「……もうずっとまともに連絡取り合ってないから」
まったく連絡してないわけではないけど、今では私よりも横山先生のほうがかさちゃんと話す機会が多いだろう。
だから一度、"今のかさちゃん"がどんな様子か聞いておきたかったのだ。
「……そうだな。あいつは元々明るいほうではないが、俺の世話をするときだけ妙に生き生きしやがるぜ」
「世話?」
「俺の家で研究会をやってるからな。たまに来ては掃除だの料理だの勝手なことをしてる。
おかげで俺は、近所じゃ未成年の通い妻がいることになってるんだぜ!?
ひでぇよな、いくら俺が40過ぎて独身だからって言ってもよぉ!?」
必死で訴える横山先生の顔を見て、私はお腹を抱えて大笑いした。
「……ぷ。あはは!! 何それ、おもしろーい!!
あっはっはははは!!」
「笑い事じゃねぇぞ! ただでさえ俺は昼間から犬の散歩しててニートだと思われてんだ!!」
「ふひひひひひ!! もうやめて、横山先生!!
おかしくってお腹がねじれちゃいそう!!」
あのかさちゃんが生き生きと40代のおじさんの世話をしてるというだけでも面白いけど、そのうえに通い妻とかニートとか!
……でも、それはきっと、今のかさちゃんにとっては数少ない救いの時間でもあるのだろう。
横山先生のおかげでほんの少しでもかさちゃんの心が休まる時間があるならば、私はそれに感謝しなくてはならなかった。
「時間になりました。早川三段は対局場に向かってください」
「ふひひ! ……あ、はーい!」
日本棋院の職員に呼ばれて、私は笑い涙を拭いながら席を立ち上がる。
だけど、その前に横山先生に一言言っておかないと。
「ありがとうございます、横山先生。おかげで気持ちが楽になりました」
「そうかい。別に笑わせようとしたんじゃねえけどな。
俺も今から記者室に行って観戦させてもらうからな。頑張れよ」
不満げな横山先生を残して、私が控室から出ようと扉に向かうと、彼は続けて言った。
その言葉とともに、部屋の空気が変わったような気がする。
「雨宮かさねは、天才だ。今まで俺が見てきた誰よりもな」
「…………私よりも?」
首だけ振り返って冗談っぽく言ったけれど、横山先生は至って真剣な表情と声色だった。
「当然だ。自惚れるんじゃねえぞ」
横山先生はふざけているように見えて、私が今、何に悩んでいるのか察しているようだった。
その証拠に、そこには一切のおふざけはなかった。
「俺には見えるぜ、雨宮とお前がタイトルをかけて争う、そんな姿がな。
見えないか? そんな未来が間近に迫ってるんだぜ?」
自信たっぷりに語る横山先生は、本当に本気でそう思っているようだった。
「……いいえ、私もかさちゃんを信じています。かさちゃんが本気を出したら、私なんか目じゃないくらいに凄いんです。
私がかさちゃんに勝てるのは囲碁しかない。だけど、それだって今はたまたま私が先に行っているだけに過ぎないんです。
かさちゃんはただ、道に迷って混乱しているだけ。霧が晴れれば一気に私の首を取りに来ようとするでしょう」
「なら、気合を入れねえとな?」
「ええ、それでも私は簡単にやられるつもりはありませんから。
逆に、私が返り討ちにしてやる。私が、雨宮かさねを殺します」
私は前を向いてそう宣言したけれど、背中で横山先生が笑っているような気がした。
対局場に入ったとき、末森八段の鋭い眼光が私を捉えた気がした。
だけど、私はそんな凄みなんかには負けない。かさちゃんがプロになったときに笑われないくらい、私はもっと上を目指さないといけないんだから。
末森八段、……もちろんあなたにも、この対局にかける想いはあるのでしょう。それでも私は、想いの強さならどんな棋士にも負けない。
息を吐いて対局場の椅子に腰かけた私は、末森八段の瞳を睨み返した。
「時間になりました。ニギリで先番を決めてください」
末森八段は黒を、私は白を握る。碁笥から大量の白石を掴んで、数えやすいように盤に並べていく。
その結果、私の黒番になった。碁笥を交換して対局の準備をする。
「それでは、対局を始めてください」
記録係の合図を受けて、私は一度大きく深呼吸をした。
……私は負けない。こんなところで負けてたまるか。だって、かさちゃんがもうすぐそこまで追いかけてきているんだから。
私はそんなかさちゃんに見られても、恥ずかしくない姿を見せなきゃいけないんだから。
だから私はこの囲碁界の頂点を目指す。そこで、私の大好きな親友の到着を待つ!
――右上隅小目。気合を入れた一手を勢いよく盤に打ち込む。
好きだよ、かさちゃん。大好きだ。この世界中を探しても他には見つからない、唯一無二の親友だ。
あなたがいないと、ときどき不安にもなる。私は"また"、ひとりぼっちになってしまうんじゃないかって。
だけど、彼女はきっと、……いいや、絶対に私がいるところまで登ってくる。私はそう信じてる。
誰がなんと言おうとも、彼女は私の、最高にして最強のライバルだ!
だから、待ってる。待ってるからね、かさちゃん!!
