紗奈と別れた俺は、水野に連絡を取ることにした。そういえば、後のことは決めていなかったなと今更思い出す。もう、樋口を引き付けていてもらう必要はないのだ。
 今は、ただ水野に会いたかった。
 スマホで「今どこにいる?」とメッセージを送ると、いつもと同じように秒で既読され、位置情報らしきものが送られてきた。てっきり樋口と一緒にいるものだと思っていたのだが、当てがはずれただろうか。
 とにかく、ここに来いということなのだろう。俺は、重い足取りで提示された場所へと急いだ。時刻は、十九時を過ぎた頃。 空には、黒のベールが掛かり始め園内には、蛍の光とともに、閉園のアナウンスが掛かり始めていた。

 遊園地を出て二十分ほど歩いたところで、ようやく目的地へと到着する。
 それほど距離は離れていなかったが、こんな時間に暗い参道を歩くのは恐れ知らずだけであり慎重に足元に気を配らなければならなかった。
 指定された場所は、遊園地の隣にある小さな山に位置する神社であった。こんな場所に、神社があるだけでも驚きであったが、意外と立派な造りであることに余計に驚く。誰が手入れしているのかは定かではないが山間を通した参道はきちんと整備されており、本堂も神社ならではの古風溢れ趣のある造りとなっている。麓の案内板には、神木(かみき)神社と書かれていた。
 本当にこんな場所であっているのかとおっかなびっくりながら鳥居を潜れば、かろうじて見える暗闇の向こうに人影を見つける。目をこらせば、それが見覚えのある輪郭であることを認める。

「なんでこんなところなんだよ」
「人目につかない場所として丁度よくて」

 近付くと、それは間違いなく水野であった。暗い夜の闇に彼女の白い肌がよく映えて、ぼんやり光を纏っているように思う。その顔を見られただけで、この疲弊した心が少し癒えるようだった。
 辺りには、人影も何もない。風と木々がざわめく音だけが響いており、まるでこの世界最後の二人になったかのように錯覚する。

「陣くんこそどうしたんですか?」

 水野は、不思議そうに首をかしげる。
 水野は、これ以上ないほど俺に協力してくれていた。それが、全部無駄であったと、そう伝えるのは心が痛んだ。だが、協力してくれていたからこそ伝えなければいけない。

「えっと……水野に教えてもらったことは、全部上手く行ったんだ。紗奈に告白もした」
「結果はどうなったんですか」
「上手くいったよ。付き合おうって言われた」
「そうですか……」

 恐る恐る様子を窺えば、水野は目を伏せておりその表情は、読み取れなかった。
 あんなに親身になって手伝ってくれていたのに、少なくともそれは喜んでいるようには見えなくて、何故だか胸がざわつく。

「おめでとう。これで、私はちゃんと陣くんの願いを叶えてあげられたことになるのかな。
これからは、二人で仲良くしてね」

 祝福の言葉を投げかけられるが、嬉しくもなんともなかった。

「断ってきた」

 俺の言葉に、水野が驚いたように顔を上げる。
 その目元が一瞬、きらっと輝いていたように見えたのは気のせいだろうか。

「どうしてですか? だって、中学生のころから紗奈ちゃんのことが好きだったんじゃ……」
「俺が思っていた早川紗奈は存在しなかった。全部夢だったんだ」
「夢……?」
「俺はもうあいつのことが好きじゃないし、付き合いたいとも思わない。だからもういいんだ。今までやってきたことは全部無駄で何の意味もなくて今日楽しんでいたのも全部嘘で」

 自分でも、自分が何を言っているのか分からなかった。

「水野には、これ以上ないぐらい手伝ってもらったから申し訳ないけど、でも、本当にもういいんだ。未練なんてこれっぽっちも残ってない」
「何が……あったんですか」

 俺の強がりを見透かしたように、尋ねてくる。顔を下げていても、水野が俺のことを見ているのが分かった。俺は、その顔を直視することが出来なかった。

「……本音を聞いたんだ」
「本音?」
「俺の中の紗奈のイメージは、誰にでも平等に優しくて気が配れる。いつもみんなの中心にいて、でも大事なとこでちょっとやらかすような抜けた一面もあって。大人っぽくて完璧で俺なんかにも優しくしてくれて」
「でも違った。そんなのは、表面しか見れてなかった。人の気持ちなんていうものを一切分かってないんだ。人として大事なものが欠如してて俺はそれが受け入れられなかった。樋口と破局すればいいとは何度願ったかも分からない。だけどその間の愛だけは本物であって欲しかった」

 顔を上げると、顔色を悪くした水野が、口をパクパクとさせて顔面蒼白で立っていた。

「そんな……じゃあ……私はなんのために……」

 うわ言のように呟く。

「水野……?」

 それは、計画の失敗から来たようなものじゃなく、もっと別の種類の絶望に見えた。
 そうして気付く。

「……樋口は?」

 水野の役目は、樋口を引き付けることだったはずだ。実際、電話も通じなかった。きっと上手く引き付けてくれていると楽観的に考えていた。なのにこの場には、水野の姿しかない。いや、そもそもどうしてこの時間にこの場所なのか。
 水野の目が泳いだ。分かりやすく焦点が定まらずふらふらと行き場を探す。何かを隠していることは明らかだった。
 だが、諦めたように水野が崖になっている脇の山を指差す。

「……あそこです」

 そこには誰も立っていなかった。嫌な予感が加速する。だってそこには、低い石のしきりがあるだけで、その向こうはゆるやかな崖になっている。人が隠れられるスペースなどどこにもない。
 でも、水野の表情は嘘などではなかった。まさかと思い、崖際に駆け寄る。
 スマホの明かりで、明かりのない夜の山を照らす。すると、下の方に土で汚れた白い布切れのようなものが見えた。目を凝らすと、それがどうやら人であるらしいことが分かった。
 一瞬心臓が止まった。比喩などでなく本当に全身から血の気が引き、全ての生命活動が停止したように錯覚する。
距離でいって約十メートルほど下だろうか。それは、今の会話から考えると樋口であるらしかった。俺の脳内の樋口の服装とも 一致している。木の根元にうつぶせでひっかかっているため、意識があるのかどうかも分からない。

「樋口!」

 大声で呼びかけるが反応がない。一体どうして、こんなことに。
 幸い、崖は思っていたよりも急でない。多少角度のついた坂のようなものだ。薄暗く足元の様子は殆ど見えないが、慎重に下れば問題なく近づけそうではあった。
 とにかく助けないと。しきりを乗り越えようと、足を出したところで背後から裾を引かれて戻される。

