に怒鳴ってしまった訳だが……」
「……はい」
「その、お前の見た目が私の眷属たちに似ていてな……また悪戯をされた(・・・・・・)と思って怒鳴ってしまったのだ。すまない」

 なるほど、とうさぎは得心する。
 自分は白い髪と赤い目を持っている。
 白ウサギと同じ特徴でうさぎと名付けられ、村の皆から「人」とした扱いを受けてこなかった。

「いえ、私はこのようにうさぎの特徴を持った者でございます。勘違いされても仕方がございません。むしろ、眷属の皆様からしたら私が似ているなどと言ったらご迷惑では――」

「――迷惑ではない!」

 小さい体に見合わない大きな声に、うさぎは肩を縮め震わせた。
 その様子に荒日佐彦はシュンと俯いてしまう。

「済まぬ。また怖がらせてしまった……」
「いえ、思いがけない大きなお声だったので……少々驚いただけです」
「……私が怖くないか?」

 そう問われ、うさぎは躊躇う。
 確かに夜のあの大きな針山のような姿は『神』というより『魔物』とか『怪物』だ。

 けれど――自分が怯えないように体を小さくして会ってくれるばかりか、謝罪までしてくれた。

(それに……)

 瑠璃色の丸い瞳で自分を見上げてくる小さな荒日佐彦が、とても愛らしいとさえ思ってしまう。
(神様を見て愛らしいなんて失礼よね)

「あの、私でも構いませんか?」
「お、お前さえよければ……だが。……しかし、お前含めて村の者たちは誤解しているようだ」
「『誤解』とは?」

「お前は『贄』として選ばれ、ここに参ったと」
「……はい」

 うさぎは胸のあたりで両手を強く握った。そう、自分は荒日佐彦に食べられるためにやってきた。
 思いがけない待遇に驚き嬉しくなったけれど、この事実は変わらないだろう。

(でも、最後に美味しい食事も頂いたし、花嫁衣装まで着ることができた。後悔はないわ)

「どうかこれからも、村と槙山家の繁栄をお支えください」

 うさぎは荒日佐彦に、畳に指をつき座礼をした。

 沈黙が起きる。

 厳かな空気の中、静寂が漂う。
 荒日佐彦から、なんの返答もないのが気になった。



 しばらくして「はぁ~」と荒日佐彦の盛大な溜め息が聞こえ、

「そこからして間違っている」

 と呟いたので、うさぎは思わず顔を上げ、小さな荒日佐彦を見つめる。

「以前、神社を新しくしたのは百年前のはずだ。そこでも『花嫁』を所望したはずだ」
「はい、そう伺っております」
「辻結神社の主祭神は百年に一度、代替わりするのだ。同じ荒神の性質を持つ神とな。今年から私が辻結神社の主祭神となり『荒日佐彦』の名を受け継ぐ。代替わりするとき、村から花嫁をもらいともに祀られる対象となるのだ」

「……えっ?」
「『夫婦神』となるのだ、私とお前は。なのに食うわけなかろう……全く、どこで伝えがねじ曲がったのだ?」
「初耳です……」

「お前……」
 荒日佐彦はジッとうさぎを見上げるとニヤリ、と歯をむき出しにして笑った。

 小さいせいかは『物の怪』というより、悪戯好きな子供っぽい。
 神様に対してこんなこと失礼にあたるけれど「可愛い」なんて思ってしまううさぎだ。

「まあ、いい。お前は槙山家の代理としてやってきたわけだ」
(代理?)

