養子をもらったのは、たしか42歳の夏。
火蓮:5歳
金蓮:4歳
木蓮:3歳
水蓮:2歳
土蓮:1歳
と名前をつけた。
ここでは、ベーシックの衣食住を目指すことにした。
さすがに子どもたちにいきなり、求めると怪我をする。
目的のために、サポート役に務めた。
食は保存食の一年分と衣類は困らないほどのもの。
住居は、神社と寺の一式を手入れして住めるようにした。
田畑も用意した。
道具は、管理費のかからない鎌くらいで、一年すれば雑木林といっしょになる。
自分で整備しなければならない。
まともに生きられない状況である。
「虐待だ」という世間の声が聞こえてきそうだ。
1年前は、お手本として動くことにした。
わたしは、稲を3反。
とくに、手伝いも促さなかった。
ネット環境は使えるようにしてあり自分たちで調べれば情報は出てくる。
現代教育もしれるようオンライン講座を設けてある。
かれらが、それらを求めるかはわからない。
第一回目の会議は、私が行った。
そして、このように提案した。
はじめの一回だけ話し合った。
あくまで、私の持ち合わせている意見を発言するだけだ。
できなければ、自然の厳しさを学ぶ。
むきあえば、創造そのものが理解できるだろう。
意見は、ないかな?
5歳の火蓮が
「僕たちはここで暮らすの?学校はいいの?」
「いい質問だ。」
「君自体学校をどう思う?」
「行かなくていいなら、行きたくない」
「なぜだい?ここより優秀な勉強が受けれて、安全があるかもしれないよ?」
「親がいないってだけで、うざい奴がいたんだ」
「ほ、じゃあ、きみはうざくないやつだと?」
「うん」
「そうかい、それはここにいる他のみんながしっかり聞いていたね。君は自分の言葉に責任を学ぶかも知れない。いまはその話は置いておこう。わたしの会議は一度で終わりだ」
「まず、食事はみんなの文の保存食が1年分ある。しかし、それらはあくまで常用して食べことのできるものではない。つまり、衣食住をしないと、ここでは生きていけない環境だ。しかし、協力できれば時間をいくらでも創り出せる環境でもある。君たち次第だ。僕は一年目だけ、衣食住の自給を君たちの分までつくる。来年からは、自分の分だけの衣食住しかしない。つまり、2年分の食糧は確保されているわけだ。安心したまえ。しかし、僕がやったところで自然が許してくれるかはわからない。豊作の年があれば0のときももちろんある。もちろん、鶏の卵やヤクの乳、ミツバチ、しいたけも同時にやっているから全くの0はないが、主食とはならない。つまり、怠惰になればすぐに困る環境なわけだ。君たちを怖がらせるつもりもない。そして、1歳の赤子はこの事を聞けもしない。いま言葉が分かるのは火蓮
・金蓮・木蓮の3人だ。君たちは良く理解しておくといい」
「いいね?」
遊びづきの子どもたちは、わかっていないようだ。
だが、大人がこんなに真剣に話しているのだから、いままでの生活とは違う事に少なからずの不安が表情にある。
状況をのめているらしい。
火蓮の表情はいまでも覚えている。
急に長男としての責任が出たらしい。
良い顔つきだ。
「分からないことがあったら聞けば良い。ただ、君たちを大人として僕は扱う。聞き方が良くなければ答えることもしない。相手を考えれない人に自然のことを考えることができるわけがないからね」
「僕も自然の一部。君たちがやることに対して鏡のように返すことを心がける。意見はあるかい?」
「僕の権力制を感じとったのだろう」
黙り込んでしまった。
「君たちはどうしたいんだい?施設に戻りたいかい?それならそれで僕も引き止めない」
まだ、黙り込んでいる。
ぼくは、ひたすら待つ。
土蓮が泣き出してしまった。
どうやら、乳が欲しいらしい。
こればっかりはどうしようもないので、真偽が奥さんに頼み込んで絞ってくれた入瓶を加えさせる。
とても幸せそうな顔をしている。
ぼくは一旦、ミルクを置き
「だれか、やってみたい人はいるかい?」
やはり黙り込んでしまった。
けど、火蓮がやるような使命感が顔に漲っている。土蓮が泣き出す。
僕は、少し様子を見ることにした。
すると、火蓮がミルクをもって土蓮に哺乳瓶をくわえさせようとしている。
まだ、両手の手付きは不慣れなものがあった。土蓮としては押し付けられ苦しいだろう。けど、一生懸命に飲み生きようとしている。
ぼくは、できると思った。
1年目は自分も手がいっぱいだった。
自分の分の食糧だけならいいが、5人分は必要だ。
3反ともなれば普通機械をいれる。
機械を入れて行うのは楽だ。
しかし、燃料の仕入れる方法やその他のエネルギーの問題をこの場で改善する方法を私は考えて徐々に手が空くので、そこで行おうと思っていた。
7歳になれば、大人になる。
753とは、おとなになるステップなのだ。
3歳で歩くことを覚え、5歳で言葉を覚え、7歳でこころを知る。
こころを知れば、もう子供ではない。
