メディアを味方につけたわたしたちは、10歳くらいの3人の子供のいる家族で自給自足したい人を募集した。
すると、すぐに見つかった。
また新たに大人2人と、子供3人が増えた。
火蓮が、3人の子供の1人として入った。
彼にとっては、新たな人として拒絶されるだろう。
厳しいものになる。
しかし、責任感の強い彼は断る術を知らない。
私は断ってきたらやめるつもりだった。
強制するつもりはない。
子どもたちの提案を聞きたいからだ。
案の定、彼はハブられた。
とても寂しそうにしていた。
私に助けを求めるような目で見てくる。
かぐやに甘えようともした。
だけど、大人たちは自分から頼み込むまでサポートはしない。
末っ子は、大人に媚びるのが上手い。
それは、責任感よりも媚びることでやりくりする術をみにつけるからだ。
1ヶ月したころ、かれはようやく声にした。
「昔のような生活がいい。なんとかならない?」と苦しそうな笑みを浮かべていた。
責任感だけでは、どうにもならない問題があることを理解したようだ。
親御さんと子どもたち全員を集めて話し合うことにした。
一番上である
禰豆子12歳
牛御10歳
虎丸8歳
この3姉弟に話を聞いてみた。
私のことを認めたくないようだ。
とても高圧的な態度を取られる。
彼らにとって新入りの私もやはり敵認識がどこかにある。
時間は、一種の解決する材料になる。
子供は、素敵な人のところに集まる。
自然と集まる。
知らない人に持ち上げられることは恐怖なのだ。
ひたすら忍耐強く待つ必要がある。
興味を記すまで待つのだ。
わたしは、1週間彼らと時間を過ごすことにした。
親御さんとも話して、私+禰豆子+牛御+虎丸+火蓮の5人で第2拠点を作っていくことにした。
両親がいないことへの不安感が現れた。
火蓮は、私に近寄って喋っている。
「あの3人は絆が強いんだ。認められるには、彼らの秩序がある。禰豆子が認めたら他の2人はついてくる。点々としているうちにそうなっていると話していた。」
「ありがとう。教えてくれて。火蓮は、本当にすごいよ。」と、僕は彼が許容されない期間でたくましく成長していることに感心していた。
自分が、いざ人から受け入れないと感じたとき逃避したくなった。
無理やり大人の権力でBossになることも可能だが、長期的に見たら子供の才能を潰すことになる。
私は、挨拶と感謝の言葉を子どもたちに毎日かけた。
そして「君たちと仲良くしたいんだ。よろしく」と、一言だけかけて、後は向こうから話しかけてくるまで、興味を示さない。
とりあえず、自分のできることだけを全力でやっている。
すると、日記を書いている時に虎丸が話しかけてきた。
「何してるの?」
「日記を書いているんだ」と言った。
日記というのが分からなかったらしく「毎日の出来事を書いているんだよ。こうやって、虎丸が話しかけてくれて嬉しかった。あらたな一歩が踏み出せたってね」
「ふーん、ねぇ、高い高いして」と言ってきた。
両親が良くやってくれたのだろう。
私は、子供の甘えたときに約束をした。
「高い高いをしたら、ここにいるときは、こうやって思ったことを話してくれるかい?」
かれは悩んだ顔をしていた。
「いいよ」と、言った。
「僕は、約束だ」
「約束する」と彼は言った。
高い高いをした。
打ち解けた気がした。
火蓮が来て嫉妬した顔をしていた。
「おまえも、やってほしいのか?」
「いい」と強がった態度だった。
「そんなに怒らないでいい、やってほしいことがあったら言えば良いんだ。断ることも当然ある。けど、できる限りのできることはするよ」と、子どもたちとは常に一律の対応をする。
彼は、両手を広げそれを望んだ。
約束することもなかったので、私は高い高いをした。
彼は、とても嬉しかったようだ。
こうして、ぼくはこの3姉弟とも仲良くなっていった。
子どもたちに、もう一度相談した。
6人の子どもたちとも交流をするようになっていた。
友達になって、仲の良い子同士で遊んでいた。
私が無理に分ける必要もないように思った。
子どもたちは、さつまいもの育苗から、収穫まで自分たちでできるようになっていた。
私が焚き火をして焼き芋を作っていると、同じように銀紙に包んで真似をして火に入れる。
私は、ここで竈門を3つ作る目的を作った。
A班とB班、C班で創る。大人たちも同じようにチームをわけた。
形やデザインは子どもたちが決める。
禰豆子・木蓮・水蓮・月夜かぐや・禰豆子の父 
牛御・金蓮・太朝自分
虎丸・火蓮・土蓮禰豆子の母・真偽
となった。
このプロセスは牛御に、私はすべてを託した。
完成の日付だけ設ける約束をして、その日に焼き芋をみんなで食べることにした。
かれは、どうすればいいかわからないようだった。
長女の禰豆子はしっかり者だったため、いままで主体的なリーダーとして行ったことがないのだろう。
わたしは、彼に任せたのだから一切口出ししない。
約束を破ったら、破ったで焼き芋を食べる日に恥をかく。
