俺はお前の強さを誰よりも信じている。そんな自信がある。早川さきなんて目じゃねえよ。
第一、ちょっと才能があって、ひょいひょいと簡単に壁を乗り越えて行っていった奴に、本当の強さなんて宿るもんか。
いいか、雨宮。お前は強い! 誰よりも強い! だから早川さきなんて、さっさとぶっ飛ばしてやれ!!
お前の本当の強さを見せてくれ!! 俺の願いはもう、ただそれだけだから……。だから、頼んだぜ、雨宮……」
彼はその慟哭とともに、私に想いを託してくれた。
プロになるという夢と、その先にあるプロの頂点に立つという夢を、私に託してくれたのだ。
「岡田くん……。あなたの想いはよく分かったよ。
私もさきに、いつまでも得意な顔をさせておくつもりなんてない。そのために、プロになってからも、いろんな打ち方を試している。
今は負けが続くのは承知の上だよ。だけど、5年後、――いや、3年後にはさきに追い付ける。そんな自信が、今はある。
相手の棋風によって、こちらの棋風も変える、このカメレオン戦法さえ完成すれば……!!」
私はまだ、さきを追いかけ続けている。プロになった今でも、まだ追い付いたわけじゃない。
彼女といつかタイトル戦で争って、そのタイトルを奪取する。少なくとも、それが実現できない限り、私はさきの背中を見ているだけだ。
これはまだ、追いかけっこの途中。途中、途中、途中……!
私は煌めく星を追いかけて、いつか絶対にそれを捕まえる。そんな想いを改めて、岡田くんが奮い立たせてくれた。
だから私は、そんな彼の真剣な眼差しに、全力で応えることにした! 白石をひとつ、強く掴みあげる。
「岡田くん、ここから先は指導碁なんかじゃないよ。
今の私の本気の強さを、見せてあげる。覚悟はいい?」
「ああ、望むところだぜ、雨宮!!
来いよ、全力でかかってきやがれぇえええええええぇ!!!」
――熱い戦いだった。夏の太陽なんかよりもずっと。
すべてを忘れそうになるくらいに、没頭した。
だけど、勝ち負けなんてどうでもいい、――わけがない。
私は絶対に岡田くんに勝たなきゃいけなかったから、本気で勝ちをもぎ取った。
結果としては私の中押し勝ちだったけど、一瞬たりとも油断のできない戦いだった。
それはプロの手合と変わらないくらい、大事な一戦だったからだ。
しばしの余韻のあと、岡田くんがぽつりと呟いた。
「……あのとき以上の短手数での投了か」
「素直に守りたくない気持ちは分かるけど、この断点を放置するのは無理だったんじゃない?
カタツギかカケツギか……、カタツギのほうがいいかな。それで守っておけば味残りだし、まだ戦える形勢だったと思うよ」
「そりゃヨセまでいく前提の話だろ。力量差があるなら、乱戦狙いじゃないと勝てねえよ」
「乱戦狙いなら、ここの交換は不要じゃない? 利き筋を残しておいたほうが、のちのちの戦いで有利だったよ。
たとえば、ここをこんな風に打ってから――」
私はひょいひょいと思い付いた図を並べていく。それに岡田くんは心の底から感心しているようだった。
「これがプロの力ってわけか」
「でも、岡田くんも強くなってるよ。あのときよりもずっと」
「それ以上に、お前のほうが強くなってるってことだろ? 言われても、あんまり嬉しくねえな」
負けて悔しいと言うよりも、これまでの人生を振り返るような表情で、岡田くんは眉尻を下げた。
私はもしかしたら、彼の努力を、苦しみを、そして情熱を否定するような碁を打ってしまったのだろうか。
そんな不安に駆られたとき、岡田くんはふっと笑ってくれた。
「でも、今日偶然お前に出会って、この碁が打ててよかった。
やっぱりお前はすげえよ、雨宮。お前なら本当に、早川も倒せるかもな」
「……うん、私もおかげさまで成長を実感できたかな」
すると、突然岡田くんは何かを思い出したかのように、はっとした。
「でも、そういや早川って韓国棋院に移籍するとかって噂があるけど――」
「え、何それ。そんなの一度も聞いたことないよ」
「そうか。ならよかった。やっぱり噂は噂か。
そうでなくっちゃ、お前と早川の戦いが見られなくなっちゃうもんな」
うーん、でも意外と私たちの間でも隠し事ってあるからなあ。
さきちゃんが私に黙って、韓国棋院への移籍を考えてるという可能性も、ないとは言えない気がする。
……なんて思ったことは、黙っておこう。あんまり適当なこと言えないもんね。
いや、もしそんな大事なこと黙ってたらブチギレるけどね? 今度こそ絶交するかもしれないけどね?