「危ないです」

 俯きがちにそういう水野がいた。

「いや……樋口が下に落ちてて。返事がなくて。早く助けないと!」
「……どうしてですか?」

 どうして? 何故いまそんな台詞が出る。人が崖から落ちたんだぞ? どうしてそこまで冷静でいられるんだ。
 つい先ほど感じたばかりの全身の毛が総毛立つような不快感に襲われる。まさか、この感覚は。

「水野は知ってたのか」
「……」

 水野は答えなかった。俺が樋口のことを見つけられたのは、水野がこの方向を指差したからだ。俺は、樋口はどこだと質問したんだ。
 それはつまり、この状況を知っていたというわけで。

「なんで何も言わないんだよ」
「……」
「答えてくれよ水野!」

 信じたくなかった。だってまさかそんなことあるはずがないのだから。普通の人間ならもっと取り乱して、必死になって助けを求めるはずで。
 不快感が加速する。

「……私がやりました」

 水野の言葉に脳が痺れるような、くらっとする感覚に襲われる。
 そうだ、この不快感はさっき紗奈と話した時と同じ。会話が理解できないことに対する不快感だ。
 信じられなかった、信じたくなかった、聞きたくなかった。

「どうして……」
「陣くんのために」

 頭痛が悪化する。俺のため? 俺のために樋口を崖から突き落としたと、水野はそういうのか?
 それは常軌を逸していた。自分に理解できないものに嫌悪感を抱くのは、人間なら誰でも持つ生理的な反応だ。それが、最大限警鐘を鳴らしていた。

「これのどこが俺のためなんだよ」
「陣くんの願い事を叶えるためだよ」
「え?」

「紗奈ちゃんの彼氏がいたら、陣くんは彼氏になれないでしょ」
「だから仕方なかったの」
「私は、何でもするから」
「陣くんのために」
「必要としてもらえるように」

 意味が分からない分からない分からない。分かりたくもない。
 あれだけ会いたかったのが嘘のように、水野の姿が揺らいで見えて薄気味悪い化け物のように思える。理解が出来ない。
 でもとにかく今は、樋口を助けなければいけなかった。水野を無視して、急いで携帯を取り出す。
 こういう時は、救急車でいいのだろうか。番号はたしか一一九。まさか、自分がこの番号にかける日がくるとは思っていなかった。

 数コールして繋がったオペレーターに、現在地と状況を伝える。場所も場所ということで、到着には時間がかかるらしく、下手な行動はしないようにと念を押される。
 言われていなければ、きっと自分の身を顧みずまたこの暗闇を降りていこうとしていたところだった。下手したら救助者が一人増えてしまう。
 大人の声を聴いたことで、このありえない状況にも気持ちが落ち着いてきた。樋口は、無事なのだろうか。この高さであれば、余程打ちどころが悪くなければ大丈夫だと思うが、未だその体はぐったりとしており反応がない。
 頭に、死という最悪の文字がよぎるがそんな訳ないと頭から乱暴に振り払う。ついさっきまであんなに元気だったのに信じられなかった。

「どうして助けるんですか」

 そんな俺に、背後から声がかかる。水野が何をするでもなくただ立っていた。

「当たり前だろ?」

 どうしてなんて考えるまでもない。

「せっかく私が、場を用意してあげたのに」
「ここまで頼んでない」
「でも、これ以上はないでしょう?」
「それが人を傷つける理由になるかよ!」
「私には……分かりません。私はただ陣くんのために」
「もう紗奈のことなんてどうでもいいんだって」

 水野の顔が、泣きそうに歪んでいた。いや、泣いていた。涙が出ていないだけでそれは確かに泣き顔であり以前にも一度見たことがある。だが、あの時とは状況も何もかもが違っていた。
 まるで、俺が責められて悪者とでも言われているようだ。俺は、こんなこと頼んでいない。ただ、紗奈と話す場を作ってもらおうと、水野に樋口を引き離す役目を任せただけだ。こんなことになると分かっていれば、絶対に止めていた。

「でも、それだと陣くんの願い事が叶えられない」

 この期に及んでそんなことを抜かす水野が信じられなかった。もっとまともな人間だと思っていた。いや、俺がそう思いたかっただけなのか?
 俺はその人の表面しか見えていなくて、その内に秘めている想いを何も知らない。感情というものに無知であった。みんなとっくに壊れていて、それに気づかず有頂天で妄信していた。

「私はいらない子ですか?」

 水野が、掠れるような声でそう呟いて俺に手を伸ばす。彼女の白い肌と、息遣いに心臓がうるさい。

「触るな」

 伸ばされた腕を乱暴に振り払う。その時の水野の表情が忘れられない。初めて会ったときに見せていた深い絶望。それを極限まで煮詰めて抽出して丸呑みにしたような吐きそうな顔。
 水野は、俺に背を向けて頭を抱えて座り込んだ。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさ……」

 壊れたようにそう繰り返す水野を見ても、可哀想なんて感想よりも気味悪さが勝る。そのことも、酷く不快だった。





「もう大丈夫だから君達は早く帰りなさい」

 程なくして駆けつけた救急隊員から、そう声をかけられ俺たちは半ば強制的にその場を後にさせられた。未成年をあまり夜遅くまで拘束しているわけにもいかなかったのだろう。
 樋口の親の連絡先を知らないかと尋ねられたが、知っているわけもなく、代わりに学校の連絡先と俺たち二人の連絡先を教えた。どうやら、それでお役御免らしかった。
 樋口の容態が気になって近くの救急隊員に尋ねると、大丈夫だからと宥めるように言われてそそくさと担架が運ばれて行った。どうやら、最悪の事態ではなかったらしいが、全く安心できるようなものでもなかった。
 樋口が崖から落ちた理由を救急隊員にどう伝えるか一瞬迷ったが、足を滑らせたからと咄嗟に水野を庇う発言をしてしまった。そんなの、樋口が目覚めればすぐに嘘と分かってしまうものだったが、救急隊員はそれ以上追及してくることはなかった。
水野は、その間一言も言葉を発していなかった。

「なんで付いてくるんだよ」

 今の俺の問いにも何も答えず下を向いている。何も話さないことにイライラした。
 帰る方角が同じなのだから当たり前なのだが、電車で隣に座る水野に嫌気が差して思わず悪態をつく。

「あんなことして本当に俺のためになると思ったのか?」
「……」
「おかしいだろ。人として」
「……」
「死んでたらどう責任を取るつもりだったんだ」
「なぁ、何とか言えよ」