まったく連絡してないわけではないけど、今では私よりも横山先生のほうがかさちゃんと話す機会が多いだろう。
だから一度、"今のかさちゃん"がどんな様子か聞いておきたかったのだ。
「……そうだな。あいつは元々明るいほうではないが、俺の世話をするときだけ妙に生き生きしやがるぜ」
「世話?」
「俺の家で研究会をやってるからな。たまに来ては掃除だの料理だの勝手なことをしてる。
おかげで俺は、近所じゃ未成年の通い妻がいることになってるんだぜ!?
ひでぇよな、いくら俺が40過ぎて独身だからって言ってもよぉ!?」
必死で訴える横山先生の顔を見て、私はお腹を抱えて大笑いした。
「……ぷ。あはは!! 何それ、おもしろーい!!
あっはっはははは!!」
「笑い事じゃねぇぞ! ただでさえ俺は昼間から犬の散歩しててニートだと思われてんだ!!」
「ふひひひひひ!! もうやめて、横山先生!!
おかしくってお腹がねじれちゃいそう!!」
あのかさちゃんが生き生きと40代のおじさんの世話をしてるというだけでも面白いけど、そのうえに通い妻とかニートとか!
……でも、それはきっと、今のかさちゃんにとっては数少ない救いの時間でもあるのだろう。
横山先生のおかげでほんの少しでもかさちゃんの心が休まる時間があるならば、私はそれに感謝しなくてはならなかった。
「時間になりました。早川三段は対局場に向かってください」
「ふひひ! ……あ、はーい!」
日本棋院の職員に呼ばれて、私は笑い涙を拭いながら席を立ち上がる。
だけど、その前に横山先生に一言言っておかないと。
「ありがとうございます、横山先生。おかげで気持ちが楽になりました」
「そうかい。別に笑わせようとしたんじゃねえけどな。
俺も今から記者室に行って観戦させてもらうからな。頑張れよ」
不満げな横山先生を残して、私が控室から出ようと扉に向かうと、彼は続けて言った。
その言葉とともに、部屋の空気が変わったような気がする。
「雨宮かさねは、天才だ。今まで俺が見てきた誰よりもな」
「…………私よりも?」
首だけ振り返って冗談っぽく言ったけれど、横山先生は至って真剣な表情と声色だった。
「当然だ。自惚れるんじゃねえぞ」
横山先生はふざけているように見えて、私が今、何に悩んでいるのか察しているようだった。
その証拠に、そこには一切のおふざけはなかった。
「俺には見えるぜ、雨宮とお前がタイトルをかけて争う、そんな姿がな。
見えないか? そんな未来が間近に迫ってるんだぜ?」
自信たっぷりに語る横山先生は、本当に本気でそう思っているようだった。
「……いいえ、私もかさちゃんを信じています。かさちゃんが本気を出したら、私なんか目じゃないくらいに凄いんです。
私がかさちゃんに勝てるのは囲碁しかない。だけど、それだって今はたまたま私が先に行っているだけに過ぎないんです。
かさちゃんはただ、道に迷って混乱しているだけ。霧が晴れれば一気に私の首を取りに来ようとするでしょう」
「なら、気合を入れねえとな?」
「ええ、それでも私は簡単にやられるつもりはありませんから。
逆に、私が返り討ちにしてやる。私が、雨宮かさねを殺します」
私は前を向いてそう宣言したけれど、背中で横山先生が笑っているような気がした。
対局場に入ったとき、末森八段の鋭い眼光が私を捉えた気がした。
だけど、私はそんな凄みなんかには負けない。かさちゃんがプロになったときに笑われないくらい、私はもっと上を目指さないといけないんだから。
末森八段、……もちろんあなたにも、この対局にかける想いはあるのでしょう。それでも私は、想いの強さならどんな棋士にも負けない。
息を吐いて対局場の椅子に腰かけた私は、末森八段の瞳を睨み返した。
「時間になりました。ニギリで先番を決めてください」
末森八段は黒を、私は白を握る。碁笥から大量の白石を掴んで、数えやすいように盤に並べていく。
その結果、私の黒番になった。碁笥を交換して対局の準備をする。
「それでは、対局を始めてください」
記録係の合図を受けて、私は一度大きく深呼吸をした。
……私は負けない。こんなところで負けてたまるか。だって、かさちゃんがもうすぐそこまで追いかけてきているんだから。
私はそんなかさちゃんに見られても、恥ずかしくない姿を見せなきゃいけないんだから。
だから私はこの囲碁界の頂点を目指す。そこで、私の大好きな親友の到着を待つ!
――右上隅小目。気合を入れた一手を勢いよく盤に打ち込む。
好きだよ、かさちゃん。大好きだ。この世界中を探しても他には見つからない、唯一無二の親友だ。
あなたがいないと、ときどき不安にもなる。私は"また"、ひとりぼっちになってしまうんじゃないかって。
だけど、彼女はきっと、……いいや、絶対に私がいるところまで登ってくる。私はそう信じてる。
誰がなんと言おうとも、彼女は私の、最高にして最強のライバルだ!
だから、待ってる。待ってるからね、かさちゃん!!