法律上では、17歳?いまの現代人を見て欲しい。
どうみても、貧乏人が100万あれば幸せだ。
100万あれば、次は1000万あれば幸せだ。
1000万あれば、1億。
大人になっても、子供だ。
やれ、怒り。やれ、悲しみ。やれ、憎む。
7歳よりも厄介な大人だ。
心を知ることに、遅いも早いもない。
ここでは、動物たちもやってくる。
虫たちもやってくる。
天候も容赦なくやってくる。
そこから、こころを学べる。
私は、一日5時間は日常生活と田畑仕事に追われた。
暑い日は、極力太陽はさけて、朝と夕に分けた。
冬は、田畑仕事が減った。
その分、保存の効く食糧づくりとして白菜の漬物や味噌、醤油などをベースにストックを増やしていった。
ヤクたちは、放し飼いをベースにしている。
犬は本当に役に立つ。
自分で、頂点を極める。
それだけではない。動物たちも縄張り意識がある。
犬の縄張りは極力さける。
マーキングされており、家の周りは比較的安全なのだ。
基本は、真偽と二人でやっていた。
真偽は流石に泊まり込みでなく、時間のある週末とプログラムが組み終わったときや用事がないときは、基本的にいた。
本当にこころ強い。
子どもたちは、僕たちの行動を見て育っていった。
しかし、半年が過ぎた頃子どもたちは、明らかに寂しさを抱えていた。
お母さんを探し、求めていた。
たまに、真偽の奥さんが来たときみんな、明らかに甘えたい様子だった。
「行かないで、もっと遊ぼ」と、木蓮は言っていた。
メディアや周りの集落の人たちが、なにやら怪しい宗教団体ができたと噂しだしていた。
「あらたなカルト宗教が田舎にできたと報道され噂されだした」
このことに関して、真偽が上手くやってくれたのだろう。
私は、はっきりとわからない。
役割をはっきりさせ、真偽が地域の消防団や組合に顔を出して動いてくれていた。
私も、まるっきり顔を出さないわけではなかった。
かつて、大麻や世間を賑わせた地下鉄事件も似たようなことをしていた。
けど、君たちをみるとこうやって新たな試みをしている。
と、上手く真偽が付き合ってくれたおかげだ。
いまできることをやっていると、ものすごい勢いで運が味方してくれる。
信念を分かってしまった人には、苦しみなどなくただ幸福に向かう。
カルト宗教と怪しまれたのもいつの日か、面白い教育をしていると話題になっていた。
人が訪れるようになっていた。
情報が噂になるのは、早いもので1人の女性が訪れた。
「私が、赤子の乳母をやりをします。その代わりここに住ませて欲しい」と懇願してきた。
私としては、願ったり叶ったりだ。
名前は「かぐや」というらしい。
そして、2人の子供の妻子であった。
都心部が嫌になって、ちょうど離婚したときに情報を聞いたのでやってきたそうだ。
出会いは、こんな偶然の必然にあふれだした。
ここで、問題が発生してきた。
「5人1グループから7人1グループになったことだ」
わたしは、大学生で7人1グループになったときどうなるか全体の特徴は知っていた。
上の二人が、主に下を罵倒しだすのだ。
ストレスから、大変な仕事を下級生に押し付ける割合が増えるのだ。
もちろん、10人以上になると押し付けるだけでなくわざわざ脚を引っ張るようにいじめをしだす。
30人になればターゲットは5人ぐらいになり2人は、不登校になる。
3人は、順番に変わって不登校になった人が復学してを繰り返す。
義務教育でいじめをなくそうというのがいかに馬鹿げたシステムなのか、分かっただろう。
だから、私は新たな生命の新たなシステムを考案していたのだ。
私自身が黒く染められたが、全てはいまのためにあると感じる。
7人を3:4で分けた。
かぐやの子供は、2歳と4歳だった。
水蓮とおなじでまだ喋れない。
月夜が4歳
太朝が2歳
であった。1ヶ月は、
水蓮・土蓮・太朝の3人をかぐやに任せた。
私が、火蓮・金蓮・木蓮を主に見ることにした。
子どもたちも理解してくれたようだ。
やはり、いくら自主的といっても放置はできない。
7歳まではやはり生きるために必要な機能が足りていないことを実感する。
しかし、子どもたちは不思議なもので自分たちでカマキリを捕まえ、遊んで稲を刈ったりまた遊んで、カメムシを臭いと言ったり色んなことをものすごい勢いで学んでいった。
水を自分で汲みに行き飲むこともすぐに行えた。
日本は水が自然と溢れている。
本当に住みやすい場所だ。
人は、水なしには生きられない。
神社や寺というのは、水がでるところに建てられている。
先人たちの水を発掘した目印としていたのだろう。
それが徐々に大きくなる内に、形だけの神社や寺になった・
私は、子どもたちを大人と同じように接するようにした。
こんな交渉をしたのだ。
「水を家まで運ぶのを担当わけしないか?」
自分は、60kgを運べる。
火蓮は、5kg
金蓮は、3kg
月夜は、3kg
木蓮は、1kg