その恥が、価値の有るものであるからだ。
しかし、彼は意外と聞いてきた。
「竈門ってどんなの?」と聞いてきた。
ネットでお互いに情報提供をしたが、実際に使ったことがないのでイメージが湧いていないようだ。
「どんなのだと思う?」と私はいつも質問を質問で返す。
「焼き芋が焼けるモノ」と彼は言った。
焚き火と何が違うか分かっていないことが分かった。
「知りたいかい?」
「うん」と、彼は言った。
「知るためには、どうすればいいと思う?」
「わかんない」
「僕も知らないことがある。そんなとき、どうやって行動していると思う?」
「誰かに聞く」
「それも一つだ」
かれは、答えが見つからずたじたじしていた。
わたしはじっと待つ。
「かまどってどんなの?」と、また聞いてきた。
誰かに聞く方法が「どんなの?」は、疑問だが、その答えが腑に落ちないだろう。
わたしは、違うグループがどうやっているか、見に行ってみた。
かれは、私についてきた。
そして、一生懸命理解しようとする。
やはり、禰豆子のA班は進捗が早い。
学校にも行っているので、原理を知っているのだろう。
土台部分はできていた。
彼はお姉ちゃんに聞いていた。
「どうやって作るの?」
「ここに火を入れて上を温めるの。この中の温度が上がって一律の温度を確保できるわけ。火は酸素がいるの。空気孔で循環するよう奥に煙突を仕込んであるわ。セメントを使って倒壊を防いでいるの。ここは、月夜が塗ったところでガタガタ」
それを聞いていた月夜が「ぬれぬれうるさいから、塗ってやったのに。感謝してもらいたいね」と、言い争っていた。
問題は、あるがこの子達なら上手くやっていく。
日々変わる人間関係と環境で最善の選択ができる。
これ以上の創造性はないと思った。
かまどの完成形を金蓮が、画用紙に描いていた。
バッタや虫、箱や三角など一つずつは無造作の中に上手なかまどがあった。絵を描くのが好きらしい
すごい集中力だ。
わたしの絵を書いている姿をみて笑顔でいた。
やはり、子供だけでも十分に上手くいく。
むしろ、大人が邪魔をしている。
私も、手出しをしている。
私が、子どもたちを強制しているのではないか。
そんな事を考えた。
しかし、それは「できる。できないの」干渉になる。
大人も子供も変わらない。
同じ人間なのだ。
私が「子供だから、大人だから」とふれあい方をかえ必要がないことがわかった。
こうして、かまどの完成日の5日前に牛が主体のかまどは完成した。
ほとんどおねーちゃんのかまどの外側のレンガにには、牛と蓮華と太陽のマークがモルタルで塗ってあった。
オープン型だったが、きっとそのうち上に嵩を作っている完成形が目に浮かぶ。
わたしは「とても綺麗だ」と、素直に思ったことを言った。
「良くできたね。かまどの作り方を教えてほしいね」と、ウインクをした。
かれは、少し照れて嬉しそうだった。
拠点が2つ有るため、かまどはA・C班は同じ場所に2つ。
前見たときにはなかったが並列していた。
話を聞くと、悶着があったようだ。
それでも、まとまっているという結果なのだ。
こうして、子どもたちと大人を混ぜての焼き芋パーティが始まった。
甘くする方法は、子どもたちが知っている。
75度以上にするとβーアミラーゼが失活するため、焚き火の温度を調整している。
βーアミラーゼなどの科学のツールを実践で活用できる。
まさに、教養をツールとした「生きること」をわたしたちよりも深く理解しているのだ。
1年を通してさつまいもを通じ収穫や食べること、人と触れ合うことをこのパーティとして歓喜していた。
牛や家畜の世話や稲作も自発的にやっていった。
手分けをするので、どんどんわたしは時間に余裕ができた。
生活するのに、一日2時間程度で十分だ。
なんなら、あちこちを飛び回る余裕ができた。
自分のできることをしていればいい。
「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」
あちこちを見て回り、良いところを取り入れようとした。
そして、ドローンも取り入れられエネルギーも一つでないフリーエネルギーがいくつも出来上がっていた。
管理することが大変なものは、長続きしない。
シンプルで良いものは、取り入れられる。
子どもたちは、外に泊まり込みにも行き、そこであらたな居住点を作りコミュニティーも作っていた。
同じレパートリーがなく、わたしもたまに遊びに遊びいく。
文芸、絵描き、建築家、造形家。百姓家。
さまざまな多様性をうみ、極楽郷となった。
音楽で大地と語り、生まれの作用を知ろうとするもの。
おのおのが各々かたちで、他の人の役に立ち、それが自分のヤクにも立つことを知っていた。
性についても良く学んでいた。
むやみにやることはない。
お互いがお互いをリスペクトしている。
生命を間近で見てきたから枯れることと咲くことを知っている。
わたしは、50歳になって泣いていた。
50歳にして天命を知った。