 荒日佐彦の言葉にうさぎは首を傾げたが「もしかして」とも納得した。

(きっと本妻の子である美月ではないからだわ。花嫁『代理』って意味なのかも)

 ――やっぱり、本妻の子でなくてはいけないのかしら? 困ったわ。

 ここで謝罪すべきだろうと思うも、荒日佐彦の話しはまだ続きそうなのでそれが終わってからにしようと、改めて耳を傾ける。

「百年前にも槙山家から花嫁を差し出している。それは最初に辻結神社を造って祀ったのが槙山家だからだ。当時の土地の荒神を祀り、住みやすい土地にしてくれと願った。初代はそれを受け入れたのだ。しかし荒神も妻を娶り百年も経つと変化してしまう。『穏やかな自然神』へとな。この神社は荒神が御祭神ゆえ、それで百年に一度、代替わりするわけだ。中の御祭神が変わるからな。神社も建て直しとなるのってわけだ」

「では……『贄』でなく、私は荒日佐彦様の本当の花嫁となるのですか?」
「……っ!? 決まっているだろう?」

 顔の部分が心なしか赤く染まっている気がする。
 針山のような毛皮の奥にある顔は赤面しているのだろうか?

「知りませんでした……宮司さんも知らないのかも……」
「あの爺さんは余所からきたのだろう? 本来なら槙山家の者が務めなくてはならないがまあ……時代が変わって、他の事業に手を付けて、神社を管理したい者がいなくなって外部に頼んだのだろう。口伝にて伝える内容も多いから、そこで曲解されたのか伝わらなかったのかどちらかだな」

 ほったらかしにされるよりかはマシだがな、と言うが、荒日佐彦自身は不満そうだ。

 ――私が神の花嫁?

『贄』だと思っていたのに。体が熱くなる。

「は、花嫁だなんて……。このような姿の私が妻になるなんて、荒日佐彦様にいいわけありません! 相応しくなんてない……っ!」
「何故だ?」
「だって、この姿! 私は『うさぎ』と呼ばれて人扱いされてきませんでした。村人も家族も……誰も……。そのような者が妻になっては荒日佐彦様が軽んじられてしまいます! それに、私は妾の子で、本筋の娘ではなくて……!」

「私は、お前がいいな――と思ったが?」


「……どう、して……?」

 荒日佐彦はうさぎの問いに答えず、小さい体でトコトコと歩き出す。止まった先はうさぎの足元だった。

「ここ、痛むだろう? 神経が痛んでいる」

 そう言うと、モジャモジャの手を損傷の部分に当てる。
 ホワン、と温かなものが患部に流れてきたかと思ったら全く痛みがなくなってしまった。

「微妙に足崩してて、ここだけお前らしくないと思ったら……我慢しないで言え」
「あ、ありがとうございます」

 ――気づいていた。

(こんな少ない時間で私のこと……)

 見かけが怖いから小さくなってくれて。
 怪我を治してくれて。
 私なんかが「いい」と言ってくれて。

 優しい声かけなんて宮司さん以外、してくれなかった村での生活。

 ホロホロと目から大粒の涙が溢れ、止まらなくなってしまった。

「わっ、わわっ! 何故泣く? 俺が泣かしたのか?」

 うさぎは、大慌てで走りうさぎの顔を見上げる荒日佐彦に、再度座礼をした。

「嬉しいんです。こんな私が『いい』と妻に迎えてくれようとする荒日佐彦様の優しさが……とても嬉しくて……」

「……お前は自分を卑下しすぎだ。お前のほうが俺よりずっと優しいし、心の綺麗な娘だ」
「そんな……そんなこと」

 ちょっとごめんな、と言うと荒日佐彦はほんの少し、大きくなる。今度は幼児ほどの大きさだ。

 そうして荒い毛並みの生えた手で、うさぎの涙をすくう。
 うさぎの涙は毛に吸い込み、ふわりとした柔らかい毛並みへと変化させていった。

「ほら、見てみろ。俺の相手を怪我させるほどの硬い毛がお前の涙で、瞬く間に柔らかくなっていく。この涙はお前の性質を語っている。昨夜驚かせてしまったが会った瞬間、お前の温かな優しさや纏う雰囲気の清らかさに『妻はお前しかいない』と感じたのだ」