 俺は、終電間際のまるで屍のようにくたびれたサラリーマンばかりの車内で、最寄り駅に着くまで尋問という名の罵倒を水野に続けていた。それでもやっぱり水野が口を開くことはなくて、俺の中の水野のイメージは地に落ちていた。
 あれだけ準備して迎えた今日という日は、最悪の一言で表すのがぴったりに様変わりしていた。精神的支柱にしてきたものが、全て打ち砕かれたのだ。
 それに樋口の容態も心配であった。とはいえ、俺に出来ることはないので、後は医者に任せるしか出来ないのが歯痒い。
どうにも出来ぬ現状に唇を噛んでいると、いつの間にか最寄り駅に着いていた。水野はどうするのかと隣を見るが、降りる様子はない。相変わらず下を向いていて、きっとその表情には絶望が張り付いていると見なくても分かる。放っておいたら死んでしまうんじゃないかという不安が頭をよぎった。
 俺は、またねもさよならも言わずに電車を後にした。電車の扉が閉まる直前、水野が顔を上げ、何かを言うようにその小さな唇を動かす。
 だが、その内容を聞く前に扉は閉まり切ってしまい結局内容を知ることは出来なかった。





 数日後、樋口が目を覚ましたと連絡を受け、俺は市内の病院へと足を運んでいた。
 俺なんかがお見舞いに行ってもいいのかとは思ったが、樋口本人からの希望で来て欲しいとのことであれば、断ることは出来なかった。
 どの程度の怪我だったのか、本当にもう大丈夫なのか。心配は尽きなかったが、実際に対面した樋口を見れば過度な心配はいらないように思った。

「高崎が通報してくれたんだって? ありがとな!」

想像よりもあっけらかんとした樋口の様子にため息をつく。

「俺がどれだけ心配したと」
「悪かったって」

 だが、いくら明るく振舞っていてもその体には痛々しい傷跡が刻まれている。足はギブスで覆われ、腕や顔には細かい擦り傷。とても無傷と言える状態ではなかった。

 「右足の骨が折れてたのと、全身至るところに打撲。まぁ幸い途中で木に引っ掛かったおかげで、大事には至らなかったんだけどな。様子見で一週間だけ入院することになってる」

 そんな俺の視線に気づいたのか、右足を指しながら極めて楽観的にそう話す。
 骨折なんて俺はしたことがなかったし、充分大怪我であることには変わりないのだが、目覚めて無事でいてくれたことに安堵する。呼びかけても反応がなかったあの日は本当に焦った。

「骨折したのだって初めてじゃないし、何も心配いらないよ。まぁその間サッカーが出来ないのだけが不満ではあるけども」

 心配そうな様子に気付いたのか、「大丈夫」となぜか俺が励まされる。
 そうだった。樋口は、サッカー部の英雄なんて呼ばれ方をしているのだった。そんな樋口から一定期間とはいえ足を奪ってしまったことは罪悪感に苛まれる。

「それで樋口……」

 水野のことをどう尋ねようかと考えて口籠る。
 水野にやられたんだろ? と聞くのが怖かった。直接でないとはいえ、俺も関わっているのは間違いなかったから。呼び出されたのもそういう意味ではないだろうかと覚悟する。断言されるのが怖かった。

コンコン!

 そんな俺の言葉を遮るように、病室の扉がノックされる。

「はい、どうぞ」

 それに樋口が、にこやかに相対し扉が開かれる。
 そこに立っていたのは、あの日俺と行動を共にしていたもう一人の女性。紗奈の姿があった。

「あれ、陣くんも来てたんだね」

 そう言って、彼女は以前までと同じ、何事もなかったような笑みを浮かべる。まるで本当に何もなかったかのようだ。
 だが、その笑みはもう俺には悪魔の笑みにしか見えなかった。

「紗奈!」

 樋口が嬉しそうにそう答える。
 そうか、この二人は未だ付き合っているのだからこういうことも起こりえるのか。

「もう、心配したんだから。怪我の具合はどう?」

 紗奈は、お見舞いの品であろう紙袋を置いて、近付いてくる。その顔を俺は見れなかった。

「骨は折れてるけど全然平気。今日は来れないって言ってなかったか?」
「予定ずらしてきたよ。彼氏がこんな風になってるのに遊んでいられないよ」

 よく言うよ、と心の中で呟く。一体何番目の彼氏なんだろうな。体が冷えて堪らない。

「それで、どうしてこんな怪我したの?」

 その紗奈の質問に、俺の息が詰まる。水野に押されたからだということを俺は知っていた。そして、樋口を連れだしてほしいと頼んだのは俺だ。樋口の口から、水野の名前が出ればもう言い訳は出来なかった。

「転んだんだよ」

 だが、想像していた答えは返ってこなかった。転んだ。樋口はそう言った。

「いや、それは……」

 俺は真実をもう既に知っていた。だから、樋口の言ったことを否定しようとした。

「あんな時間に、あの場所で?」

 紗奈の言い分は最もだった。俺たちは、遊園地にいたはずなのだ。そこから少し離れた場所にあった神社に行くなんて、それこそ誰かに連れ出されでもしなければ不自然すぎる。

「いや、ドジだよなぁ。一人でこけるなんてさ。たまたま高崎が見つけてくれなかったら危なかったよ」

 樋口は何を言っているのだろう。それではあの場所に水野なんて最初から存在しなかったかのような物言いじゃないか。

「でも……」
「本当に! 助かったよ」

 樋口は、俺の言葉を遮って感謝の言葉を重ねる。その瞳からは、これ以上何も言うなという無言の圧が感じられた。一体樋口は何を考えているのだろう。
 紗奈はとても納得しているようには見えなかったが、当人である樋口にそれ以上語るつもりはなさそうであった。
 水野のことを庇ってくれていることは明らかであった。

 尋ねたいこと、何を思っているのか。聞きたいことは無限にあったが、今はそれ以上に今は紗奈と同じ空間にこれ以上いるのが辛かった。まだ心の傷は癒えていない。
 俺は病室を後にすることにした。この場に俺がいることはきっと紗奈だって望んでいないはずだから。

「来てくれてありがとう。またな」

 樋口の言葉を背中で受けながら、俺はドアを閉じた。

 帰り道に携帯を見ると、ここ数日のうちに水野から何件かのメッセージが届いていることが分かった。
だが、俺は目を通そうとはしなかった。今は、水野と関わりたくなかった。心には、ぽっかりと穴が空いたように満たされない気持ちでいる。
 人のことを平気で突き落とせる人間と契約してしまっていた事実がどうしようもなく脳内を渦巻いていて気が気ではなかった。一体、何を送ってきているのかは分からなかったが、開く勇気がなかった。
 空には、飛行機雲が一筋薄く尾を引いている。この空の青さをどこかで君も見ているのだろうか。





