雨宮さんは、私のあこがれの人です。

 雨宮さんは、とてもかしこくて勉強が得意です。
 この前の算数のテストでも100点を取って、先生にほめられていました。
 国語の授業でも教科書に書かれた難しい漢字をすらすらと読んでいて、すごいなと思いました。
 音楽や図工も、雨宮さんはなんでもないことのようにこなします。きっと将来は学者さんにでもなるんじゃないかと思います。

 それに雨宮さんは、細かいことにもよく気がつきます。
 朝の水やりのときも、花壇のお花がしおれかけていることを先生に報告していました。
 先生が黒板に書いた計算の式が間違っていたときも、すぐに手を上げてつたえていました。
 体育の授業のときも、きぶんが悪そうな子がいると、心配そうに声をかけていました。

 まだ同じクラスになって1ヶ月しか経っていないけれど、雨宮さんはとても立派だと思います。
 彼女は私と同じ小学2年生だけど、クラスのリーダーのような子で、すごくかっこいいです。


 ――それに比べて私は、ほんの少し運動が得意なだけだ。
 クラスメイトの(はな)ちゃんは「さきちゃんは体育が得意でうらやましい」なんて言ってくれるけれど、それはあくまで女の子の中での話だ。
 身体の大きさはそんなに変わらないけど、休みの日も少年野球チームで活動しているような男の子たちにはかなわない。
 今だって、校庭で男の子たちにまざってドッジボールをしているけれど、その動きについていくだけでいっぱいいっぱいだ。
 ドッジボールは大好きだけど、味方のパスを上手に取れなかったり上手く相手にボールをぶつけられなかったりすると、なんだか申し訳ないような――、


「早川! そっちいったぞ!!」
「え?」
 その声を受けて顔を上げると、目の前にボールが迫ってきていて……、それはそのまま私の顔に思いっきりぶつかった。
「ふぎゃっ!?」
 突然の衝撃に吹き飛ばされて、私は仰向けに倒れてしまった。
 その様子を見て、男の子の中でのリーダー格の竜二(りゅうじ)くんが心配そうに声をかけてくれた。

「おい、大丈夫か!?」
「全然平気!」
 と、勢いよく立ち上げると同時に、私の鼻から勢いよく生ぬるい液体が噴き出してきて……。
 一体なんだろうとそれを手で拭うと、手のひらが赤く汚れていて……。あ、あれ……? これって鼻血……?
「どこが平気なんだよ! さっさと保健室に行ってこいよ!」
 別にたいした痛みじゃないし、きっとこんな鼻血くらい、すぐに止まるだろう。
 私はそんな風に軽く考えていたけど、お気に入りのクマさんのTシャツが血で汚れているのに気づいて、素直にその言葉に従うことにした。

「ご、ごめんね、竜二く――」
「よし、お前ら続けるぞ! 早川は外野扱いな!」
 竜二くんは私と目もあわせてくれなかった。他の男の子たちもどことなく迷惑そうな顔をしている気がする。
 ……いや、実際このまま突っ立っていても邪魔なだけだろう。私はそそくさと保健室に向かうことにした。
 あーあ、どうして私ってこんなにも駄目なんだろう。また失敗しちゃったな。


 そうして鼻を手でおさえながら学校の入り口まで近づいていくと、その横目に小さな人影がうつった。
「雨宮さん……?」
 すぐに建物のかどに隠れてうしろ姿しか見えなかったけれど、ハーフアップにまとめたそのきれいな髪はまちがいなく雨宮さんのものだった。
 その彼女の進む先は校舎裏だ。そこにあるのは花壇と倉庫と、……あとなんだっけ。
 昼休みに一体、そんなところになんの用事があるんだろう。何かを抱えているようにも見えた気がする。
 思わず首を傾げると、余計に鼻から血が垂れてくるような気がして、私はあわてて上を向いた。


「もう大丈夫そうだけど、念のため授業が始まるまでベッドで横になっててね」
 保健室につくと、保健の先生にそう言われた。慎重にゆっくり歩いてきたせいか、もう鼻血はほとんど止まっていたけど、一応詰め物をしてもらった。
 顔の痛みだってもうひいている。他に不調なところもどこにもない。身体はすこぶる快調だ。
 やっぱりこれなら遊んでてもよかったんじゃないかな。……なんて思いつつも、私は保健の先生に「ありがとうございます」と言いながら、ベッドに仰向けになった。
 一応、目もつむってみるけれど、別に眠くもないのに寝られるはずはなかった。

 退屈だ。たった15分くらいのことがとても長く感じられた。


 午後の授業が始まる5分前になって、私は保健室を出て廊下を歩き教室の扉に手をかけた。
 と、そのとき、扉の向こうの教壇のほうからかわいらしい声と、機嫌がよさそうな杉田(すぎた)先生の声が聞こえてきた。
「あ、先生。ゴミ袋、校舎裏に捨ててきました……」
「ありがとう、雨宮さん。それにしても、雨宮さんはよくクラス全体のことを見ていますね」
「い、いえ、たまたまゴミ箱がいっぱいになってるのに気づいただけですから!
 すみません、勝手なことばかりして!」
 ……どうやら雨宮さんが昼休みに校舎裏に行っていたのは、教室のゴミをゴミ捨て場に持っていくためだったらしい。
 雨宮さんは本当に、細かいことにもよく気がつく。きっと休みの時間も難しそうな推理小説を読んでいるから観察力がきたえられているのだろう。
 そろりそろりと扉を開けた私の姿にも、先生より一瞬早く気がついたようだった。

「あれ、早川さん……? ど、どうしたの、その服?」
「あらあら、血がついてるじゃない! 怪我でもしたの!? 大丈夫ですか!?」
 雨宮さんにやや遅れて反応した先生は、心配そうに私のほうに駆け寄ってきた。

「あ、いえ! ちょっとドッジボールがぶつかっちゃって。
 でも保健室には行ってきたし、ただの鼻血なんで、大丈夫です!」
「そう……。それならよかったけど、誰か付き添いは?
 一緒に遊んでいた男の子たちは?」
「あ、えっと、それは……」
「まったくもう。女の子が怪我をしているのにひとりにするなんて。
 あとで先生のほうから注意をしておかないといけませんね。
 それより汚れた服のままでいるのもよくありませんね。今日は体操服に着替えておきなさい」

 なるべくなんでもないように、元気にこたえたつもりだったけど、先生は納得いかない様子だった。
 私の不注意が原因なのに、竜二くんたちが怒られるなんて、正直なところ申し訳ない。
 だけど、先生の言うことももっともだったから、私はそれ以上何も言えなくなってしまった。
 その間も雨宮さんは、私のことを心配そうに見つめてくれていた。私の顔は何故だか熱くなった。


 その日の帰り道。私はひとり、頭の中で今日の反省会をしながらビルの立ち並ぶ通りを歩いていた。
 今日は、ドッジボールの最中に余計なことを考えたのがよくなかった。
 それは雨宮さんみたいに、いろんなことに気を配ってるからではない。
 私の場合は頭の中がごちゃごちゃのおもちゃ箱みたいになって、わけが分からなくなってしまうのだ。
 ひとつのことに集中できない、落ちついていられないのは、生まれつき私の頭がそういう風にできているかららしい。