『そういえば俺、四月からそっち戻ることになったわ』
 パソコンの向こう側から聞こえてきたその声に、私は驚きでグラスを落としそうになる。傾いたグラスを慌てて両手で支えていると、それに気づいたのか彼――春谷樹(はるやいつき)がくすくすと笑い声を上げた。
美月(みつき)、驚きすぎ』
「そ、そりゃあ驚くよ……!だって……」
 その言葉の先は言えなかった。樹が先ほどの発言をしてから、それまで盛り上がっていたリモート飲み会の場は不自然な沈黙に満ちている。皆、なんと声をかけて良いのか分からないのだろう。しかし、そんなことは私にも分からなかった。
『事務所はもう辞めてきた。SNSにも辞めるってお知らせ載せてたんだけど……おまえら、さては俺のSNS見てないだろ!』
 樹は冗談めかした口調でそう声を張り上げると、『最初の頃は仕事関係の投稿する度に連絡くれてたのによー』『ここ最近はリモート飲み会さえあんまり開いてくれなかっただろ』などと不満を溢し始める。そこで、ようやっと少し場の空気が動き出したのを感じた。
『樹のためにわざわざリモート飲みばっかやってらんないっつーの。おまえ以外は皆んな地元にいんだから普通に飲み会開いた方が早えわ!』
 北瀬川くんがそう言ったのを皮切りに、皆が口々に喋り出す。
『北瀬川の言う通りだわ!樹のためだけにいちいちパソコン開いてられんて』
『そーそー。北部長もっと言ってやってよ』
『俺はもう部長じゃないんで文句があるなら樹に直接言ってくださーい』
 一瞬流れた気まずい雰囲気はどこへやら。気づいたときにはいつも通りの文芸部の空気が戻ってきていて、私は改めて北瀬川くんの凄さを感じる。良く言えばマイペース、悪く言えば協調性のなかった当時の文芸部の面子をまとめ上げられていたのは、全て北瀬川くんのおかげと言っても過言ではないのである。
 皆から口々に声をかけられて、樹は『ははっ』と愉快そうな笑い声を溢す。
『ってことは俺がそっち戻ったらリモートじゃない飲み会開いてくれるんだよな?』
『おー、じゃあせっかくだし樹のお帰りなさい会開くか』
 北瀬川くんのその言葉に、『お帰りなさい会ってネーミングセンスやば』『小学生のお楽しみ会かよ』と声が飛んで、私も思わず笑い声を上げてしまう。
 社会人になって、お酒が飲めるようになっても元文芸部の面子は雰囲気が変わらない。そして、それはきっと樹が地元に帰ってきてからも同じだろう。そう思うと、救われたような気持ちになる一方でなぜだか酷く悲しいような気持ちにもなった。