祝言(しゅうげん)の日は、澄んだ青空が広がっていた。空の端には、虹もかかっている。場所は、皇宮の宮中三殿。

「あるじさま! きれい!」 
 
 装いは、中に着る掛け下も上に羽織る打ち掛けも、白色の婚礼用。白無垢姿といわれる姿だ。
 桜子を見て、もみじがきゃっきゃとはしゃいでいる。綿帽子をかぶせてもらう瞬間、嫁ぐのだという実感が湧く。

「きれいだねえ」
「よかったな」
  
 お手伝いで来てくれた中田夫妻は、実の親のように甲斐甲斐しくお世話をしてくれた。キヨとウサ子を始めとするあやかし族の使用人も、気合を入れて準備をしてくれる。

「なんだか自分の娘を見送るような気分になっちゃう。この空気に酔ってしまったのねえ」
「はは、おこがましいや。だが、そうだな……」
 
 中田夫妻がほんわかと語り合っている。中田のお母さんは目を潤ませていて、中田のお父さんは鼻のてっぺんを赤くしていた。キヨはそんな二人に無言でハンカチを渡して、自分も感慨深そうな顔をしていた。

 親しい人たちを見ていた桜子は、中田夫妻のお店『にゃんこ甘味店』でよく流れていた歌謡曲を思い出した。
 嫁入りをテーマにした歌詞には「生まれた家との縁が切れる」という意味を示唆する言葉もある。思えば、女学生がよく着る矢絣の着物柄は、射た矢が戻ってこないことから「嫁に行ったあと戻らないように」という願いがこめられているのだ。
 
(ああ、こんなあたたかさの中にいるから、花嫁はしんみりするのかもしれない) 
 胸の中に、ストンと納得する感覚があった。
 巣立ち、戻らない。見送られて、昨日までと違う新しい人生のステージへと進む。

 桜子はそんなことを考えながら、中田夫妻に問いかけた。
 
「中田さん、私、これからもお店で働かせていただいてもよろしいですか? 京也様も『第二の家みたいな居心地のよいお店で書き物をするのは(はかど)るので、今後も通いたい』と仰せだったのです」

 中田夫妻はびっくりした様子で二人揃って目を見開いてから、とびきりの明るい笑顔を返してくれた。

「もちろんよ」
「大歓迎だ」

 笑顔を交わし合うみんなの足元には、『にゃんこ甘味店』の看板猫のミケもいる。

「にゃあん」
 
 ミケは、中田夫妻の前では普通の猫のふりをしている。
 桜子はそれが、人間たちを怖がらせないようにするためだろうかと思った。

(私の周りにいるあやかし族はみんな優しいけど、全員がそうではなくて、人間の側にも『あやかし族は怖い』っていう意識の人が多いもの)

 支度を終え、案内されて移動すると、京也が待っていた。
 
 黒羽二重(くろはぶたえ)の紋付き羽織袴を纏った京也は見ているだけで心身が清められそうな、凛とした魅力があった。
 ぱちりと目が合って、桜子は紫水晶(アメシスト)めいた京也の瞳の美しさをあらためて実感した。

「……」

 思わず目を奪われ、じーっと見つめること、しばし。
(あれっ?) 
 桜子は奇妙な沈黙が続いていることに気が付いた。
 
 まるで時間が止まってしまったみたいに、京也が動かなくなっている。

「京也様?」
「あっ」

 名前を呼ぶと、自分をで瞬きをする。続く声は、蕩けそうな甘さを含んでいた。

「すまない、きみの美しさに見惚れていた」

 照れたようにおっとりと微笑む京也を見て、桜子は愛しくなった。

「私も、京也様に見惚れておりました」
 
 自然と言葉が口をついて出る。こんなとき、桜子は自分が変わったと感じる。

 京也はそんな桜子を眩しそうな眼で見つめた。
 
「桜子さんは、かわゆい。どんどん美しくなる。外見だけじゃない。その心の在り様が、成長していく様子が、とうとくて、眩しい感じなんだ。……俺は日に日に変化するきみから目を離せないよ」
「……京也様のおかげです」
 
 雅楽が演奏される中、花嫁行列が進む。寄り添って歩く指先を絡めるようにして、手をつなぐ。
 もみじが赤い和傘の上で、雅楽にあわせた可愛い歌声をひびかせている。

 祝詞(のりと)が読み上げられ、酒杯(しゅはい)に透明な輝きが満ちる。
 桜子はお神酒の代わりに、清められた水をいただいた。ひんやりと冷えていて、からだの内側から清められていく心地がする。
 
