「ごちそうさまでした」
 
 特別な秘密の話を聞きながらの夕食が終わり、桜子が手を合わせたとき。

「し、しばし、お待ちください!」
「邪魔してはなりませぬ!」
  
 入り口の方向から、なにやら使用人たちが騒いでいる声が聞こえた。
 
 どうしたのかしら、と思っていると、うさぎ耳のウサ子が大急ぎでやってくる。

「失礼いたします……っ」
 ウサ子は袖をひるがえし、京也になにかを耳打ちした。桜子には「お会いしたいとおっしゃり、いらっしゃいまして」という言葉が聞こえた。身分の高い人が訪ねてきた様子だ。

「なんだって」
 みるみるうちに険しくなる京也の表情から、訪ねてくる人物が重要な存在、かつ望まぬ来訪者であることが伝わる。だれだろう。桜子はどきどきした。

「今度ちゃんと会わせると言ったはず……」 
「京也さんの『今度』は放っておくといつになることやら」
 
 京也の言葉を遮るように、女性の声が響く。
 
 聴いている者の脳を蕩けさせるような甘い美声だった。
 見れば、部屋の入り口で『来訪者』が姿を見せている。
 
 その人物が成熟した魅力のある美女だったので、反射のような速さで桜子の脳裏に咲花が言っていた声が(よぎ)った。

『男性は都合のいいことを言って他の女性を囲っていたりするものですからね』
 ――やっぱり、他の女性を囲っていた……?
 
 美女の佇まいからは、風格と気品が滲み出ているようだった。
 背中には羽がないが、天女のように高貴な装束だ。手には大ぶりの羽扇を握っていて、羽扇が彼女の存在感を一層引き立てていた。
 
 胸のあたりが苦しくなって手でおさえる。けれど。
 
「母上、だからと言って不意打ちでやってくるのはやめてください」
 
 京也の声に、桜子は気が抜けた。
 
「ははうえ……ということは、お、おかあさまなんですかっ?」 
 
 驚いた。
 だって、京也くらいの年齢の子を産んでいるようには見えない! 
(と、いうことは、皇后さま?)
 桜子は目を点にした。

 そんな桜子をみて、皇后は満面の笑みを浮かべた。『超・ご機嫌!』って感じだ。
 
「おほほほ! びっくりしているわ! かわいいこと!」
 
 好意全開の眼差しを向けてくる姿は京也に似ていて、桜子は母子の血筋を感じた。
 
「はじめまして~! 京也の母です。ママと呼んでくれていいのよ。雛乃(ひなの)ちゃんでも結構よ」
 
 雛乃は気さくに言って、手に持っていた羽扇をバサバサとはしゃがせた。無風の室内に、熟れた花の香りを含む風が起きる。
 
(あ……すごく、いい匂いがする……)
 桜子がぼんやりしていると、京也が手を引いた。匂いから逃れるように部屋の隅へと移動するのを見たところ、術かなにかのようだ。
 
「母上、それは父上が贈った『誘惑の羽扇』ですね? 桜子を誘惑しないでください」
「やーん。怯えられてるから、手っ取り早く仲良くなろうと思って。京也さんがお嫁さんにする娘さんですもの。いい子いい子してあげたいのぉ」
「やーん、ではありません。だから会わせたくなかったんだ……」
 
 ――自分は、誘惑されていたらしい?
 ぼんやりしていた意識がはっきりしてきて、桜子は慌てて居ずまいを正して挨拶をした。

「お、お初にお目にかかります、桜子と申します」
 
 そんなにかしこまらなくていい、とは、母と息子両方から同時に返ってきた声だった。
 
「あなた、ずいぶんと痩せているわね。京也さんが力任せに抱きしめたら、背骨が折れてしまいそう。京也さん、肩なんか抱いて、大丈夫? 壊しちゃいけませんよ、ほら、放してあげなさいな。代わりにママが桜子ちゃんをやさしく抱っこしてあげる」
 
「はしゃぎすぎですよ」
 
 優雅に羽扇を揺らす母の声に、京也はむすりと反論して桜子を抱き上げた。

「あらあら、怒っちゃった。あらあら、独占欲? まあまあ」
 
(京也様、遊ばれていません?)
 
 桜子がおろおろと見守る中、硬い声の京也が宣言する。

「やっと見つけた俺の運命の番なのです。彼女を傷つけるようなことをすれば、母上であっても許しませんよ」

「おお、怖い。そうね、ずっと探していたのだものね。よかったですわね」

 愛情豊かな声で笑み、雛乃が桜子を視線を絡ませる。
 瞳が思いがけず真剣だったので、桜子はどきどきした。

「ねえ、桜子ちゃん。息子は変わり者だけど、悪い子じゃないのよ。それに、あなた以外は断固拒否なのですって。もしよかったら、嫁いでちょうだい」
「……はい。皇后様」
「あら。ママ、もしくは雛乃ちゃんでよろしくてよ」

 相手がどれだけ高い身分の方なのかを思い出すと『ママ』も『雛乃ちゃん』も恐れ多い気がする。
 でも、雛乃は「さあさあ」とにこにこしながら待っている。

「お、……お義母様(かあさま)、ふつつかものではございますが、どうぞよろしくお願い申し上げます」

 できるだけ美しく見えるよう意識して頭をさげれば、雛乃は声を華やげて「家族が増えて嬉しいわ。京也をよろしくね」と言ってくれた。

 ――家族。
 あたたかな響きに、桜子は心がぽかぽかするのを感じた。

「もう話は終わりましたか。終わりましたね」
「あ、京也さんったら」

 抱っこされたまま、桜子は浮遊感をおぼえた。

「――……あっ……?」

 瞬きする間に、気づけば建物の外にいる。

 背中に黒い羽を広げた京也が、母から逃げるように桜子を抱っこして窓から外に飛び出したのだ――桜子は一拍遅れて理解した。