 一週間とは早いもので、樋口が退院してくるまで時間はかからなかった。
久しぶりに学校で見つけた樋口は、顔に出来た痛々しい擦り傷はすっかり目立たなくなっていたが松葉杖をついており完治しているわけではないと思い知らされる。
 俺の教室にやってきた樋口を見て、クラスメイトが紗奈の姿を探すがあいにく今はいなかった。そのことを樋口に伝えられると、「ありがとう、でも今日は違う奴に用があるから」と言って俺の席の前まで、杖を使い器用に歩いてくる。

「ちょっと話そうぜ」

 その話というのがあの日出来なかった話の続きであることは何となく察せられた。

 そうして、俺たちは誰も人の来ない空き教室へと足を運んだ。授業をさぼることにはなってしまったが、誰も俺のことを気にはしないだろう。今はそんなことより目の前の樋口から語られる内容の方が気になった。

「意外と松葉杖でも歩けてるだろ? 階段だって登れるんだぜ」

 樋口は極めて楽観的にそうおどけて笑う。
 そんなことを言うために呼び出したわけではないことぐらい、分かっていた。

「病院食って、まずいって言うけど意外とそんなことないのな。俺の舌が馬鹿なだけかもしれないけど美味しかった。確かに味は薄い気がしたけど」
「樋口。もういいから」

 誤魔化すような会話はもういらなかった。俺は真剣な顔をして樋口に向きあった。
 樋口もそれを察したのか、先程までのように明るく振舞うのを止めて真剣な表情を浮かべる。
 俺は、樋口から話始めるのを待った。

「水野さんから何か聞いたか?」

 少しの沈黙の後、語られた内容は、やはり水野のことだった。

「ごめん……!」

 俺は、深く深く頭を下げた。俺が謝って済むことではないかもしれない。だが、謝らざるにはいられなかった。

「その様子じゃ、聞いたんだな。でも俺は無事だった。だから謝らなくていいんだ」
「そうはいかないだろ。だって樋口は水野のせいでそんな怪我して……」
「水野さんのせいじゃないよ。もう謝罪はもらってる。かといってこれは、高崎のせいでもない。だから本当に、謝らなくていいんだ」

 水野のせいではなくて……俺のせいでもない? 樋口は何を言っているのだろう。

「あの日、何があったんだよ」

 水野は、一体樋口に何をしたんだ?
 樋口は人当たりのいい笑顔を浮かべた。その表情は言葉どおり、俺を恨んでいるようには見えない。確かに、気にしているのならばそれをもっと言うタイミングはあったはずなのだ。その表情の裏に何を思っているのか分からなかった。

「本当は、俺から言うべきことじゃないんだけどな。水野さんに言うつもりがなさそうだったから、勝手ながら俺が代弁させていただく。
高崎が見舞いに来てくれた日、少し前に本当は水野さんも来てたんだ」
「水野が……?」

 あの日、水野も来ていたなんて俺は知らなかった。樋口はよく水野と会う気になったなと驚く。自分を殺しかけた相手なんて恐ろしい以外の感情ないだろうに。

「本当は、三人で話したかったんだけど高崎が来ることを伝えたら、合わせる顔がないからって」

 俺は、電車で別れて以来、水野と一切顔を合わせていなかった。連絡も何件か来ているようだったが、それにも目を通していない。だから、本当に今何をしているのかを知らなかった。
 つまるところ、水野のことが怖かったのだ。自分に理解できないことに強い不快感を覚える。俺には到底理解できない行動をした水野のことが不気味に思えて仕方なかった。感じていた絆のようなものはすっかり消え去っていてただ今は一人でいたかった。

「高崎はどこまで知ってる?」
「どこまで?」
「水野さんの行動原理だよ。どうして高崎の願い事を叶えてくれてるんだと思う?」

 俺は目を丸くした。何故、樋口がそんなことを知っているのだという表情を浮かべる。

「どうしてそれを」
「直接聞いたんだよ。その様子だと、何も知らないみたいだな。
聞いてた通りってことか……」

 ぼかして、はっきりと口にしない樋口に焦れったさを感じる。

「何が言いたいんだよ」
「四人で出かけた日。俺が水野さんに殺されかけた日の話だよ」

 やはり、樋口は知っていたのだ。知っていて、誰に対してもその話をしていなかった。
 でも、俺にはその理由が分からなかった。それが、あの日何があったかということに繋がっているということなのだろうか。

「本当に、ごめん! 実はあれは……俺のせいかもしれなくて」

 俺はもう一度深く頭を下げて心からの謝罪を口にした。こんなことで、なかったことになるわけではない。起こってしまったことはもう取り返しがつかないのだ。

「高崎のせいじゃないってさっき言ったろ。いいから、あの日何があったのかを聞けよ」

 樋口は、俺の態度が気に入らないというようにそう言い捨てる。その表情は、心なしか俺に苛立ちを覚えているように思えた。
 俺は、その言葉にごくりと唾を飲み、語られる内容に耳を傾けることにした。
 その俺の様子に満足したのか、樋口は俺の知らないあの日の記憶を語り始めた。

 それはやはり、俺が紗奈との二人の時間を過ごしている裏で起きている出来事だった。
 あの時、いつの間にか二人きりになっていてどんな手を使ったのかと思ったが、お化け屋敷から出たタイミングで、相談があるからとこっそり二人きりで連れ出されたらしい。
 それを快く受け入れた樋口は、紗奈に少し席を外すことを伝えようとしたらしいが、それは半ば強引に阻止された。

「陣くんに言ったから大丈夫です。それにバレたくないから……。樋口くんにしか頼めないんです」

 と水野が目を潤ませながら言ったことにより、二人だけで連れ出すという計画は、遂行されていたのであった。

「それから、俺はあの神社に連れていかれたんだよ。二人だけで話せる場所がいいからって。人気のない場所として都合が良かったんだろうな。
俺は、この時点でしくったなとは思ったよ。こんな状況、紗奈にバレたら誤解されても仕方ないし、水野さんの彼氏である高崎にも申し訳なかった。だけど、相談に乗ると言った手前、断ることも出来ずに渋々ながら付いて行った」
「……」

 俺は、何も答えなかった。樋口は話を続ける。

「着いたあとの水野さんは、まるで魂でも抜けたかのようにぼんやりとしていた。さっきまで、目を潤ませて感情を露にしていたのが嘘みたいで、もう既に俺に対しての興味をなくしていることは明らかだった」



「えっと、水野さん? 相談って何かな」

 空は赤く染まっていて、明かりもない境内は既に薄暗く、鬱蒼と茂る草木の風で揺れる音だけが静寂の中に響いていた。
 俺の声に、ようやく彼女は意識を取り戻す。

「実は相談なんて嘘なんです」
「……嘘?」
「でも樋口くんに用事があったのは本当ですよ」

 水野の顔から目を離せなかった。その整った顔立ちに目を奪われていたわけではない。
 彼女は無表情だったが、その裏にはとても深い、見通せない程暗く沈んだ絶望があったような気がしたから。まるで光の届かぬ深海のようだと思う。

