最優秀賞、優秀賞、特別賞、佳作。上から順に目を通して、けれどそのどこにも自分のペンネームがないことに気づいて私は一つため息を吐く。
 絶対的な自信があったわけではない。キャラの作り込みも、話の構成も甘かった。けれど、今の自分の精一杯を込めて書いた作品だった。だからこそ落選したという事実が胸にずしりとのしかかる。
 もう一度ため息を吐いてからページを閉じようとマウスを動かすと、「美月?」という声が誰もいない部室に響き渡った。
 パソコンを背に隠すようにしながら後ろを振り返ると、部員である春谷樹が不思議そうな顔でこちらを見つめていた。
「何してんの?もうとっくに部活終わってる時間だろ」
「い、樹こそ……」
 北瀬川くんの号令を最後に部員は皆帰路についた。樹はそもそも最初から部活に来ていなかったし、だからこそ私は安心してパソコンを開いていたのだ。だというのに、なぜか部室に現れた彼は問い詰めるようにじっとこちらを見つめている。
「俺は部室に筆箱忘れたの。それに気づいたから取りに戻ってきたってワケ」
「……別にそれ、明日でもいいじゃん」
「赤ペンないと原稿の推敲もできないんですけど~?」
 樹の言う≪原稿≫とは、文化祭で発行する部誌に書き下ろす小説のことだろう。締め切りはもう少し先だが、樹はいつも余裕をもって作品を提出していた。
「赤ペンくらい家にもあるでしょ」
「あるけどさ、いつも使ってるペンじゃないとなんか調子出なくない?」
 家にあるペンは重いだとか書き心地が悪いだとか、つらつらと文句を並べ立てながら樹はじりじりとこちらに近づいてくる。
「で、美月は何を隠してんの?」
「か、隠してない!」
「その反応絶対隠してんじゃん。嘘下手なんだから諦めろって」
「樹しつこい!」
「美月は往生際が悪い」
 右に左に動きながらパソコンを覗き込もうとしてくる樹から画面を隠していると、彼は諦めたように一つため息を吐いた。そして、「じゃあ先に俺の秘密を教えるからさ」と言う。
「じゃあってなに……。そもそも私聞きたいなんて言ってないんだけど」
 樹の秘密とやらに興味はないし、この交換条件をのんだところで得をするのは樹だけだ。そう思っていたのだが、樹が「部員の誰にも教えてないことだよ?いいの?」などと言ってくるものだから、だんだんと≪秘密≫が気になってきてしまう。
「誰にもって、北瀬川くんにも?」
「秘密ごとなんてアイツにこそ言いづらいだろ」
「北瀬川くん、あれで意外と口固いけどね」
「それはそうだけどさ……。でも、北瀬川と真面目な話をするのはなんか違うじゃん」
「ふ~ん、樹の≪秘密≫は真面目な話なんだ?」
 わざとらしく私がそう言うと、樹は「カマかけんのやめろって」と大げさに嫌がる。
「で、どう?興味出てきた?」
「まぁ、そこまで言われたら多少はね」
 そう返すと、樹は「よし!じゃあ交渉成立!」と言って笑った。私としては交渉を成立させたつもりはなかったのだけれど、こうなった樹がしつこいことは知っている。それならもういいか、と半ば諦念の気持ちで流れに身を任せると、樹はゆっくりと口を開いた。
「実は俺、スクールに通ってんだよね」
「スクール?」
 予想外のその言葉に思わず樹の言葉を復唱すると、彼はこくりと一つ頷く。
「そ。夜間と土日にアクタースクール通ってんの」
「樹が?」
 それは、正直に言えばとても意外な言葉だった。俳優と言えば華や存在感があるイメージがあるが、樹は良くも悪くも普通なのである。そんな樹が舞台に立っている姿など、私には全く想像できない。
「それは……舞台役者とか、そういうやつ?」
 ほんの少し前に学校行事で観に行った地元の劇団の公演を思い出しながら尋ねると、樹は「どうだろ」と笑った。
「スクールでは結構色んなことやらせてもらってるけど、じゃあどの道に進みたいかって言われるとまだそこまでは考えられてないって感じかな」
「役者の道ってそんな色々あるの?」
「そりゃそうだろ。舞台役者、ミュージカル俳優、アニメ声優に吹き替え声優とか……。ひとくちに役者って言っても種類があるんだよ」
 当然のようにそう言われて、私は思わずムッと口を尖らせる。
「知ってて当然みたいに言うのやめてよね」
「別にそこまでは言ってねえけどさ、美月は知っとかないとやばいんじゃないの。作家は色んな知識蓄えとくのが大事ってよく言うじゃん」
「それはそうだけど……」
 そう呟いてから、私はふと気づく。作家を目指しているなんてこと、私は樹に言っていない。それなのにそんなことを言うということは――。
「樹のばか!パソコン見たでしょ!」
「見たっていうか見えたんだっつーの」
 その言葉に、私はぐうと呻いてから押し黙る。樹の話に集中するあまり背後のパソコンから意識を逸らしてしまったのは私の落ち度だ。見えてしまった、というのも嘘ではないようだし、あまり文句も言っていられない。
「まぁでも、これでちょうど等価交換だろ。俺の夢は美月だけが知ってて、美月の夢は俺だけが知ってんだから」
「それはそうかもしれないけどさぁ……」
 だからといって、落選して落ち込んでいるところを見られていい気はしない。そう思っていると、樹は「色々あるけどさ、お互い頑張ろうぜ」と朗らかに笑った。
「夢を追うもの同士、俺と美月は仲間ってことになるし」
「それは確かに……」
「だろ?いつかでっかいこと成し遂げて、アイツらのこと驚かせてやろう」
「……うん、そうだね」
 それはきっと、私が落選したことを察した樹なりの慰めだったのだろう。そうやっていつも通りに笑う樹を見ていたら、何だかまだまだやれるような気がしてくるのだから不思議だ。
「あっ、それじゃあさ」
 いつの間にやら筆箱を小脇に挟んで帰り支度をしていた樹を見ながら私は声を上げる。
「私が将来人気作家になって作品が映像化したら、主演は樹がやってよ」
 それは、私にとって考え得る最高の未来だった。にこりと笑みを浮かべながらそう言うと、樹は「さっきまで落ち込んでたくせに」と呆れたように声を溢す。
「だって、いつまでも落ち込んでたって仕方ないでしょ?今はまだ無理でも――そうだな、大学生くらいには多分デビューしてると思うし」
「根拠のない自信じゃん」
「なくないってば!私文学部志望だし、大学生になったらいい感じに知識もついてるはずだから!」
「あー、はいはい。バカなこと言ってないで帰るぞ」
 そりゃあ確かにお互い夢を叶えて、尚且つ一緒に仕事をするなんて夢のまた夢のようなことなのかもしれない。それでも、私は本気でそうなればいいと思ったのだというのに――。そんなことを考えていると、樹は「考えといてやる」と小さく呟いた。
「えっ?」
「だから、考えといてやるって言ってんの。言っとくけど、おまえがつまんない作品書いてきたら絶対主演なんてやってやらねえからな」
「っ……!うん!」
 その瞬間、なんだか景色がキラキラと輝いて見えた。私はきっとどこまでも行ける。そして、それは樹だって同じなのだ、と。不思議とそんな風に思ったのだ。