『二世乃咲花のゴーストライター事件』についての記事が掲載された新聞が風に飛ばされ、きりきり舞いしながら街中を転がる。
ふわふわ、くるり、ぽすんと壁にぶつかり、止まった先のにゃんこ甘味店は、大繁盛していた。
「いらっしゃいませ!」
以前より声が出るようになった桜子は、犬彦と一緒に明るい笑顔でテーブルを巡り、注文を取って、料理を運ぶ。知人には素性を内緒にしてくれるよう口止めをして、桜子は学校が終わったあとのにゃんこ甘味店での仕事を続けていた。
「ここがめくるめく皇室ロマンス発祥の聖地として有名なお店かあ」
初めて訪れた客が、物珍しそうに店内を見ている。
「このあたりのお店で給仕仕事をしている女学生は、確かに可愛いし良いお家のご令嬢なんだね。ほら、今注文を取ってくれた娘さんも、上流の品があるよ。桜子様もあんな感じだったのかねえ」
「あの奥にいる書生の兄ちゃんはちょいと不審人物感が強いな。なんでお面かぶってるんだ?」
本日の京也は、狐のお面をかぶっている。
中田夫妻や事情を知る常連客は視線を交わし、肩をすくめた。
「……そのご令嬢と書生の兄ちゃんが噂の当人なんだが、言わない方がいいのかね……」
その足元で、ミケが仰向けに寝そべり、すやすや眠っている。
「猫がいるのか」
と、眉をひそめる客もいれば。
「おれは猫目当てで来てるんだ」
という客もいる。
客同士があれこれと言う中、「あれは実は幸福を招く猫神さまですよ」と言う者もあらわれて、なぜかミケを拝む者まで出始める。半数はほんとうに信じているわけではなく、面白半分のようだったが。
「京也様、お待たせいたしました」
「うん、ありがとう」
女給服姿の桜子が抹茶と和菓子のセットをテーブルに置いたとき、からん、からんと入店を知らせる鐘が鳴り、店内に二人組が入ってくる。
二世乃咲花と、執事だ。
「あ、あれって二世乃咲花じゃないか」
「ほんとだ」
世間で評判の悪い咲花の姿に、客たちはひそひそと噂をした。
「『おお、大帝都にあやかしの旗は燃えて』ってどうなっちゃうんだろうな」
「ああ、あれ。とんでもないよ、ずりいことしやがって。自力じゃねえのに偉ぶってよ」
不快そうに眉を吊り上げる客に、「そうだそうだ」と同調の声がつづく。
しかし、そんな中、ぽつりと異なる声もこぼれた。
「発売禁止になったりするんだろうか。おれ、あれの続き楽しみにしてたんだ」
すると、客たちの中にはなんともいえない複雑な表情を浮かべる者が何人もあらわれた。
「……実はおれも」
「途中で終わるってのは、寂しいやなあ」
「そりゃ、そうさ……」
咲花はそんな空気に唇を結びつつ、奥に座す京也の向かいの席に座った。
「いらっしゃいませ、咲花お姉さま。ご注文はいかがなさいますか?」
桜子がにこやかに注文をうかがうと、咲花は一瞬ぎょっとした顔をした。
「あ、あなた、働いていらっしゃるのね」
「はい。私、このお店が好きで」
「そ、そ、そう……ですか、いえ。さようでございましたか、ですわね。失礼いたしましたわ」
「咲花お姉さま、敬語は結構です。気楽にお話ししてくださると嬉しいです」
以前よりも丁寧に、礼儀を意識した様子のしゃべり方になりつつ、咲花は「抑えきれない」といった顔で問いかけた。小声で。
「さ、桜子さん。あなた、術が使えるってほんとう?」
「あっ、はい。まだまだ、修行中の身ですが」
「そ、そ、そう。すごいのね? 今度、見せてくださる?」
「はい!」
好奇心を瞳にのぼらせる咲花は、桜子を必要以上に畏れたりはしない様子。桜子側も、その方がいいと思った。親しい友だち、お姉さま、といった関係でいたいと思ったのだ。
咲花の瞳が、京也を見る。妄想原稿に視線をじっと落として手を動かし続けている京也は、桜子や咲花のやり取りをあまり聞いていないようだった。
「京也様、ご、ごきげんよう」
言葉をどうかけたものかと迷った様子の咲花がぎこちなく言うが、京也は顔をあげることなく原稿になにかを書いていた。
* * *
パパと呼ばれるのは、こんなにも幸せな瞬間なのだなあ。
朝、家族がテーブルに集まる。そこには、桜子の優しい笑顔があって、俺の心はどこまでも温かく包まれる。子供たちが元気よく食事を取る姿を見て、一層幸福感が溢れてくる。
「パパ、これおいしい!」
小さな手で料理をつまむ、嬉しそうな子供の声が聞こえてくる。それを聞くたび、俺の心は満たされるのである。子供たちが笑顔で食べることが、何よりも大切なことだと気付かされる。毎朝気付かせてもらえる。いや、毎時間。いや、毎秒だ!