「どうして俺をこんな所に連れてきたんだ」

 そう尋ねると、水野は時間を確かめるように携帯をちらりと眺めた。

「少しだけお話しませんか?」
「話?」
「話題はそうですね。今度こそ本当に相談にしましょうか」

 俺は元より、水野の相談を聞くためにこの場所に来ていた。彼女が語りたいというのであれば、それを断る理由は存在しなかったし他に選択肢もなかった。
 先程から携帯がポケットの内で振動しているのを感じる。恐らく紗奈からだろうが、それに反応しようとすると水野に止められていた。

「分かった。聞くよ」
「聞き分けの良い人は好きです」
「こんな美少女に言ってもらえて光栄だけどあいにく俺にはもう相手がいるんだ」
「奇遇ですね。私もです」

 水野は、俺の軽口に一切興味が無さそうに淡々と返す。

「今から語るのは、ある人に起きた悲劇の話です。長くなりますが聞いてくれますか?」

 俺はだまって頷く。それを見て、水野はゆっくりと語り始めた。

「ある街に、一人の女の子がいました。どこにでもいるありふれた女の子。
その女の子は一人っ子で、両親の寵愛をその一身に受け、何不自由なくすくすくと成長しました。
家族仲は良好。たまに喧嘩はありましたが、父は休日には娘をドライブに連れていき、母は日頃からコミュニケーションを欠かしませんでした。そんな生活に不満もなく、まさに理想の家族像でした。
そんな両親には口癖がありました。その口癖とは『人の助けとなるような人となりさない』。この文言は、何かあるたびに口にされ、まだ幼かった彼女には何故両親がそうも口を酸っぱくして言うのか理解が出来ませんでした。優しかった両親は、いつも誰かのためにと行動していてその結果、しなくていい苦労まで背負いこんでいるように見えたからです。
なぜそんなことをするのか理由を尋ねると、人を助けるといつか自分に返ってくる。誰かのために行動するのは素晴らしい。自分の存在価値を証明できるのよ、とそれらしい答えが返ってくるばかりでした。あまりピンときませんでしたが、両親に言われたことを彼女は実践することにしました。
学校では、困っている人がいれば積極的に助けに入るようにしました。それが両親の教えだったから。掃除当番をめんどくさそうにしている人がいれば代わり、宿題を忘れた人がいれば快く写させてあげる。彼女にとっての親切とはそういうものでした。
そんな生活を続けていると、彼女の周りには自然と人が増えていました。なるほど、両親の言っていたことはこういう事かと彼女は思います。人から感謝されるのは嫌いではなくむしろ気が大きくなり好きと言えました。いつからか、彼女の口癖は両親の教えを受け『なにか困ってることある?』になりました」

 一体誰の話をしているかは分からなかったが、今はただ遮らず聞くことにした。

「でも、そんな彼女をある日、不幸が襲いました。彼女の一生を狂わせるような不幸が。
中学生になった彼女がいつものように誰かの助けにならなければと意気込んでいれば、落ち込んだ様子男子生徒を見つけたのです。
彼女はその男子生徒に『何で落ち込んでるの? 私に出来ることない?』と話しかけました。その問いに、男子生徒は投げ槍に彼女に振られたと言います。
困りました。彼女には恋愛経験がなかったのです。周りの友人は色気づいていてそういった話も度々耳にしていましたが、実際に恋を経験したことはありませんでした。こういった時に、どう声をかけていいものか、分かりませんでした。
そんな口籠っている彼女に男子生徒は、思いついたように『出来ることはって聞いたよな? じゃあ助けると思って俺と付き合ってよ』と言います。
その言葉にの彼女は酷く驚き、狼狽しました。
恋愛経験が無いとはいえそれは彼女の人生において、決して初めて聞く言葉ではありませんでした。何故ならば彼女は、時が経つにつれ周囲よりも容姿が整って成長していたのです。自惚れなどではなく、周囲の反応からも彼女にも自分は特別なのだという自覚がありました。
その延長線上で告白されることも度々あったのです。その度に彼女は、『ごめん。私にはそういうの分からないから』と断っていました。
しかし、今回は少し訳が違います。付き合うという行為が、相手にとって救いとなるらしいのです。助けると思って、と言う言葉は彼女にとって、とても大きな存在となっていたのです。
迷った末に、その男子生徒に対して恋愛感情は全くありませんでしたが、その提案を受け入れることにしました」



「この辺りで俺は、これが知らない誰かの話ではないと思ったよ。その語り草はまるで見てきたかのような、体験したかのようなものだった」

 高崎は、俺の話を聞いて判断に困っているように見えた。

「その話のどこが不幸なんだよ」
「確かにな。好きでもないのに付き合うなんて、珍しくもない、よくある話だ。
 でもこれは間違いなく悲劇だよ。最もそれもまだ序章に過ぎないけれど」
「はっきり話せよ。水野の話に出てくるその子に何が起きたんだ」

 その言葉からは、確かな苛立ちを感じた。からかいすぎたなと反省する。

「じゃあ続きを話そうか。付き合うと答えたことで、その男子生徒は確かに元気を取り戻したよ。実際そんな出会いとは言え、関係は良好だったしね。その男の子は、ちゃんと彼女を大事にした。
そうしてその子は思った。良かった、全て丸く治った、私はまた人の助けになれた、ってね。だが、全てを肯定する事が良い結果をもたらす訳じゃない。
結論から話そうか。その女の子は強姦の被害に遭った」

 俺の言葉に、高崎が目を丸くする。何故そんなことに、とでも言いたげな顔だ。
 俺だってこんな衝撃的な内容、何かの作り話なんかじゃないかと思った。でも、それを語る水野の顔はそんな甘い期待を裏切るようなものだったのが脳裏をよぎる。

「交際を許可した頃から噂が流れたんだよ。あいつは頼めば、何で言うことを聞くっていう噂が。あながち、それは間違いではなかった。彼女は断れる性格では無かったし叶えられる願いであれば叶えたいという意志があったから。彼女に頼み事をする時のダメ押しの言葉は、『助けると思って』だった。
そして、彼女は幸か不幸か、容姿に恵まれた。それが悲劇を呼んだ」