比重で考えて子どもたちは1:5である。
週に1回君たちが運び、僕は週6日分運ぶ。
成長に合わせ、みんなで分配する。
そのうち、自分は週1でよくなると、算数を交えて説明した。
子どもたちは、納得したらしい。
OKしてくれた。
一日の水の消費量は、全員で1日60kg程度。
つまり、彼らは週1の機会ではそれぞれ、分配して運ぶ。
約束を破っても特に咎めない。
ただ、約束を破ったときは謝るように取り決めた。
約束を破ることは、苦しむことを覚える。
苦しみと幸福がある。
真心をこめて行うと気持ちがいい。
しかし、真心を込めたのだから感謝してほしい。
こうなると人は、我慢になり苦しみになる。
なんで、頑張っているのに感謝をしてくれないの。
これが、教育に現れ、頑張って勉強したときだけ褒めて、やらないときは褒めない。
反面教師の正体は、頑張ってるから褒めて欲しい承認欲求の塊なのだ。
正体を見破ると、おしめをした赤子とかわらない。
解決方法は簡単だ。自分を認めよう。
自分をいくら正当化しても、人を裏切って嫌な思いをしない人はいないのだ。
僕は、子どもたちが水を運ぶ様子をみていた。
始めは、タンクにたくさん入れた。しかし重くて運べない。
一生懸命、水を抜き引き釣りながら、運んでいる。
物が壊れる連想まではしていないようだ。
壊れてから学ぶのもいいだろう。
そして、泥だけのタンクになって手を洗うとき彼らは泥が付きっぱなしだ。
そこら中泥だらけになっていた。
お風呂もあり、水道もでる。
しかし、彼らはその事を知らない。
そして、私は強めに蛇口を締めたおり、元栓も閉めてある。
一生懸命、ひねろうとして出そうとしているがでない。
施設にいたときはでたのに、なんででないか不思議に思っていたのだろう。
わたしが、元栓を開けて出したら不思議がっていた。
「なんで、水って出るの?」
「なんでだと思う?」
「わかんない」
「水ってどんなときにある?」
「たんぼ」
「あめ」
「しょんべん」
と、子どもたちは各々に答えていた。
「田んぼの水は、どこから来る?」
「うえ」
「やま」
「土」
「そうだね。じゃあ、やまや上を見に行こう」
そうして、源流を見に行った。
ちょろちょろ、土から出ていた。
「土から水はできるの?」
「この水は、雨の日どうなる?」
「いっぱいになる」
「なんでだと思う?」
「それから水がくるから」
「じゃあ、水の正体は空なの?」
「空のどんな時に雨は降る?」
「くらいとき」
「そうだね。雲が一定以上になると雨はふる。この雨は、どこに流れる?」
「わかんない」
「流れているさきに行きたいかい?」
「うん」と言った。
こうして、こんどは海に行った。
「海だ」
「海は水だ」と言った。
「水を舐めてみな」と、わたしはなるべくきれいな海水を舐めるように言った。
「からいー」と子どもたちは言った。
「山の水と海の水は違うね」
「なんで?」
「塩があるんだ」
「塩?」
「そう。水を20L持って帰ろう」
そういって、持ってかえった。
天日干しして、10で蒸発した。
塩が出てきた。
「子どもたちに舐めてみな」
「からいー」また言っていた。
湧き水に、塩を入れ飲むようすすめた。
また「からいー」と言っていた。
「これが、海水と湧き水の違い。水って何かわかった?」
「わかんない」
「そう、わかんないだ。ただ、蒸発していくと雲になって雨となり、土に溶け、湧き水となり、海に行けば海水となる。果てしないんだ」
「僕に分かっていることは、水だけだとH2O。海水はナトリウムイオンと塩化物イオンなど。土から流れた死骸が海だ。人間が死ぬと血液が蒸発して海の匂いがする。海水の成分はほぼ一緒。海も山の水も成分をかえ循環している。0から塩をつくれないんだ。だからわからない。君たちで答えを見つけてくれ」
子どもの目は輝いていた。
未知なる探究心がうまれたのだろう。
またある日。
子供は、こちらをちらっと見ておねだりをしてくる。
しっかり、頼んできたらやる。
頼んでこないときはやらない。
「やって」と横柄な態度のときもやらない。
すると、彼らはどうやってやってもらえるか試みる。
私の動作を見て真似て、できないアピールをする。
できないこととできることを学ぶには、ちょうどいい。
また、子どもたちの喧嘩も日常茶飯事だ。
ただ、長男の火蓮が止めに入っていた。
大人たちが加入する必要がどこにあるのかわからなかった。
少しチームを変えて見ることにした。
火蓮・水蓮・土蓮・太朝の4人をかぐやに任せた。
金蓮・木蓮・月夜を主に見ることにした。
すると、金蓮が自ずと引っ張るように行動する。
人間は、自分の置かれたポジションで輝くわけだ。
チームは、月イチくらいで行った。
といっても、水蓮・土蓮・太朝+1人だれかの4人をかぐやに見てもらった。
子どもたちは本当に大人を見ている。
かぐやとこうしたら良くなるんじゃないか?