それをやりかねないのがさきちゃんなんだよなあ……。うーん、信用がない。
「あーーーっ!! 翔ちゃん、こんなところにおったー!!」
突然の女の人の声。それは岡田くんに向けられたものだった。
その人はいつの間にか、岡田くんの傍に寄り添っていた。知り合い、――いや、彼女だろうか。
「なんだ、まなみか。財布は見つかったのか?」
「財布はすぐ見つかったけど、翔ちゃんが見つからへんかったんやん!
先行ってて言うたら、普通入口で待ってると思うやんか! なんでこんな入り込んだ先に――。
って、あれ? この女の人は? というか、なんでこんなところに碁盤があるん!?」
まなみと呼ばれたその人は、私をびしりと指差してそう言った。
関西人のノリ苦手だなあ……。声はでかいし、早口だし、圧が強い……。
「ええっと、私はプロ棋士の雨宮かさねと言います。
本日はこのお祭りのゲストとして呼ばれて――」
「あーっ! 思い出した!! テレビに出てた人やん!!
なんたらYouTuberと対局してた人! なんでこんなところにおるん!?」
いや、だから、お祭りのゲストだってば。話聞いてるのかな、この人。
「いいからあっち行ってろよ、お前。いちいちうるせえんだよ。
悪いな、雨宮。うちの彼女が騒がしくして」
「なんで雨宮って呼び捨てなん!? やっぱり翔ちゃん――、むぐっ!?」
岡田くんに口を押さえられて、強制的に商店街の入口のほうに連れていかれるまなみさん。
元気な彼女さんだけど、岡田くんも大変そうだなあ。その岡田くんはすぐに戻ってきた。……疲労困憊といった状態で。
「ぜぇはぁ……、どうにか大人しくさせてきたぜ。つってももう、お前と話すこともあんまりないけどな。
とにかく今日は会えてよかったよ。やっぱり俺にはプロになれるだけの力はなかったんだなって、改めて気持ちの整理もできたし。
お前に言いたいことも全部言えたからな。すっきりしたよ」
「そっか。それならよかったよ」
そして私たちはもう会うことはないし、会わないほうがいいのだろう。
私はプロとして、岡田くんはアマチュアとして、それぞれこれから先の人生で囲碁と付き合っていく。
そのほうがなんていうか、きっと収まりがいい。お祭りの楽しみ方は、きっと人それぞれだ。
碁石を碁笥に片付けて、改めて終わりの挨拶を交わすと、岡田くんは立ち上がりまなみさんがいるほうへと歩いていった。
「じゃあな、雨宮」
「うん、それじゃあね、岡田くん」
第一、ちょっと才能があって、ひょいひょいと簡単に壁を乗り越えて行っていった奴に、本当の強さなんて宿るもんか。
いいか、雨宮。お前は強い! 誰よりも強い! だから早川さきなんて、さっさとぶっ飛ばしてやれ!!
お前の本当の強さを見せてくれ!! 俺の願いはもう、ただそれだけだから……。だから、頼んだぜ、雨宮……」
彼はその慟哭とともに、私に想いを託してくれた。
プロになるという夢と、その先にあるプロの頂点に立つという夢を、私に託してくれたのだ。
「岡田くん……。あなたの想いはよく分かったよ。
私もさきに、いつまでも得意な顔をさせておくつもりなんてない。そのために、プロになってからも、いろんな打ち方を試している。
今は負けが続くのは承知の上だよ。だけど、5年後、――いや、3年後にはさきに追い付ける。そんな自信が、今はある。
相手の棋風によって、こちらの棋風も変える、このカメレオン戦法さえ完成すれば……!!」
私はまだ、さきを追いかけ続けている。プロになった今でも、まだ追い付いたわけじゃない。
彼女といつかタイトル戦で争って、そのタイトルを奪取する。少なくとも、それが実現できない限り、私はさきの背中を見ているだけだ。
これはまだ、追いかけっこの途中。途中、途中、途中……!
私は煌めく星を追いかけて、いつか絶対にそれを捕まえる。そんな想いを改めて、岡田くんが奮い立たせてくれた。
だから私は、そんな彼の真剣な眼差しに、全力で応えることにした! 白石をひとつ、強く掴みあげる。
「岡田くん、ここから先は指導碁なんかじゃないよ。
今の私の本気の強さを、見せてあげる。覚悟はいい?」
「ああ、望むところだぜ、雨宮!!
来いよ、全力でかかってきやがれぇえええええええぇ!!!」
――熱い戦いだった。夏の太陽なんかよりもずっと。
すべてを忘れそうになるくらいに、没頭した。
だけど、勝ち負けなんてどうでもいい、――わけがない。
私は絶対に岡田くんに勝たなきゃいけなかったから、本気で勝ちをもぎ取った。
結果としては私の中押し勝ちだったけど、一瞬たりとも油断のできない戦いだった。
それはプロの手合と変わらないくらい、大事な一戦だったからだ。
しばしの余韻のあと、岡田くんがぽつりと呟いた。
「……あのとき以上の短手数での投了か」
「素直に守りたくない気持ちは分かるけど、この断点を放置するのは無理だったんじゃない?