「荒日佐彦様……」

「お前しか、俺を俺でいさせてくれる女はいない。――妻になってくれ」





「……私でよろしければ……精一杯お仕えします……」

 座礼から顔を上げ、幼子ほどの大きさになっている荒日佐彦と視線を合わせる。
 手を差し出され、おずおずと自分の手を合わせる。

 一瞬チクリとしたが、針山のような毛があっという間に柔らかな毛並みとなった。

「俺の全身を纏うこの毛はこの村一帯にある『災』と呼ばれる『瘴気』なのだ。俺は他に『厄』『禍』もこの身に受け、それを纏う。でないと、村一帯を襲い農作物だけでなく山々も枯らせてしまうし、病魔も襲ってくる」

「荒日佐彦様お一人でそれを……村を守ってくださっていたのですね。ありがとうございます」

「ああ、しかしな。神だとて限界がある。こう瘴気に当てられたら俺だって正気でいられなくなる。もしそうなったら逆に地滑りなど土砂災害や、川の氾濫、飢饉などの災害を起こしてしまう可能性だってある」
「まあ……そんなことに」

 村も槙山家も、今までずっと平和でこられたのは荒神が悪いものを全てその身に受けてくれていたからなのかと、うさぎは納得し頷く。

「そうならないように支えるのが妻の役目なのだ。私の顔に触れてくれないか?」

「は、はい……」
 
 うさぎはそろそろと、彼の顔と思われる部分に触れる。
 すると、そこでもあっという間に柔らかな毛並みに変化した――が、それだけで終わらなかった。
 手のひらが触れている箇所からパラパラと毛が取れ、畳の上に落ちていく。

「荒日佐彦様の毛が……!?」

 毛は落ちた先から塵のように消えていく。
 そして後から後から荒日佐彦の体から毛が落ちていっては、畳の上で消えていった。

 うさぎが驚いたのはそれだけではなかった。
 毛がなくなった箇所は人と同じ肌が見えた。うさぎはそこが頬の部分だと知る。

「すまないが、顔全体に触れてほしい」
 荒日佐彦に乞われ、うさぎは見えた頬から輪郭を辿るように顔を撫でていく。

 パラパラと畳に落ち、消えていく硬い毛と変化していた瘴気全てなくなり、荒日佐彦の容貌が現れたとき、うさぎは恥ずかしくなり手を引っ込めた。

 金にも銀にも見える髪と美しい瓜実の顔。スッと通る鼻梁。意志の強そうそうな唇。そして瑠璃色の瞳。

 荒日佐彦がいつの間にか青年の姿になっていたこともあり、うさぎは後ろに下がる。

「どうした? まだ俺が怖いか? ……ああ、まだ体は毛むくじゃらだしな」
「いいえ……その、怖いわけではなく……驚いたんです」
「? 確かに触れただけで毛が抜けてしまうのは驚くだろう。しかし、それがお前の力だ、うさぎ」

「……私の、力?」

 荒日佐彦はそうだ、と首肯した。


「槙山家の血と先祖から受け継いだ荒神との盟約により、花嫁になる娘は生まれながらにして『浄化』の力を持っている。『百年に一度、槙山家から神に花嫁を差し出す』というのは『この地を守る神の妻となり、夫の身に受けた瘴気や不浄を祓う役目を担う』ということなのだ」

「そうだったのですね。……では、本妻の娘の美月も、この力を持っているということでしょうか?」
「……以前は持っていただろうよ。だが、今はないようだ。数年前に失っているな」
 荒日佐彦は顎を掴み考え込みながら話す。

「どうしてでしょう……?」
 悩んでいるうさぎに荒日佐彦は「気にすることはない」と微笑んでくる。

 その微笑みの輝きに、うさぎは知らず頬を赤くした。

「お前は俺のところに来た時点で、もう神の花嫁なのだ。たとえ血が違くとも(・・・・・・)その姿もその血(・・・)も、誇りに思うがいい」

「荒日佐彦様……」

 伸ばされた手を取る。人の肌とぬくもりに恋を知った少女のように胸がときめく。

(ううん、その通りよ。私、初めて恋を知ったんだわ)