と、アイデアを出し、これはこんどは僕がやると、そしたら私はこれとこれをやるわ。
と、毎朝約束して行って、空いた時間は日記を書いたり、真偽とも相談したり、地域のコミュニティーに参加したり、世間の情報をみたりしていた。
「なんで?」とすぐに聞いてくる。
ぼくは「なんでだと思う?」と、必ず聞きかえす。
すると、「なんで?」から「これってこういう意味があるんだよ」と、言うように情報を伝達するようになる。
「本当に、それだけの意味なの?」と僕は聞く。
「うん」とはっきり言う。
怪我はもちろんする。
怪我をすると、行動するときに注意力が生まれる。
子どもたちは、スポンジのように吸収をしていく。
真偽とかぐやと交え、月1でどうすれば良くなるか真剣にディスカッションをする。
①養子を5人取る
→7人に
②神社を購入
→OK
修復課題
屋根の雨漏りの修繕
プライベート空間の確率
③4人の1グループ
1.小さな和が広がっていく
2.子どもたちには求めない
3.自発的な行動にする
4.質問されたときだけ答える
5.自分も自給自足をして自立を目指す
3人グループの1グループ
かぐやに任せっきり
かなり負担が掛かっているため
・私と真偽とハグをする
・会話をして共感する時間を1時間設ける
④世間の常識
1.限界集落の義務教育
2.情報をオープンにする
3.宗教要素が有るか確認できるようにする
4.メディアを見方につける
かぐやは、文句を言わず「子どもたちの成長見て本当に幸せ」と言ってはくれている。
けど、なれない環境ということで、僕たちはしっかり話を聞く時間を毎日設けている。
噂になっているため、物資の支援や服の支援が募る。
衣食住の自立は完了しているため、物資の支援は海外の本当に物質に困っているところに売ってしまう。
その情報もオープンにしている。
参考にしたい人たちがちらほら訪れるが、人里離れているため珍しい。
世間もどうやら受け入れてくれたようだ。
1年から2年は、こうしてあっという間にときが過ぎた。
子供が5人以上になると、自然と回るようになる。
一年目はさつまいもの収穫をしていた。
二年目は稲作も学び収穫と脱穀までしっかり学んだようだ。
三年目から子どもたちで一反やることになった。
火蓮は、どうしても長男の役柄になってしまう。
私は、ここで、一度義務教育を見させても悪くないのではないか?
提案してみた。
本人は、はっきりと嫌だとは言わなかったが、明らかに心配の表情と見捨てられた、裏切られたと言った表情をしていた。
それなら、いっそのこともう一つ五人グループが作れるよう3人の新たな人を探してみるのもいいのではないか考えた。
子どもたちは、色んな表情をする。
また新たな友達ができてワクワクする雰囲気もあった。
閉鎖的に思うかも知れないが、子どもたちは集落の子どもたちとよく遊んでいる。
ただ、学校に行っていない分すこし敬遠されている。
子どもたちもその事をうっすら感じている。
喧嘩腰で来られていた。
「お前ら、普通じゃないらしいな。うちの母ちゃんが、あまり仲良くするなって言っていたぞ」
私は、火蓮がどうするか見守っていた。
悔しそうに口を噛んでいた。
帰りに道に私は来てみた。
「あの子にああやって言われてどうだった?」
「くやしい、殴りたかった」
「なんで、殴らなかった?」
「殴ったら、負けな気がした」
「何に対しての負け?」
「わからない。母ちゃんや父ちゃんに迷惑をかけると思った」
「はっきり言おう。隠しても無駄だから、オレもかぐやもいまの世間の教育というシステムからかけはなれたことをしている。普通じゃないんだ。けど、時代が変わればそれは普通になる。火蓮お前ははじめてここに来たときなんて思った?」
「父ちゃんや母ちゃんなんて、どうせまたすぐいなくなると思った。信じられるのは自分だけだと」
「いまは?」
「みんな大好きだ」
「いいかい。変わらないものはない。昨日のご飯と今日のご飯はにているかも知れない。しかし、変わっている。人間も同じだ。変わる。父ちゃんや母ちゃんもいつかはいなくなる。火蓮もいなくなる。海となり、雲となり、水となる」
火蓮は、長男のため責任感から家族を守りたいという意識が強く勝っている。
たしかに、「責任感が強く守りたい」という心は良いことでも有るが、エゴになる。
一番末っ子からの視点をみるのがいいかも知れないと思った。
しかも、かなり優秀な長男・長女たちの中の末っ子がいい。
私は、第2の居住地を創ることに取り掛かった。
それが、43歳のときだ。
火蓮:5歳
金蓮:4歳
木蓮:3歳
水蓮:2歳
土蓮:1歳
と名前をつけた。
ここでは、ベーシックの衣食住を目指すことにした。
さすがに子どもたちにいきなり、求めると怪我をする。
目的のために、サポート役に務めた。
食は保存食の一年分と衣類は困らないほどのもの。
住居は、神社と寺の一式を手入れして住めるようにした。
田畑も用意した。
道具は、管理費のかからない鎌くらいで、一年すれば雑木林といっしょになる。
自分で整備しなければならない。
まともに生きられない状況である。
「虐待だ」という世間の声が聞こえてきそうだ。
1年前は、お手本として動くことにした。
わたしは、稲を3反。
とくに、手伝いも促さなかった。
ネット環境は使えるようにしてあり自分たちで調べれば情報は出てくる。
現代教育もしれるようオンライン講座を設けてある。
かれらが、それらを求めるかはわからない。
第一回目の会議は、私が行った。
そして、このように提案した。
はじめの一回だけ話し合った。
あくまで、私の持ち合わせている意見を発言するだけだ。
できなければ、自然の厳しさを学ぶ。
むきあえば、創造そのものが理解できるだろう。
意見は、ないかな?