 ここまで話せば、高崎も何が起きたのか察しがついたようだ。何も言わないのを確認して続ける。

「告白を受けた後のある日、知らない男子生徒から人気のない所に呼び出されて裸を見せて欲しいと頼まれたらしい。
それ以前にも、金銭など無茶な要求が通っていたのをそいつは知っていたんだ。そういった馬鹿が出てくるのも時間の問題だった。
もちろん、それは流石に拒否した。この時ばかりは、決め台詞であった俺を助けると思って、という言葉にも耳を貸さずに。超えちゃいけないラインは確かに彼女の中で存在していたんだ。
でも、それで終わりとはならなかった。その男子生徒は、強行手段に出たんだ。口を塞ぎ暴れる彼女を抑えつけて乱暴をしようとした。突然の事に抵抗したとはいえ、男女の力の差は歴然で振り解く事は出来なかったらしい」

 高崎が顔を青くしている。その様子に慌てて唯一の救いである情報を伝える。

「幸いと言うべきか、偶然人が通りかかったことにより、それは未遂に終わった。
けど、それだけで彼女の心に深い傷を残すには充分だった」
「それが……悲劇……」

 高崎は衝撃的な内容に、絶句したようにうわ言のように呟く。だが、全てを知っている側からすれば、ため息が出てしまった。

「だったら、まだ救いがあったんだけどな」
「え?」
「悲劇はまだ終わらないって話だよ」



「かくして、私は……いえ、その女の子は。心に深い傷を負い、自分が信じていた『人の助けになる人間になりなさい』という言葉に不信感を覚えるようになりました。それも仕方のないことだと思います。だって、あんなに健気に教えを守ってきた結果がこれだったのですから。
付き合っていた男の子は、彼女が傷物になったという噂が出回ったことにより、慰めることもせず離れていきました。真剣に向き合っていたつもりでも結局ただのアクセサリーでしかなかったんです。
そんな追い詰められた彼女の取った最後の行動は親への反抗でした。感情のままに両親へと当たり散らし、人のいい両親は謝り慰めるばかりで何も言い返しません。
それを良いことに、彼女は言ってはいけない言葉を口にしました。
『こんな家に生まれて来なければ良かった』って」

 それを語る水野の顔は、まるでもう取り返しのつかなくなってしまった過去を思い出すかのように絶望を噛み潰したような、何処かに想いを馳せるものだった。
 葉の擦れる音がやけに大きく聞こえて耳障りに思える。
 語られる内容は、想像していた相談とは話の重さが段違いであった。怯みそうになるのを必死にこらえる。

「人間、誰にだって過ちはある。それにそんなことがあった直後なんだ。落ち着いて、ちゃんと気持ちの整理をつけてから謝れば……」
「死んだんです」

 俺の慰める声に被せるように、水野の冷たい声が響く。そして、その衝撃的な内容に思考が止まる。
 今、死んだと口にしたのか?

「次の機会なんてもう無いんです。両親の中の私に関する最後の記憶は、車の後部座席で不貞腐れて泣きじゃくっていた私です。
両親は、塞ぎこんだ私を元気づけようと旅行に連れ出してくれたんです。それなのに私は、楽しもうともせずこんな家に生まれて来なければ良かっただなんて言って。
そう言った時の、バックミラーに写った両親の悲しげな表情が今も頭をこびり付いて離れないんです。毎晩寝ようとする度に後悔と心細さで死にそうになる」

 いつの間にか誰かの話だったはずなのに、話の一人称が私に置き換わっている。でも、指摘するほど野暮ではなかった。

「死んだって言うのは……」

 水野が目を伏せる。

「運悪く、事故に遭ったんです。父の運転に問題は無かった。対抗車線を走っていた車の居眠りというベタでありがちな展開。
そして運悪く、私は生き残った。私だけが」
「運が悪いなんて……」
「悪いですよ。最悪です。本当に救いようのない、私の人生最大の不幸です。私はあの場で両親と一緒に死んでいれば良かった。
目の前で両親が死にゆく状況を樋口くんは見たことがありますか? 冷たくなっていく手、呼びかけても応えない両親とその孤独。そんな世界で生きていくぐらいなら死んでいた方が何千倍もマシだと思えるほどの絶望です」

 何も答えることが出来なかった。人の死を間近で感じたことなど今までの人生で存在しない。ましてや、それが両親だなんて。何不自由なく過ごしている自分がいかに恵まれているのかを実感する。その辛さを軽々しく分かるなんて答えて慰めることの方が、よほど無責任な気がした。

「だから私はこの街に引っ越して来たんです。祖母がいましたから。最も、立ち直って出歩けるようになったのはここ最近の話ですけど」
「それを俺に伝えて……何を相談したいんだよ」

 水野は忘れてたと言うように頷く。

「相談は……無いですね。強いて言うなら、どうすれば両親に償いが出来るか、でしょうか。でもそれも私の中でもう答えは出てるんです」
「答え?」

 水野は、その俺の問いに答えずにくるりと背を向けて境内の端の方へと歩いていく。
 俺は黙ってそれに付いていくことにした。水野は、境内の隅の、ゆるい崖のようになっている山肌に落ちないよう低い石柵が設置されている所で足を止める。そして、その石柵にちょこんと座った。
 石柵は低く、少し身を乗り出せば落ちてしまいそうだ。周囲は、街灯もなくすっかり暗くなっていて、少し離れると闇に溶ける。ここから落ちればただでは済まないだろうと直感し、何かあれば咄嗟に助けられるように少し離れて石柵に腰を下ろす。目を離すと消えてしまいそうな、そういった類の危うさを今の水野からは感じられた。

「私と陣くんは、本当のカップルじゃ無いんです」

 水野は、突然口を開いた。

「え?」
「私が言ったんです。『三つだけ何でも願い事を叶えてあげます』って」

 今日一日、一緒に過ごしていたがそう言った嘘のようなものは一切感じず、二人は本当に仲の良さそうなカップルのように見えていた。お互いを見る視線も心を許しているように見えたし、熱を帯びているように思えた。

「どうしてそんなこと?」

 俺は冗談だと思ったから、軽くそう尋ねる。

「贖罪ですよ。人の役に立つ人間になりなさいという両親が正しかったと証明して、私の言葉が間違いだったと証明したい。ただそれだけです。
最も、最初の願いが付き合ってほしいというのは、過去のトラウマを蘇らせるようでドキッとしましたけど」