『お前がいい』とはっきりと自分を欲してくれた。
 白い髪と赤い目の『化け物』を。

 握られた手が、なんて優しいのか。

「名前が『うさぎ』ではややこしいな。神使共と同じでは、名前を呼んだらまた悪戯にあいつらがやってきそうだ」

「うさぎ」と呼んで「はーい」とピョンピョン跳ねながら、わらわらとやってくる神使たちの姿が容易に想像できてしまい、思わず笑ってしまう。

「やっと笑ってくれた」
 荒日佐彦がそう言いながら、うさぎの髪を一房取る。
 愛しそうに髪に触れてきた彼の手は、ちっとも怖くなかった。

 こんな風に髪を掴まれたことは母を亡くして以来、なかったから。

「そうだな……今後、『白い』『花』と書いて『きよか』と名乗るといい」

「『白花』……綺麗な名前……本当によろしいのでしょうか?」
「お前にぴったりな名前だ。白花。白く清らかな、俺の美しい一輪の花」
「白花、白花……嬉しい……嬉しいです」
 目から涙が溢れて、止まらなくなってしまう。

「泣くな」
「申し訳ありません。嬉しくて……」

「さっきも泣いた。白花は存外泣き虫なのだな」
「違います……荒日佐彦様がお優しいから、私……」

 荒日佐彦の手が白花の両の頬を包み込む。近くで目線が合いこれから始まる儀式に白花の胸が高鳴る。

「お前の全てで、俺を俺らしくいさせてくれ」

 
 荒日佐彦の囁きに、甘い口づけに、うさぎは酔いしれ、彼の妻となった。



(ここは不思議な場所だわ)

 うさぎ――白花(きよか)と名前を付けられ、荒神荒日佐彦の妻となって一ヶ月が経った。

 仮宮とその周辺はとても静かで、自分以外の人はいない。
 鳥居の前まで来るとたまに村人が覗いているのが朧気に見え、鳥居の向こう側の景色はハッキリしない。

「神界と人間界の境界なんですよ。あちら側からは仮宮が見えるだけで私たちの姿は見えておりません」

 アカリが「ほほほ」と笑いながら話してくれた。
 神界側に自分はいると言うが、景色もさえずる鳥も、時折姿を見せる動物たちも向こう側にいた頃と寸分変わりない。

「不思議ね……。私たちからは見えるのに、向こうは私たちが見えないのね」
「はい。仮宮に入ってきても無人の宮に見えるでしょう。まあ、感の強いお方は『なんかいる』とかぐらいはわかるのではないでしょうか?」

(私も見えないのね)
 白花はそれが一番不思議だ。

『こちらから人間界に干渉できるが、向こう側の者たちは俺たちが許可するか、本人に力がない限り干渉できん』
 そう荒日佐彦が話してくれたことを思い出す。

 つい数日前までは『化け物』と呼ばれ、蔑まれてきた『人』だった。
 荒日佐彦神と夫婦の契りを結んで自分は『神』に近い『人』となったという。

(私自身、どこか変わったというのは……ないわよね?)