5歳の火蓮が
「僕たちはここで暮らすの?学校はいいの?」
「いい質問だ。」
「君自体学校をどう思う?」
「行かなくていいなら、行きたくない」
「なぜだい?ここより優秀な勉強が受けれて、安全があるかもしれないよ?」
「親がいないってだけで、うざい奴がいたんだ」
「ほ、じゃあ、きみはうざくないやつだと?」
「うん」
「そうかい、それはここにいる他のみんながしっかり聞いていたね。君は自分の言葉に責任を学ぶかも知れない。いまはその話は置いておこう。わたしの会議は一度で終わりだ」
「まず、食事はみんなの文の保存食が1年分ある。しかし、それらはあくまで常用して食べことのできるものではない。つまり、衣食住をしないと、ここでは生きていけない環境だ。しかし、協力できれば時間をいくらでも創り出せる環境でもある。君たち次第だ。僕は一年目だけ、衣食住の自給を君たちの分までつくる。来年からは、自分の分だけの衣食住しかしない。つまり、2年分の食糧は確保されているわけだ。安心したまえ。しかし、僕がやったところで自然が許してくれるかはわからない。豊作の年があれば0のときももちろんある。もちろん、鶏の卵やヤクの乳、ミツバチ、しいたけも同時にやっているから全くの0はないが、主食とはならない。つまり、怠惰になればすぐに困る環境なわけだ。君たちを怖がらせるつもりもない。そして、1歳の赤子はこの事を聞けもしない。いま言葉が分かるのは火蓮
・金蓮・木蓮の3人だ。君たちは良く理解しておくといい」
「いいね?」
遊びづきの子どもたちは、わかっていないようだ。
だが、大人がこんなに真剣に話しているのだから、いままでの生活とは違う事に少なからずの不安が表情にある。
状況をのめているらしい。
火蓮の表情はいまでも覚えている。
急に長男としての責任が出たらしい。
良い顔つきだ。
「分からないことがあったら聞けば良い。ただ、君たちを大人として僕は扱う。聞き方が良くなければ答えることもしない。相手を考えれない人に自然のことを考えることができるわけがないからね」
「僕も自然の一部。君たちがやることに対して鏡のように返すことを心がける。意見はあるかい?」
「僕の権力制を感じとったのだろう」
黙り込んでしまった。
「君たちはどうしたいんだい?施設に戻りたいかい?それならそれで僕も引き止めない」
まだ、黙り込んでいる。
ぼくは、ひたすら待つ。
土蓮が泣き出してしまった。
どうやら、乳が欲しいらしい。
こればっかりはどうしようもないので、真偽が奥さんに頼み込んで絞ってくれた入瓶を加えさせる。
とても幸せそうな顔をしている。
ぼくは一旦、ミルクを置き
「だれか、やってみたい人はいるかい?」
やはり黙り込んでしまった。
けど、火蓮がやるような使命感が顔に漲っている。土蓮が泣き出す。
僕は、少し様子を見ることにした。
すると、火蓮がミルクをもって土蓮に哺乳瓶をくわえさせようとしている。
まだ、両手の手付きは不慣れなものがあった。土蓮としては押し付けられ苦しいだろう。けど、一生懸命に飲み生きようとしている。
ぼくは、できると思った。
1年目は自分も手がいっぱいだった。
自分の分の食糧だけならいいが、5人分は必要だ。
3反ともなれば普通機械をいれる。
機械を入れて行うのは楽だ。
しかし、燃料の仕入れる方法やその他のエネルギーの問題をこの場で改善する方法を私は考えて徐々に手が空くので、そこで行おうと思っていた。
7歳になれば、大人になる。
753とは、おとなになるステップなのだ。
3歳で歩くことを覚え、5歳で言葉を覚え、7歳でこころを知る。
こころを知れば、もう子供ではない。
法律上では、17歳?いまの現代人を見て欲しい。
どうみても、貧乏人が100万あれば幸せだ。
100万あれば、次は1000万あれば幸せだ。
1000万あれば、1億。
大人になっても、子供だ。
やれ、怒り。やれ、悲しみ。やれ、憎む。
7歳よりも厄介な大人だ。
心を知ることに、遅いも早いもない。
ここでは、動物たちもやってくる。
虫たちもやってくる。
天候も容赦なくやってくる。
そこから、こころを学べる。
私は、一日5時間は日常生活と田畑仕事に追われた。
暑い日は、極力太陽はさけて、朝と夕に分けた。
冬は、田畑仕事が減った。
その分、保存の効く食糧づくりとして白菜の漬物や味噌、醤油などをベースにストックを増やしていった。
ヤクたちは、放し飼いをベースにしている。
犬は本当に役に立つ。
自分で、頂点を極める。