 誓いの言葉をとなえたあとは、結婚指輪を交換した。お揃いの指輪が互いの指に光っているのをみると、嬉しくて頬がゆるんでしまう。
 
 やがて、玉串(たまぐし)が神前に捧げられ、巫女が舞い踊る時間になる。

 夫婦になった二人を祝福する声と一緒に、折り鶴や花が華やかに周囲を舞う。
 なにもない空間から湧き出てくる花を見ていると、耳元にひらりともみじが寄ってくる。

「きょうやさまのお花」
 もみじは、こっそりと教えてくれた。
「うれしいと、咲いちゃうの」

 喜びが花のかたちになって溢れ出る――それは神秘的で、なんだかとても素敵なことのように思われた。
 
 季節外れの桜が満開に咲いて、あたり一面が幻想的な花景色に染まっていく。
 天狗皇族の霊力って、すごい。
 
「京也様、私、以前はあやかし族のみなさんが怖いと思っていました。でも、『おお、大帝都にあやかしの旗は燃えて』は、人間味のあるあやかし族がたくさん出てきて、人間と仲良くなっていくお話で。夢があるお話に思えて、楽しかったのです」

 生まれ育ち、価値観。能力、場合によっては、寿命も異なるあやかし族。
 けれど、物語の中の彼らは、人間と同じように悩んだり、喜んだり、悲しんだりしていた。
 人間と同じだよと言って笑い合っていた。
 
 ――そして、それは現実の彼らも同じなのだ。

 桜子は、今そう思っている。
 
「末端まで意識を行き届かせるのは時間がかかるが、あやかし族と人間が対等に親しく共存できる社会を目指したいな」
 
 京也はそう言って花景色の中、はるか遠くの美しい理想を見つめる眼をした。
 

 * * *

 
 吉日、幽世(かくりよ)皇宮(こうきゅう)で行われた祝言の儀式の話題が市井を騒がせた。
 皇族の殿下が、人間の娘を嫁に迎えることを公表し、婚姻の儀を行ったのだ。

「元は魔祓い承仕師のお家柄で、妖狐の家で虐げられていたのだとか」
「玉の輿ってやつだね。羨ましい」
「第二皇子殿下は、なかなか婚約者が見つからなかった方なのだとか。よかったですわね」
 
 帝都の民は哀れな平民の娘のシンデレラストーリーに夢を持ち、好意的にその話を受け入れた。
 
「噂の皇族の殿下――京也様は、品位ある装いで花嫁におなりのお嬢様をお迎えになられました。一方、花嫁となるお嬢様は、清楚な花嫁衣裳に身を包み、緊張と興奮が入り混じった表情で殿下の前に進みました」

 訳知り顔で婚姻の様子を語る少年の前を通りかかった咲花(さきか)が、足を止める。

「京也、様……」
 
 咲花は、自分が原稿を書かせていた書生を思い浮かべた。
 
「あの書生と同じ名前だけど、まさかね……?」 

 いつも同じ格好をしていて、不審人物のように顔を隠している。
 そんな書生が、まさか、まさか――
 
「婚姻届にサインする瞬間、殿下の筆が紙面に触れる音が静かな室内に響きました。花嫁となる娘――桜子様も緊張と喜びに胸を膨らませ、手にした筆を優雅に走らせました」

 咲花は頬を引き攣らせた。
 
「さ、桜子様……ですって」
 
 執事に視線をやれば、執事も「まさか!?」という顔である。
 
「え、え……二人そろって同じ名前という偶然、ありまして……っ?」

 高貴で特別な人物が、知り合い?
 ゴーストライターをしていたりする? お姉さまと呼ばせていたりする?
 
 咲花は蒼ざめた。
 
「客人たちが着席し、神聖な空気が漂う中、京也様と桜子様は神前に進みました。神主が祝詞(のりと)を捧げて、お二人は誓いの言葉を交わしました。桜子様の瞳に涙がダイヤモンドのように輝き、京也様の顔には優しい微笑みが浮かびました」

 ボクの眼も大洪水で、と熱弁する少年は、妖狐族だった。愛嬌たっぷりの声と親近感の湧く容姿のおかげで、周囲の人々はあまり怖がったりはしていない。
 少年の声は、情感たっぷりに語り続けた。
 
「誓いを交わす瞬間、出会いと決意、未来への希望がひとつになる瞬間が静かに訪れ――さて、そのお二人の運命の縁結びの場となりましたのが、ここからすぐの通りにあるにゃんこ甘味店(かんみてん)でございますっ」

 少年――犬彦が「にゃんこ甘味店(かんみてん)をよろしくお願いいたしますっ」と元気いっぱいに呼び込みをした瞬間、咲花の頭の中で、点と点がはっきりつながった。

「や、やっぱり、同一人物~~っ……」
「お、お嬢様ーー‼」

 ふらぁっと気を失って倒れた咲花を、執事は慌てて介抱した。