カタツギかカケツギか……、カタツギのほうがいいかな。それで守っておけば味残りだし、まだ戦える形勢だったと思うよ」
「そりゃヨセまでいく前提の話だろ。力量差があるなら、乱戦狙いじゃないと勝てねえよ」
「乱戦狙いなら、ここの交換は不要じゃない? 利き筋を残しておいたほうが、のちのちの戦いで有利だったよ。
たとえば、ここをこんな風に打ってから――」
私はひょいひょいと思い付いた図を並べていく。それに岡田くんは心の底から感心しているようだった。
「これがプロの力ってわけか」
「でも、岡田くんも強くなってるよ。あのときよりもずっと」
「それ以上に、お前のほうが強くなってるってことだろ? 言われても、あんまり嬉しくねえな」
負けて悔しいと言うよりも、これまでの人生を振り返るような表情で、岡田くんは眉尻を下げた。
私はもしかしたら、彼の努力を、苦しみを、そして情熱を否定するような碁を打ってしまったのだろうか。
そんな不安に駆られたとき、岡田くんはふっと笑ってくれた。
「でも、今日偶然お前に出会って、この碁が打ててよかった。
やっぱりお前はすげえよ、雨宮。お前なら本当に、早川も倒せるかもな」
「……うん、私もおかげさまで成長を実感できたかな」
すると、突然岡田くんは何かを思い出したかのように、はっとした。
「でも、そういや早川って韓国棋院に移籍するとかって噂があるけど――」
「え、何それ。そんなの一度も聞いたことないよ」
「そうか。ならよかった。やっぱり噂は噂か。
そうでなくっちゃ、お前と早川の戦いが見られなくなっちゃうもんな」
うーん、でも意外と私たちの間でも隠し事ってあるからなあ。
さきちゃんが私に黙って、韓国棋院への移籍を考えてるという可能性も、ないとは言えない気がする。
……なんて思ったことは、黙っておこう。あんまり適当なこと言えないもんね。
いや、もしそんな大事なこと黙ってたらブチギレるけどね? 今度こそ絶交するかもしれないけどね?
それをやりかねないのがさきちゃんなんだよなあ……。うーん、信用がない。
「あーーーっ!! 翔ちゃん、こんなところにおったー!!」
突然の女の人の声。それは岡田くんに向けられたものだった。
その人はいつの間にか、岡田くんの傍に寄り添っていた。知り合い、――いや、彼女だろうか。
「なんだ、まなみか。財布は見つかったのか?」
「財布はすぐ見つかったけど、翔ちゃんが見つからへんかったんやん!
先行ってて言うたら、普通入口で待ってると思うやんか! なんでこんな入り込んだ先に――。
って、あれ? この女の人は? というか、なんでこんなところに碁盤があるん!?」
まなみと呼ばれたその人は、私をびしりと指差してそう言った。
関西人のノリ苦手だなあ……。声はでかいし、早口だし、圧が強い……。
「ええっと、私はプロ棋士の雨宮かさねと言います。
本日はこのお祭りのゲストとして呼ばれて――」
「あーっ! 思い出した!! テレビに出てた人やん!!
なんたらYouTuberと対局してた人! なんでこんなところにおるん!?」
いや、だから、お祭りのゲストだってば。話聞いてるのかな、この人。
「いいからあっち行ってろよ、お前。いちいちうるせえんだよ。
悪いな、雨宮。うちの彼女が騒がしくして」
「なんで雨宮って呼び捨てなん!? やっぱり翔ちゃん――、むぐっ!?」
岡田くんに口を押さえられて、強制的に商店街の入口のほうに連れていかれるまなみさん。
元気な彼女さんだけど、岡田くんも大変そうだなあ。その岡田くんはすぐに戻ってきた。……疲労困憊といった状態で。
「ぜぇはぁ……、どうにか大人しくさせてきたぜ。つってももう、お前と話すこともあんまりないけどな。
とにかく今日は会えてよかったよ。やっぱり俺にはプロになれるだけの力はなかったんだなって、改めて気持ちの整理もできたし。
お前に言いたいことも全部言えたからな。すっきりしたよ」
「そっか。それならよかったよ」
そして私たちはもう会うことはないし、会わないほうがいいのだろう。
私はプロとして、岡田くんはアマチュアとして、それぞれこれから先の人生で囲碁と付き合っていく。
そのほうがなんていうか、きっと収まりがいい。お祭りの楽しみ方は、きっと人それぞれだ。
碁石を碁笥に片付けて、改めて終わりの挨拶を交わすと、岡田くんは立ち上がりまなみさんがいるほうへと歩いていった。
「じゃあな、雨宮」
「うん、それじゃあね、岡田くん」