それだけではない。動物たちも縄張り意識がある。
犬の縄張りは極力さける。
マーキングされており、家の周りは比較的安全なのだ。
基本は、真偽と二人でやっていた。
真偽は流石に泊まり込みでなく、時間のある週末とプログラムが組み終わったときや用事がないときは、基本的にいた。
本当にこころ強い。
子どもたちは、僕たちの行動を見て育っていった。
しかし、半年が過ぎた頃子どもたちは、明らかに寂しさを抱えていた。
お母さんを探し、求めていた。
たまに、真偽の奥さんが来たときみんな、明らかに甘えたい様子だった。
「行かないで、もっと遊ぼ」と、木蓮は言っていた。
メディアや周りの集落の人たちが、なにやら怪しい宗教団体ができたと噂しだしていた。
「あらたなカルト宗教が田舎にできたと報道され噂されだした」
このことに関して、真偽が上手くやってくれたのだろう。
私は、はっきりとわからない。
役割をはっきりさせ、真偽が地域の消防団や組合に顔を出して動いてくれていた。
私も、まるっきり顔を出さないわけではなかった。
かつて、大麻や世間を賑わせた地下鉄事件も似たようなことをしていた。
けど、君たちをみるとこうやって新たな試みをしている。
と、上手く真偽が付き合ってくれたおかげだ。
いまできることをやっていると、ものすごい勢いで運が味方してくれる。
信念を分かってしまった人には、苦しみなどなくただ幸福に向かう。
カルト宗教と怪しまれたのもいつの日か、面白い教育をしていると話題になっていた。
人が訪れるようになっていた。
情報が噂になるのは、早いもので1人の女性が訪れた。
「私が、赤子の乳母をやりをします。その代わりここに住ませて欲しい」と懇願してきた。
私としては、願ったり叶ったりだ。
名前は「かぐや」というらしい。
そして、2人の子供の妻子であった。
都心部が嫌になって、ちょうど離婚したときに情報を聞いたのでやってきたそうだ。
出会いは、こんな偶然の必然にあふれだした。
ここで、問題が発生してきた。
「5人1グループから7人1グループになったことだ」
わたしは、大学生で7人1グループになったときどうなるか全体の特徴は知っていた。
上の二人が、主に下を罵倒しだすのだ。
ストレスから、大変な仕事を下級生に押し付ける割合が増えるのだ。
もちろん、10人以上になると押し付けるだけでなくわざわざ脚を引っ張るようにいじめをしだす。
30人になればターゲットは5人ぐらいになり2人は、不登校になる。
3人は、順番に変わって不登校になった人が復学してを繰り返す。
義務教育でいじめをなくそうというのがいかに馬鹿げたシステムなのか、分かっただろう。
だから、私は新たな生命の新たなシステムを考案していたのだ。
私自身が黒く染められたが、全てはいまのためにあると感じる。
7人を3:4で分けた。
かぐやの子供は、2歳と4歳だった。
水蓮とおなじでまだ喋れない。
月夜が4歳
太朝が2歳
であった。1ヶ月は、
水蓮・土蓮・太朝の3人をかぐやに任せた。
私が、火蓮・金蓮・木蓮を主に見ることにした。
子どもたちも理解してくれたようだ。
やはり、いくら自主的といっても放置はできない。
7歳まではやはり生きるために必要な機能が足りていないことを実感する。
しかし、子どもたちは不思議なもので自分たちでカマキリを捕まえ、遊んで稲を刈ったりまた遊んで、カメムシを臭いと言ったり色んなことをものすごい勢いで学んでいった。
水を自分で汲みに行き飲むこともすぐに行えた。
日本は水が自然と溢れている。
本当に住みやすい場所だ。
人は、水なしには生きられない。
神社や寺というのは、水がでるところに建てられている。
先人たちの水を発掘した目印としていたのだろう。
それが徐々に大きくなる内に、形だけの神社や寺になった・
私は、子どもたちを大人と同じように接するようにした。
こんな交渉をしたのだ。
「水を家まで運ぶのを担当わけしないか?」
自分は、60kgを運べる。
火蓮は、5kg
金蓮は、3kg
月夜は、3kg
木蓮は、1kg
比重で考えて子どもたちは1:5である。
週に1回君たちが運び、僕は週6日分運ぶ。
成長に合わせ、みんなで分配する。
そのうち、自分は週1でよくなると、算数を交えて説明した。
子どもたちは、納得したらしい。
OKしてくれた。
一日の水の消費量は、全員で1日60kg程度。
つまり、彼らは週1の機会ではそれぞれ、分配して運ぶ。
約束を破っても特に咎めない。
