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 律と瑠希が地元の中学に進学した頃、烈は大学に通っていた。
 もう制服に袖は通しておらず、ラフな格好でいる烈を律は遠巻きに見ていた。

「兄貴になんか言わなくっていいの?」
「……だって、お兄さんもう彼女いるでしょ?」
「あんだけ烈くん烈くん言ってたのに? あと兄貴は大学入学のときに高校の彼女とは別れてるよ」

 瑠希にあっさりとそう言われて、律はパァーッと紅潮させた。そしてそのあと、背中を丸める。

「……人の失恋を喜ぶのは、よくないと思う」
「それ、今ものすっごく喜んでた奴の言う台詞?」

 呆れられたが、既に失恋の痛みを知っている律からしてみれば、烈の破局を喜んじゃいけないというモラルは当然ながら存在していた。
 中学に入ったら、当然ながら小学校では遭わなかった校区の子たちも合流し、違う人間関係や友達関係も形成されたが。それでも律は烈以上に好きになれる人が現れなかった。

「仲いいんだったら、いっそ瑠希くんにしておけば?」

 中学に入ってからできた友達の来夏にそう言われたが、律は首を振った。

「瑠希くんねえ、運動できる子が好きなの。今は女子サッカー部の子が好きだから。あんまり私に助言聞きに来たら、その子に失礼だよって言ってるところ」
「なるほど……でも今大学生ってことは、私たち高校に入ったらもう社会人じゃない。どうしようもなくない?」
「そうなんだよね……」

 瑠希に対する助言は、今はアプリを使ってやり取りしているため、前のように兄弟の家を訪ねて一緒に遊ぶようなことはなくなった。そのせいで、今の烈も、買い物帰りや庭仕事をしている際に鉢合わない限りは、なにをどうしているのかはいまいち知らなかった。
 律からしてみれば、烈ほど自分に優しくしてくれる人を知らなくて、彼より自分の心をかき乱してくれる相手も知らなかった。
 瑠希の惚れた腫れたの顛末は大概知っていても、烈の彼女遍歴は遠巻きに眺めて、瑠希越しに知ることしかできなかった。
 既に人生の半分は烈に片思いしているから、彼の気配を探し、彼の気配を追い、それを眺めているのが彼女にとっての日常になってしまっている。それでいて烈から話しかけてこない限り話しに行けないのは、律は何度も何度も失恋をしたくないせいだった。
 いい加減彼女も、中学生を大学生がどうこうする目で見たらまずいということくらいわかっているからこそ、余計に遠巻きにしか見られなくなっていた。

「他に好きな人ができればいいなあって思うよ。でも、烈くん以外に失恋したくないなあとも思う。烈くんに対しての失恋より痛くて苦しいこと、なかなか味わいたくないもの」
「重傷だねえ……律ちゃんがいいんだったら、それ以上はなにも言えないけどさ」

 来夏は呆れた声を上げたが、それに対して律はどう答えるべきかはわからなかった。
 近所には柿の木が季節が変わってもなお柿の実がしがみついているのを見かける。それはまずいらしく、鳥すら啄むことがなく、ただ冬になったらボトリと落ちて、発酵した果実酒の匂いを吐き出している。
 律の恋は既に発酵した柿のように、ぐずついて未練たらしいものになってしまっていると、本人が一番自覚している。

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 せめてもの抵抗で、律は受験勉強する際に女子校を受験することにした。それには瑠希も来夏も当然ながら突っ込んだ。

「ええ、律。お前彼氏つくんなくっていいの?」
「別に。彼氏いなくっても生きていけるし」
「りっちゃん。まだ私ら高校生だよ? そんなヤケにならなくっても」
「なってないよ。ただこの学校ね、エスカレーター式で、成績優秀者は大学進学の際に行きたい学科を選べるんだって。成績頑張って上げないと」

 大学受験をしたくないからという理由もあったが、もうひとつは律の中で切実な理由があった。女子校生活に入ったら、もしかしたら彼氏ができなくても生きていけるようになるかもしれない。もしかしたら恋愛したくなくなれば、やっと烈のことを忘れられるかもしれない。
 律はそれはそれはよく勉強し、学内奨学金を取って一年間授業料タダという特待生として、合格を決めたのだった。
 女子校の制服は、今時古臭いワンピースタイプのセーラー服で、自然と大正や昭和の匂いを思わせた。そこで女子校生活を送ったら、なにかが変わると思っていたが。
 入学式の際、律は信じられないものを見てしまった。

「それでは、皆様と一緒に新任教師になった教師一同の挨拶です」

 入学式のシーズンに同時に新任教師の発表となったが、その中に烈がいたのであった。よくよく考えれば、女子校にだって普通に男性教師はいる。男子が入学できないだけで、男性は普通に働き口があれば働けるのだった。
 烈は新任のために担任クラスはなかったが、数学教師として授業を受けはじめた。
 女子高生は若い教師を見た途端に、勝手に恋に落ちはじめたが、烈は「はいはい。突発小テストです」と、モーションをかけてきた生徒のクラスを突発小テストで狙い撃ちしたために、あっさりと嫌われた。