休日には、家族で公園に出かける。子供たちは元気いっぱいに遊び、俺と桜子はベンチで手をつないで見守る。夕日が沈む光景は、まるで幸せそのものだ。
子供たちの成長を見るのは、本当に感慨深い。初めて天狗火を出したときの笑顔、学校の発表会で頑張る姿。その一瞬一瞬が、僕の心にほんのり幸せを運んでくれる。
ある日、子供たちが困っていることがあった。でも、俺と桜子がそばにいるから大丈夫。一緒に乗り越えていける。俺はただの一人の人間だけど、家族としての絆が俺たちを強くしてくれるのだなあ。
パパ、って呼ばれる瞬間。それはこの世界で最も幸せな瞬間だ。家族との時間が、どんなに小さな瞬間でも、いつまでも心に残る宝物なのだ……。
* * *
「……なに、この日記みたいな、書き散らし。駄文って言ってもいい? 不敬罪になる……? え。お子さまが生まれましたの? いつ? この前ご結婚なさったばかりのはずでは」
原稿を覗き込んだ咲花は数秒間ぽかんとして、「あ、これ、また妄想を書いていらっしゃるのね」と真実に気付く。
その段階でも、京也は作品世界に没入していて、現実の咲花に気付かなかった。
ふわふわ、くるり、ぽすんと壁にぶつかり、止まった先のにゃんこ甘味店は、大繁盛していた。
「いらっしゃいませ!」
以前より声が出るようになった桜子は、犬彦と一緒に明るい笑顔でテーブルを巡り、注文を取って、料理を運ぶ。知人には素性を内緒にしてくれるよう口止めをして、桜子は学校が終わったあとのにゃんこ甘味店での仕事を続けていた。
「ここがめくるめく皇室ロマンス発祥の聖地として有名なお店かあ」
初めて訪れた客が、物珍しそうに店内を見ている。
「このあたりのお店で給仕仕事をしている女学生は、確かに可愛いし良いお家のご令嬢なんだね。ほら、今注文を取ってくれた娘さんも、上流の品があるよ。桜子様もあんな感じだったのかねえ」
「あの奥にいる書生の兄ちゃんはちょいと不審人物感が強いな。なんでお面かぶってるんだ?」
本日の京也は、狐のお面をかぶっている。
中田夫妻や事情を知る常連客は視線を交わし、肩をすくめた。
「……そのご令嬢と書生の兄ちゃんが噂の当人なんだが、言わない方がいいのかね……」
その足元で、ミケが仰向けに寝そべり、すやすや眠っている。
「猫がいるのか」
と、眉をひそめる客もいれば。
「おれは猫目当てで来てるんだ」
という客もいる。
客同士があれこれと言う中、「あれは実は幸福を招く猫神さまですよ」と言う者もあらわれて、なぜかミケを拝む者まで出始める。半数はほんとうに信じているわけではなく、面白半分のようだったが。
「京也様、お待たせいたしました」
「うん、ありがとう」
女給服姿の桜子が抹茶と和菓子のセットをテーブルに置いたとき、からん、からんと入店を知らせる鐘が鳴り、店内に二人組が入ってくる。
二世乃咲花と、執事だ。
「あ、あれって二世乃咲花じゃないか」
「ほんとだ」
世間で評判の悪い咲花の姿に、客たちはひそひそと噂をした。
「『おお、大帝都にあやかしの旗は燃えて』ってどうなっちゃうんだろうな」
「ああ、あれ。とんでもないよ、ずりいことしやがって。自力じゃねえのに偉ぶってよ」
不快そうに眉を吊り上げる客に、「そうだそうだ」と同調の声がつづく。
しかし、そんな中、ぽつりと異なる声もこぼれた。