ただ、約束を破ったときは謝るように取り決めた。
約束を破ることは、苦しむことを覚える。
苦しみと幸福がある。
真心をこめて行うと気持ちがいい。
しかし、真心を込めたのだから感謝してほしい。
こうなると人は、我慢になり苦しみになる。
なんで、頑張っているのに感謝をしてくれないの。
これが、教育に現れ、頑張って勉強したときだけ褒めて、やらないときは褒めない。
反面教師の正体は、頑張ってるから褒めて欲しい承認欲求の塊なのだ。
正体を見破ると、おしめをした赤子とかわらない。
解決方法は簡単だ。自分を認めよう。
自分をいくら正当化しても、人を裏切って嫌な思いをしない人はいないのだ。
僕は、子どもたちが水を運ぶ様子をみていた。
始めは、タンクにたくさん入れた。しかし重くて運べない。
一生懸命、水を抜き引き釣りながら、運んでいる。
物が壊れる連想まではしていないようだ。
壊れてから学ぶのもいいだろう。
そして、泥だけのタンクになって手を洗うとき彼らは泥が付きっぱなしだ。
そこら中泥だらけになっていた。
お風呂もあり、水道もでる。
しかし、彼らはその事を知らない。
そして、私は強めに蛇口を締めたおり、元栓も閉めてある。
一生懸命、ひねろうとして出そうとしているがでない。
施設にいたときはでたのに、なんででないか不思議に思っていたのだろう。
わたしが、元栓を開けて出したら不思議がっていた。
「なんで、水って出るの?」
「なんでだと思う?」
「わかんない」
「水ってどんなときにある?」
「たんぼ」
「あめ」
「しょんべん」
と、子どもたちは各々に答えていた。
「田んぼの水は、どこから来る?」
「うえ」
「やま」
「土」
「そうだね。じゃあ、やまや上を見に行こう」
そうして、源流を見に行った。
ちょろちょろ、土から出ていた。
「土から水はできるの?」
「この水は、雨の日どうなる?」
「いっぱいになる」
「なんでだと思う?」
「それから水がくるから」
「じゃあ、水の正体は空なの?」
「空のどんな時に雨は降る?」
「くらいとき」
「そうだね。雲が一定以上になると雨はふる。この雨は、どこに流れる?」
「わかんない」
「流れているさきに行きたいかい?」
「うん」と言った。
こうして、こんどは海に行った。
「海だ」
「海は水だ」と言った。
「水を舐めてみな」と、わたしはなるべくきれいな海水を舐めるように言った。
「からいー」と子どもたちは言った。
「山の水と海の水は違うね」
「なんで?」
「塩があるんだ」
「塩?」
「そう。水を20L持って帰ろう」
そういって、持ってかえった。
天日干しして、10で蒸発した。
塩が出てきた。
「子どもたちに舐めてみな」
「からいー」また言っていた。
湧き水に、塩を入れ飲むようすすめた。
また「からいー」と言っていた。
「これが、海水と湧き水の違い。水って何かわかった?」
「わかんない」
「そう、わかんないだ。ただ、蒸発していくと雲になって雨となり、土に溶け、湧き水となり、海に行けば海水となる。果てしないんだ」
「僕に分かっていることは、水だけだとH2O。海水はナトリウムイオンと塩化物イオンなど。土から流れた死骸が海だ。人間が死ぬと血液が蒸発して海の匂いがする。海水の成分はほぼ一緒。海も山の水も成分をかえ循環している。0から塩をつくれないんだ。だからわからない。君たちで答えを見つけてくれ」
子どもの目は輝いていた。
未知なる探究心がうまれたのだろう。
またある日。
子供は、こちらをちらっと見ておねだりをしてくる。
しっかり、頼んできたらやる。
頼んでこないときはやらない。
「やって」と横柄な態度のときもやらない。
すると、彼らはどうやってやってもらえるか試みる。
私の動作を見て真似て、できないアピールをする。
できないこととできることを学ぶには、ちょうどいい。
また、子どもたちの喧嘩も日常茶飯事だ。
ただ、長男の火蓮が止めに入っていた。
大人たちが加入する必要がどこにあるのかわからなかった。
少しチームを変えて見ることにした。
火蓮・水蓮・土蓮・太朝の4人をかぐやに任せた。
金蓮・木蓮・月夜を主に見ることにした。
すると、金蓮が自ずと引っ張るように行動する。
人間は、自分の置かれたポジションで輝くわけだ。
チームは、月イチくらいで行った。
といっても、水蓮・土蓮・太朝+1人だれかの4人をかぐやに見てもらった。
子どもたちは本当に大人を見ている。
かぐやとこうしたら良くなるんじゃないか?