 だが、水野は真剣そのものだった。

「なんでそれを俺に話すんだよ」
「理由も分からずに終わるのは可哀想かなと」

 終わるという言葉に何を指しているのか疑問符が浮かぶ。だが、それを尋ねる前に水野が再び喋り始める。

「今日呼び出した理由も、陣くんが紗奈ちゃんのことが好きだから二人をくっつけるためにです。つまり私は今、その手伝いをちゃんとこなせていて役に立てている訳ですね」

 高崎が紗奈のことを好きだと言う言葉に、驚きを隠せない。
 いや、だが確かに、考えてみれば思い当たる節が無いわけではなかった。高崎が時折、俺に申し訳なさそうな視線を向けていることと、紗奈への過剰なほどへのリアクションと接近。そう考えると、今日俺たちが誘われた理由にも合点がいった。
 でも、水野さんがいるのに……違うか、それが嘘だったのだから。でも、本当に二人とも恋愛感情はなかったのだろうか?
 察しの悪い自分に呆れる。何も気づかずこんな所までのこのこやってきたのだから。

「だから、これが仕上げです」
「仕上げ?」

 水野が、寄りかかっていた石柵からぴょんと降り、俺の正面、触れられるほどの距離に立つ。その近さに思わずドキッと身構えてしまう。

「目を瞑ってくれませんか?」
「?」

 水野は、目を指差す。
 何をしようとしているのだろうか。分からなかったが、言われる通りに目を閉じることにする。ここまで、包み隠さず自分語りをしてくれていたことにより、俺から水野への警戒心はほぼゼロになっていた。
 だって、信用してくれたからこんな誰にも言えないような話をしてくれたのだと思ったから。きっと、高崎だってこのことを知らない。

「これでいいか?」

 目を閉じると、余計な情報が遮断され周囲の音や触覚に敏感になる。そのせいか夜風に少し肌寒さを感じる。
 素直に従った俺の耳には水野の規則正しい息遣いが聞こえた。

「ごめんなさい……」

 水野の声が聞こえた。聞こえた瞬間、肩に手が触れる感覚を感じてバランスを崩し後ろに倒れる。
 だが後ろ? 後ろは確か……。
 そう気づいた瞬間には、力を抜いていた俺の体は天地の感覚が消失し、山道を……いや道ではない。ろくに整備もされていない凸凹した崖のような坂に体中を強打しながら転げ落ちていた。
 何が起きているのかまるで分からない。だが、目が回り、無限にも錯覚する浮遊感も、太い幹に背中から激突することで乱暴に止められる。

「かはっっ……!」

 背中を強打したせいか、息ができない。体中が燃えるように熱く、滲むように痛んでいる。口の中は血の味がした。夜の闇のせいか、はたまた意識が朦朧としているせいか、視界がぐらつき何も見えない。
 どうしてこんな状況になったのか分からなかった。

「ごめんなさい。私が私でいるために必要なことなんです」

 水野の声が聞こえた。いや、聞こえた気がした。実際は、口にしていないのかもしれない。
 確かめようと声をあげようとしたが、ひゅーひゅーと喉が鳴るだけだった。
 俺はそれ以上何も出来ず、意識を失った。





「これがあの日あった全てだよ」

 樋口の語る長い話が終わった。俺は、信じられなかった。初耳の情報が多すぎたのだ。
 水野の過去なんて聞いたことがなかったし、それが全て本当だとしたら疑う余地のない最悪の悲劇であった。どこにも救いなんてありはしない。

「なんで樋口は、それを誰にも言わないんだ」

 今の話だと、樋口は水野に落とされたことをはっきりと自覚している。どうして庇うようなことをしたのか不思議だった。足を労わるようにさする樋口に尋ねる。

「実際、俺は生きてる訳だし殺す気なんてなかったと思うんだ。本当に殺す気だったら、あのまま放置しておけば良かったしいくらでも他に方法があった。でもそうはしなかったんだろ?
それにどうしてそんなことをしたのか理由も聞いた。俺は、ちゃんと自分で判断して言う必要がないと思ったから誰にも言わなかった。それだけだよ。
でも高崎、お前には。お前だけは全てを知る権利があるだろ?」

 樋口の言葉に、ぐっと息が詰まる。

「謝罪でないなら、俺に何を求めてるんだ」

 知る権利というのが何を指しているのか分からなかった。

「お前、あれから水野さんと連絡取ってないんだろ?」

 樋口の言葉は予想外であった。水野から聞いたのだろうか。
 そして、その責めるような口調に思わずたじろぐ。

「取ってないけど……」
「自分のためにあそこまでした女の子を見捨てるのか?」
「俺は頼んでないし、あれは水野が勝手に」
「頼んでなくてもだろ。それが最善だと思ったから行動しただけだ」
「そうは言ったって……」
「俺は生きてる。気にしてない、それでもういいだろ?
お前がいなくなることの意味を考えろよ」
「意味?」
「あの子がお前に何を求めてたのか分からないのか?」
「分かんねーよ!」

 樋口のこの大事なことをはっきり口に出さない話し方は、癖なのだろうか。
 一方的に責められ、苛立って口調が荒くなる。

「俺だって分かんねーよ! 両親を同時に亡くして全てに絶望して。それでも、何かに縋りたいと思ったから、高崎のことを頼ったんじゃないのか?」

 だが、樋口は全く怯むことなく、感情を爆発させた。
 脳内に溢れ出したのは、様々な水野の顔。初めて会った時の、何にも期待していなそうな冷たい絶望の色。俺のギターを聞いた時の涙。無理したように笑うぎこちない笑顔。
 どれもがつい先日のように思い出せる。実際、水野との関りはごく最近のことだ。だというのに、俺と彼女の関係は不思議な絆で実際よりもずっと深いものに感じられた。

「じゃあなんだって言うんだよ」

 樋口は悲しそうな顔を浮かべる。

「水野さんの彼氏なんだろ? 側にいてやるぐらいしろよ」
「俺と水野の関係は本当はそんなんじゃなくて」
「いいんだよそんなこと。大事なのは事実でもなんでもなくて気持ちだろ。なんとも思ってないやつに心なんて許せねぇよ。少なくとも好意はあったんだろ?」

 樋口は、俺が紗奈に告白した事を知らないのだ。だからそんなことが言えるんだ。俺は芯がブレブレのろくでもないやつで、水野に特別好意があった訳じゃ無い。
 水野のことを思い出して胸が苦しくなるのもきっと恋じゃない。だって恋は、もっとキラキラして幸せな気持ちになれるものだから。

「樋口に謝らないといけないことがあるんだ。俺は、あの日紗奈に告白してるんだ。だから、水野に好意があったとかそんな訳じゃなくて」

 彼氏である樋口に、全てを話すのは躊躇われた。だが、そんな俺を制すように腕が伸びる。

「高崎が言おうとしてることはなんとなく察しがつく。
というか、知ってるからな。おおかた、告白をオッケーされたんだろ?」

 その言葉に大袈裟と言えるほど驚く。

「樋口は、知ってて付き合ってるのか……?」

 まるで、自分以外にも複数相手がいることを了承しているような口振りだ。でも、どうしてそれを受け入れているのだろう。

「色々事情があるんだよ。惚れた弱味ってやつだ」

 俺の感情を読み取り、そう苦々しげに呟くが後悔は見て取れない。自分だけを愛してくれていなくても受け入れられるほどに好きだと言うことなのだろうか。それは、俺にはできなかったことで、冷めてしまった俺を真っ向から否定する考えだ。