 自分の手のひらや腕、腰まである揺れる白い髪を撫でる。
 どこか変わったという部分はない。

『夫の身に受けた瘴気や不浄を祓う役目を担う』力を持っていたのも不思議だし。

 白花はアカリとそう話ながら掃き掃除を済ますと、剪定ばさみを所望した。

「お部屋がなんとなく寂しいから、花を飾りたいの」
「そうですねぇ、ではお持ちいたしますので、ここでお待ちくださいまし」

 アカリが取りに行っている間、白花は縁側を前に景色を眺めた。
 白花と荒日佐彦が住まいとしている場所は奥まったところにある。ここは人が住むのとなんの変わりない造りだ。

 白花は瞼を閉じ、鳥のさえずりを聞く。

(幸せだわ……)

 この空間の中で、自分は愛して愛されて、みな優しくしてくれる。

 心は哀しみで埋まっていたのに、荒日佐彦に触れてあっという間に霧散してしまった。
 ここでは「うさぎ」ではなく「白花」で、自分を受け入れてくれている。

 怯えて碌に話せなかったのに、怯える必要がないから今度はたくさんお喋りをしたくなった。
 こんなによく話せるなんて、自分でも知らなかった。





(それに……)

 荒日佐彦が自分の拙くてとりとめのない話を、楽しそうに聞いてくれる。

 彼の瑠璃色の瞳が自分を見つめ、宝玉のように触れてくるとどうにかなってしまいたくなる。
 
 白花は荒日佐彦の腕の力強さを思い出して、トクトクと胸を鳴らす。

「こんなところにいたのか、白花」
「――っ!? 荒日佐彦様」

 後ろから抱きしめられ、白花は驚いて顔を後ろに向ける。
 すぐ近くに彼の逞しい首があって、唇が触れそうになり、慌てて前に向き直した。

「? どうした?」
「い、いえ。なんでも……」

 きゅう、と包むように抱きしめられ、白花は頬を染めた。

 それを知ってか知らずか荒日佐彦は、楽しそうに話しかけてくる。
「白花はいつも初々しいな。まだ俺にこうされるのは慣れぬか?」
「す、すみません……。い、いつか慣れるかと……」
「よいよい。少しずつ慣れていくといい。何もかも初めて戸惑うばかりであろう?」
「ありがとうございます。一刻も早く慣れるよう努めて参ります」
「だから少しずつでよいと言っているであろう?」

 あはははと笑いながら、荒日佐彦は腕を白花の腰に回す。

「ここで何をしていたのだ?」
「あ、はい。部屋に花を飾ろうかと……。今アカリさんに、剪定ばさみを取りにいってもらっているところです」
「なんだ、まだ『さん』付けをしているのか?『アカリ』でいいんだぞ?」
「でもまだ慣れなくて……」

「そうなんですよ、『アカリ』と呼んでくださいと申しているんですけれど」
 アカリが戻ってきて、白花に剪定ばさみを渡す。
「ごめんなさい」
「いえ、いずれは『アカリ』と呼んでくださいましね。その方がわたしも嬉しいんです」
 ニコニコしながら白花に話しかけるアカリに白花は、本当にありがたいなと思う。

「部屋に飾る花が欲しい、と言ったな? 好きに選べる場所へ連れて行こう」
「は、はい」

 荒日佐彦が白花を引き寄せ、そのままどこぞへ連れて行く。
 仮宮があるこの周辺は、確かに父が神を一時的に移す場所として造った。
 なのに別の空間の中に自分たちはいるのだ。
 おそらく荒日佐彦が連れて行こうとする場所も、異空間なのだろう。

 仮宮の外を数歩歩いて――急に景色が変わり、その光景に白花は目を見張る。
 いつの間にか、一帯に咲き乱れる花々の中にいたからだ。

「今、我らが居る場所は『夏』の地だ。隣は『秋』もう少し行けば『冬』がある。後ろは『春』だ」
「ここはいったい……? 村の……中ではありませんよね?」
「ここは、このはなさくやひめ神が管理なされている地だ」
 それは白花でさえよく知る女神だ。

「か、神様ではありませんか? そんな恐れ多い場所に私がきては……!」
「ここに来られた、ということはそなたは受け入れられたということだ。安心せい」


「で、でも……!」

 ――化け物。

 美月の声が頭に響いたその時。

「白花」
 美月の声を霧散させる甘く優しい声と、自分の頬を撫でる大きな手に白花は我に返った。