と、アイデアを出し、これはこんどは僕がやると、そしたら私はこれとこれをやるわ。
と、毎朝約束して行って、空いた時間は日記を書いたり、真偽とも相談したり、地域のコミュニティーに参加したり、世間の情報をみたりしていた。
「なんで?」とすぐに聞いてくる。
ぼくは「なんでだと思う?」と、必ず聞きかえす。
すると、「なんで?」から「これってこういう意味があるんだよ」と、言うように情報を伝達するようになる。
「本当に、それだけの意味なの?」と僕は聞く。
「うん」とはっきり言う。
怪我はもちろんする。
怪我をすると、行動するときに注意力が生まれる。
子どもたちは、スポンジのように吸収をしていく。
真偽とかぐやと交え、月1でどうすれば良くなるか真剣にディスカッションをする。
①養子を5人取る
→7人に
②神社を購入
→OK
修復課題
屋根の雨漏りの修繕
プライベート空間の確率
③4人の1グループ
1.小さな和が広がっていく
2.子どもたちには求めない
3.自発的な行動にする
4.質問されたときだけ答える
5.自分も自給自足をして自立を目指す
3人グループの1グループ
かぐやに任せっきり
かなり負担が掛かっているため
・私と真偽とハグをする
・会話をして共感する時間を1時間設ける
④世間の常識
1.限界集落の義務教育
2.情報をオープンにする
3.宗教要素が有るか確認できるようにする
4.メディアを見方につける
かぐやは、文句を言わず「子どもたちの成長見て本当に幸せ」と言ってはくれている。
けど、なれない環境ということで、僕たちはしっかり話を聞く時間を毎日設けている。
噂になっているため、物資の支援や服の支援が募る。
衣食住の自立は完了しているため、物資の支援は海外の本当に物質に困っているところに売ってしまう。
その情報もオープンにしている。
参考にしたい人たちがちらほら訪れるが、人里離れているため珍しい。
世間もどうやら受け入れてくれたようだ。
1年から2年は、こうしてあっという間にときが過ぎた。
子供が5人以上になると、自然と回るようになる。
一年目はさつまいもの収穫をしていた。
二年目は稲作も学び収穫と脱穀までしっかり学んだようだ。
三年目から子どもたちで一反やることになった。
火蓮は、どうしても長男の役柄になってしまう。
私は、ここで、一度義務教育を見させても悪くないのではないか?
提案してみた。
本人は、はっきりと嫌だとは言わなかったが、明らかに心配の表情と見捨てられた、裏切られたと言った表情をしていた。
それなら、いっそのこともう一つ五人グループが作れるよう3人の新たな人を探してみるのもいいのではないか考えた。
子どもたちは、色んな表情をする。
また新たな友達ができてワクワクする雰囲気もあった。
閉鎖的に思うかも知れないが、子どもたちは集落の子どもたちとよく遊んでいる。
ただ、学校に行っていない分すこし敬遠されている。
子どもたちもその事をうっすら感じている。
喧嘩腰で来られていた。
「お前ら、普通じゃないらしいな。うちの母ちゃんが、あまり仲良くするなって言っていたぞ」
私は、火蓮がどうするか見守っていた。
悔しそうに口を噛んでいた。
帰りに道に私は来てみた。
「あの子にああやって言われてどうだった?」
「くやしい、殴りたかった」
「なんで、殴らなかった?」
「殴ったら、負けな気がした」
「何に対しての負け?」
「わからない。母ちゃんや父ちゃんに迷惑をかけると思った」
「はっきり言おう。隠しても無駄だから、オレもかぐやもいまの世間の教育というシステムからかけはなれたことをしている。普通じゃないんだ。けど、時代が変わればそれは普通になる。火蓮お前ははじめてここに来たときなんて思った?」
「父ちゃんや母ちゃんなんて、どうせまたすぐいなくなると思った。信じられるのは自分だけだと」
「いまは?」
「みんな大好きだ」
「いいかい。変わらないものはない。昨日のご飯と今日のご飯はにているかも知れない。しかし、変わっている。人間も同じだ。変わる。父ちゃんや母ちゃんもいつかはいなくなる。火蓮もいなくなる。海となり、雲となり、水となる」
火蓮は、長男のため責任感から家族を守りたいという意識が強く勝っている。
たしかに、「責任感が強く守りたい」という心は良いことでも有るが、エゴになる。
一番末っ子からの視点をみるのがいいかも知れないと思った。
しかも、かなり優秀な長男・長女たちの中の末っ子がいい。
私は、第2の居住地を創ることに取り掛かった。
それが、43歳のときだ。