「若い先生だからもうちょっと生徒に振り回されると思ってたけど、あの人笑顔で鋭いわ」

 そう言ってのけたのは、女子校に入学して友達になった露美だった。それに律は笑う。

「そう? 真面目なんだと思うよ。教師と生徒で恋愛って、まずいのは教師のほうだし。処世術だよ」
「りっちゃんわかった風なこと言うねえ」
「世間一般だとそうなんじゃない?」

 実際に人間関係や彼女のいるなし、結婚がどうのこうのは、授業中に誰かが唐突に聞き出すことがあっても、烈は全てスルーしてしまうため、なにもわからないままだった。
 一度地元の高校に進学した瑠希にアプリで確認したが、【兄貴家を出てったから、今は彼女いるなし知らねえぞ?】と返してきたため、やはり律でも今の烈の交流関係は謎のままだった。
 失恋して痛い目を食らうくらいだったら、せめて遠巻きにして彼を眺めていたい。烈は数学の授業中、ずっと烈を眺めて、一生懸命授業を受けていた。小テストで満点を取れば、返却の際に「すごいぞ」と褒めてくれる。そのひと言をもらうためだけに、彼女は前以上に勉強を頑張るようになった。

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 烈にアタックし、ひとりふたりと撃退され、とうとう「烈先生は生徒に興味なし」と結論がついた頃、律は成績を上げるだけ上げて、やっかみなのか本当に任されたのか、クラス委員になってしまっていた。
 秋になれば日が落ちるのも早くなる中、委員会活動に出かけ、それで日が落ちた中帰ることも増えていった。

「ああ……」

 委員会活動で行きそびれたトイレに行っていたら、その間にバスは行ってしまった。
 基本的に律の学校はバス通学であり、学校専用バスで登下校をする。バスが行ってしまった場合は、学校を出てしばらく歩いた先のバスに乗らないといけないが、既に帰宅ラッシュだ。バスは混雑していていつ乗れるかがわからない。

「どうしよう……」

 駅まで歩くべきか、小遣い消える覚悟でタクシー探すべきか。外灯がついているとはいえど、駅まで歩いて帰る勇気は、律にはこれっぽっちもなかった。
 泣きそうになりながら、律はスマホを眺める。家族は病院勤めであり、今日は両親どちらとも夜勤だったはずだ。だとしたらタクシーを呼び出すべきか。お小遣いが心配だが。
 そうひとりで躊躇してたら。

「まだ帰らないのかい?」
「あ……」

 烈であった。学校での教師スタイルは基本的にスーツで、夏はシャツだけだが、秋にもなったらかっちりとジャケットを羽織ってネクタイも結んでいる。それに律はあわあわとしながら答えた。

「トイレ行ってる間に……バスが行っちゃって……今からバス停まで歩こうか、歩いて駅まで帰ろうか、迷ってたところです」
「ああ、そっか。もう学校のバス出ないかもなあ」
「はい……」

 一応女子校は大学と隣接しているのだから、大学のほうまで歩けばバスがある可能性もあるが。大学は高校よりも授業が終わる時間が遅く、いつになったら帰れるかがわからない。暗い上にやや肌寒くて、そのせいで自然と律も心細くなり、涙を浮かべていたら、烈が溜息をついた。

「じゃあ駅まで送ろうか」
「え……」
「生徒がバスに乗り遅れてたらなあ。他の子たちはもう皆帰ったし」
「お、お願いします……」

 知らないうちに免許を取り、知らないうちに車持ちになっていた。烈は律の知らない人生を送っているんだなということをまたひとつ知り、またひとつ傷付いた。
 烈の車は静かで、ときどきバスに乗っているときに乱暴に感じる揺れひとつなく、車は進んでいった。
 授業の話や委員会活動の話、本当にただの先生と生徒の話をしたあと、長くて楽しかった時間は終わり、駅の前で車は停まった。

「ほら、降りて。もうすぐ電車来るから」
「は、はい。ありがとうございます……」
「次から気を付けて。あとこれは」

 烈はちょん、と人差し指を差した。

「他の生徒に内緒な」
「……はいっ」

 車が軽やかにスピードを上げて去って行くのを、律はぼんやりと眺めていた。

「烈くん……」

 彼女にとって、やはり烈は教師であったとしても、優しいお兄ちゃんであり、失恋をしてもなお好きな人のままだった。
 その日、久々に律は浮かれた。浮かれついでにアプリで友達に報告した。
 同じ学校の露美に言ったらまずいだろうと、未だに交流のある瑠希と来夏にだけだが。
 瑠希からは【あーあーよかったなよかったな】と棒読みな返事と一緒に、何故かカッパのスタンプを大量に送られ、来夏からは【いち生徒の付き合いじゃないよ、これは。絶対に脈あるから、頑張れ】とチアガールの学校のシマリススタンプを送られた。
 律はふたりに【ありがとう】とメッセージを送ってから、空を見上げた。
 成績優秀で、いい生徒で、それからなにができるだろうか。
 律は当たって砕けていった生徒たちみたいな行動は取れなかった。それをしたら、教師としての壁をつくっている烈が、今日みたいにそれを崩して助けてくれるような真似はもうないだろうから。
 だからと言って生徒のままでは、いい生徒と先生のままで終わってしまう。
 なにをどうしたらいいのか、律にはいまいちわからないままでいた。