あれから私は強くなった。と言うより、まるで別人に見違えるほど成長したと大林先生も誉めてくれたくらいだ。
結局3月まで続けることにした院生研修では、Aクラスまで上がることもできた。今年のプロ試験予選では全勝だった。
何はともあれ、私はまたもう一度ここまでたどり着いたのだ。そして、ここからが本番だ!
「かさちゃん、これからプロ試験本戦の初戦が始まるんだね?」
うしろから不意に声がする。私は振り向きもせずに答えた。
「あら、これはこれは早川名人。
女性初、史上最年少、しかも4連勝で名人位を奪取した大天才様がこんなところで油を売ってていいわけ?」
「わ、私も今日は対局の予定入ってるよ……!
そのあともし時間があったら、ちょこっとインタビューも……」
「はいはい、大天才様はお忙しそうでよろしいですこと」
「あはは、まあね」
私の皮肉にもさきちゃんは嬉しそうに笑った。本当に今、彼女は充実した生活を送っているのだろう。
それを羨ましいと思う気持ちも、なんとなく悔しいと思う気持ちもあったけれど、今は何より彼女の活躍ぶりに勇気づけられた。
そんな彼女の期待に応えるためにも、行かなくてはならない。
私は意を決して一歩を踏み出す。しかし、その背を彼女は呼び止めた。
「待って、かさちゃん!」
「何?」
私はそこで初めて振り向いた。……怪訝な顔をしながら。
せっかく人が決意を固めたところなのに、一体何が言いたいのだろうか。
「あのさ、あれはね、違うんだよ。
私がかさちゃんを待ってるっていうのはさ、別にかさちゃんに気を遣ってるとか同情してるとか、そういうことじゃないんだよ。
本当のことを言うと、私はさ――」
「……それはもう分かってるし、怒ってないってば」
「だから違うんだよ!」
「…………何が?」
彼女にしては珍しくしどろもどろな感じだ。何が言いたいのか、全然はっきりしない。
しばらく黙って彼女の顔を見つめていると、やがて彼女は物憂げな表情をしながら言葉を漏らした。
「ひとりじゃ、不安で」
……そんな風に弱音を吐く彼女を、私は初めて見た。
だからこそ、それは噓偽りのない本心なのだろうと思った。
私は思わず苦笑いを浮かべてしまう。そして彼女に近付いて言ってやった。
「まったくもう。人が大舞台に挑もうってときに辛気臭い顔見せるんじゃないわよ」
「えへへ……、ごめんね」
気付けば涙すら浮かべていた彼女の瞳を私はそっと撫でるように指で拭った。
「安心しなさい。私は必ずあんたの前に立ち塞がるわ。
同じプロ棋士として必ず……、あんたと戦うことになる。
これから先、何度も何度も数え切れないくらいに。
だからさ、さきちゃん、……ううん、さき――」
「うん」
「首を洗って待ってなさい」
「……愛の告白って、そういう言い方もあるんだ」
「もう! 茶化すのはやめて!」
それだけ言い残すと、私はもう一度さきに背中を向けて歩き始めた。
さあ、行きましょう。プロ試験なんて別に何も怖くない。
このハードルを越えた先がようやくスタートラインなんだから。こんなところで躓いてなんかいられない。
私の目指す先はもっともっと遠いところにある。煌めく星を追いかけて、私はここまでやってきたのだ。
私は絶対にいつかその星を掴み取ってやる。そうだ、絶対に……。
秋晴れの空は夜には満天の星を咲かせることだろう。
そよぐ秋風が私の頬をそっと撫でた。
結局3月まで続けることにした院生研修では、Aクラスまで上がることもできた。今年のプロ試験予選では全勝だった。
何はともあれ、私はまたもう一度ここまでたどり着いたのだ。そして、ここからが本番だ!
「かさちゃん、これからプロ試験本戦の初戦が始まるんだね?」
うしろから不意に声がする。私は振り向きもせずに答えた。
「あら、これはこれは早川名人。
女性初、史上最年少、しかも4連勝で名人位を奪取した大天才様がこんなところで油を売ってていいわけ?」
「わ、私も今日は対局の予定入ってるよ……!
そのあともし時間があったら、ちょこっとインタビューも……」
「はいはい、大天才様はお忙しそうでよろしいですこと」
「あはは、まあね」
私の皮肉にもさきちゃんは嬉しそうに笑った。本当に今、彼女は充実した生活を送っているのだろう。
それを羨ましいと思う気持ちも、なんとなく悔しいと思う気持ちもあったけれど、今は何より彼女の活躍ぶりに勇気づけられた。
そんな彼女の期待に応えるためにも、行かなくてはならない。
私は意を決して一歩を踏み出す。しかし、その背を彼女は呼び止めた。
「待って、かさちゃん!」
「何?」
私はそこで初めて振り向いた。……怪訝な顔をしながら。
せっかく人が決意を固めたところなのに、一体何が言いたいのだろうか。
「あのさ、あれはね、違うんだよ。
私がかさちゃんを待ってるっていうのはさ、別にかさちゃんに気を遣ってるとか同情してるとか、そういうことじゃないんだよ。
本当のことを言うと、私はさ――」
「……それはもう分かってるし、怒ってないってば」
「だから違うんだよ!」
「…………何が?」
彼女にしては珍しくしどろもどろな感じだ。何が言いたいのか、全然はっきりしない。
しばらく黙って彼女の顔を見つめていると、やがて彼女は物憂げな表情をしながら言葉を漏らした。
「ひとりじゃ、不安で」
……そんな風に弱音を吐く彼女を、私は初めて見た。
だからこそ、それは噓偽りのない本心なのだろうと思った。
私は思わず苦笑いを浮かべてしまう。そして彼女に近付いて言ってやった。
「まったくもう。人が大舞台に挑もうってときに辛気臭い顔見せるんじゃないわよ」
「えへへ……、ごめんね」
気付けば涙すら浮かべていた彼女の瞳を私はそっと撫でるように指で拭った。
「安心しなさい。私は必ずあんたの前に立ち塞がるわ。
同じプロ棋士として必ず……、あんたと戦うことになる。
これから先、何度も何度も数え切れないくらいに。
だからさ、さきちゃん、……ううん、さき――」
「うん」
「首を洗って待ってなさい」
「……愛の告白って、そういう言い方もあるんだ」
「もう! 茶化すのはやめて!」
それだけ言い残すと、私はもう一度さきに背中を向けて歩き始めた。
さあ、行きましょう。プロ試験なんて別に何も怖くない。
このハードルを越えた先がようやくスタートラインなんだから。こんなところで躓いてなんかいられない。
私の目指す先はもっともっと遠いところにある。煌めく星を追いかけて、私はここまでやってきたのだ。
私は絶対にいつかその星を掴み取ってやる。そうだ、絶対に……。
秋晴れの空は夜には満天の星を咲かせることだろう。
そよぐ秋風が私の頬をそっと撫でた。