「発売禁止になったりするんだろうか。おれ、あれの続き楽しみにしてたんだ」
すると、客たちの中にはなんともいえない複雑な表情を浮かべる者が何人もあらわれた。
「……実はおれも」
「途中で終わるってのは、寂しいやなあ」
「そりゃ、そうさ……」
咲花はそんな空気に唇を結びつつ、奥に座す京也の向かいの席に座った。
「いらっしゃいませ、咲花お姉さま。ご注文はいかがなさいますか?」
桜子がにこやかに注文をうかがうと、咲花は一瞬ぎょっとした顔をした。
「あ、あなた、働いていらっしゃるのね」
「はい。私、このお店が好きで」
「そ、そ、そう……ですか、いえ。さようでございましたか、ですわね。失礼いたしましたわ」
「咲花お姉さま、敬語は結構です。気楽にお話ししてくださると嬉しいです」
以前よりも丁寧に、礼儀を意識した様子のしゃべり方になりつつ、咲花は「抑えきれない」といった顔で問いかけた。小声で。
「さ、桜子さん。あなた、術が使えるってほんとう?」
「あっ、はい。まだまだ、修行中の身ですが」
「そ、そ、そう。すごいのね? 今度、見せてくださる?」
「はい!」
好奇心を瞳にのぼらせる咲花は、桜子を必要以上に畏れたりはしない様子。桜子側も、その方がいいと思った。親しい友だち、お姉さま、といった関係でいたいと思ったのだ。
咲花の瞳が、京也を見る。妄想原稿に視線をじっと落として手を動かし続けている京也は、桜子や咲花のやり取りをあまり聞いていないようだった。
「京也様、ご、ごきげんよう」
言葉をどうかけたものかと迷った様子の咲花がぎこちなく言うが、京也は顔をあげることなく原稿になにかを書いていた。
* * *
パパと呼ばれるのは、こんなにも幸せな瞬間なのだなあ。
朝、家族がテーブルに集まる。そこには、桜子の優しい笑顔があって、俺の心はどこまでも温かく包まれる。子供たちが元気よく食事を取る姿を見て、一層幸福感が溢れてくる。
「パパ、これおいしい!」
小さな手で料理をつまむ、嬉しそうな子供の声が聞こえてくる。それを聞くたび、俺の心は満たされるのである。子供たちが笑顔で食べることが、何よりも大切なことだと気付かされる。毎朝気付かせてもらえる。いや、毎時間。いや、毎秒だ!
休日には、家族で公園に出かける。子供たちは元気いっぱいに遊び、俺と桜子はベンチで手をつないで見守る。夕日が沈む光景は、まるで幸せそのものだ。
子供たちの成長を見るのは、本当に感慨深い。初めて天狗火を出したときの笑顔、学校の発表会で頑張る姿。その一瞬一瞬が、僕の心にほんのり幸せを運んでくれる。
ある日、子供たちが困っていることがあった。でも、俺と桜子がそばにいるから大丈夫。一緒に乗り越えていける。俺はただの一人の人間だけど、家族としての絆が俺たちを強くしてくれるのだなあ。
パパ、って呼ばれる瞬間。それはこの世界で最も幸せな瞬間だ。家族との時間が、どんなに小さな瞬間でも、いつまでも心に残る宝物なのだ……。
* * *
「……なに、この日記みたいな、書き散らし。駄文って言ってもいい? 不敬罪になる……? え。お子さまが生まれましたの? いつ? この前ご結婚なさったばかりのはずでは」
原稿を覗き込んだ咲花は数秒間ぽかんとして、「あ、これ、また妄想を書いていらっしゃるのね」と真実に気付く。
その段階でも、京也は作品世界に没入していて、現実の咲花に気付かなかった。