「樋口がそれでいいなら俺はいいんだけど……いいのか?」
「これでも教えてもらってるだけまだマシだと思ってるよ。裏でコソコソやられてる方が心にくる」

 確かに、紗奈は最初の告白したタイミングで他にも相手がいることを隠す様子もなく教えてきた。きっと付き合ってもいいと思えた相手にはあの話をしているのだろう。
 そして、それが成り立っているのは彼女が天性の愛される性だったからだろう。

「お互いにさ、一筋縄じゃ行かない恋愛だけど頑張ろうぜ。水野さんはきっと待ってる」

 そうなんだろうか。俺は水野のことを突き放してしまった。
 俺のためにと行動した水野の行動が信じられなくて理解が出来なくて。その異常なまでの執着の理由すら知らぬまま。
 だが、そうして突き放しても頭ではずっと水野のことを考えてしまっている。これが恋愛であるとは思わないが話をしないことには、何も始まらない前に進めない。そう思った。

「ありがとう樋口。俺、ちょっと行ってくる」
「おう、頑張れよ。俺からのよろしくも伝えといてくれ。今度はちゃんと遊びに行こうな」

 手を振る樋口を背に、空き教室を後にした。

 樋口と別れた後、すぐに携帯を開く。ここ数日無視していた水野からの連絡にようやく今目を通した。
 避けていた。避けていたが向き合わなくてはならないと思った。
 メッセージは大量に送られて来ていた。

『ごめんなさい本当にごめんなさい私を捨てないで』

 これは、電車で別れた日の夜に送られてきたメッセージ。謝罪が綴られていた。
 きっとあの日にこれを見ていたとしても、何を言っているのだと一蹴しただろう。だが、樋口の話を聞いた後では、受け取り方も変わっていた。

『ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……』

 謝罪の言葉が画面一杯に延々と映し出されている。

『余計なことしてごめんなさいどうしたらいいか分からなくてどうしたら必要としてもらえるんだろうって』
『嫌いにならないで私を必要として』
『お願いだから返事をしてくださいお願いします』
『樋口くんにも謝りましたもうしません本当にごめんなさい』
『返事をしてください』
『待ってますお願いします許してください』
『いい子になります』
『陣くん……』
『ごめんなさい』


『さようなら』


 水野からのメッセージは、昨日の夜に送られた不穏な一文を最後に途絶えていた。そのあまりの圧に、思わずぎょっとする。
 水野から度々感じていたもう会えないかのような焦燥感が今度こそ本物かのように思えた。馬鹿なこと考えてたりしないよな?

『少し話せないか?』

 その不安をかき消すように、水野へとメッセージを送る。
 俺からメッセージを送ればいつだって水野は一瞬で既読になっていた。だから、今だってすぐに返信が来る。
 そう思っていたのに、水野からの返信はいつまで待っても返ってこない。時間が経つにつれ、不安が芽生え始めた。

『なぁ、水野?』

 でも、やはり水野からの返信は返ってこない。
 いても経ってもいられなくなり授業に戻ることなく学校を飛び出した。もちろん、水野に会いにいくためだ。
 とはいえ、行き場所の心当たりはそう多くない。だが、この時間であれば水野のいそうな場所に見当がついた。

 電車で揺られること二十分ほど、平日の昼間ということもあり校内からは人のざわめきを感じる。俺は、水野の通う高校、霞ヶ丘女子高校へと足を運んでいた。
 ここまで勢いで来たのはいいものの、どうするつもりだったのだろう。こんなことになるのであれば水野にもクラスを聞いておくんだったと唇を噛む。校門の前で立ち尽くす男子生徒に、通りがかる女子生徒から胡乱げな視線で見られているのを感じる。
 ここは女子校なのだから、男など絶好の注目の的になり、このまま入れば即刻つまみ出されてしまうだろう。

「うちの学校に何か用ですか?」

 そうしてしばらく校門の前で悩んでいると、敷地内から警戒心を前面に押し出した女性教師が現れた。
 明らかな夾雑物を見る目に自分がいかに場違いであるかを自覚する。

「いや、そういう訳ではないんですけど……」
「でしたら、お引き取りください」

 問答無用とでも言うように立ち去ることを求められる。

「あの、人を探してて。ここの二年の生徒で……水野綾って言うんですけど」

 このままでは有無を言わさず追い返される。
 慌てて水野の名前を出すと、警戒心を抱いていた女教師の眉がぴくりと動いた。

「どういったご関係ですか? あなた高校生ですよね。学校は?」

 それは水野のことを知っている反応だった。
 俺の姿を訝しげに眺めながらそう口にする。
 もっともな質問だ。学校から直接来たので俺は制服のままだし、時間帯はまさに授業の真っ最中。そんな時間に訪ねてくるなんて怪しさ満点なのは言うまでもない。
 どう言った関係か。その質問にも、言葉の詰まるものがあった。以前は、照れながらも彼女だと紹介してきたこともあったが、この相手にまでその説明をするのは無理があった。

「知り合いです。どうしても話がしたくてどうにか取り次いでもらえませんか?」
「部外者に個人情報をお伝えすることは出来ないので」

 とりつく島もないと言うようにあしらわれる。だが、そんな簡単に諦められない。

「そこをなんとか! せめて伝言をお願いするだけでもいいので」
「すみませんが、怪しい人を入れるわけにはいかないので」
「お願いします。無事かどうかを確かめたいだけなんです」

 俺の言葉に、女性教師が纏っていた雰囲気が変わるのを感じた。

「無事かどうか? あなた、水野さんのこと何か知っているの?」

 それは先ほどまでと打って変わり、問い詰めるようなものになっていた。

「いや……え? どういうことですか?」
「水野さんが今どこにいるか知っているの?」

 言ってから女性教師はしまったと言うように口をつぐんだ。俺の反応から、何も知らないことを察したのだ。

「水野、学校に来てないんですか?」
「……」
「答えてください! 水野はここにいるんじゃないんですか?」

 女性教師は諦めるように口を開いた。

「水野さんは来てないわよ。昨日から家にも帰ってないらしいし。どこに行ったのか誰も知らないのよ」

 目の前が真っ暗になるような気がした。水野から送られてきたメッセージと行方をくらませているという事実。どう転んでも嫌な方向に思考が傾く。
 こんなことをしている場合ではない。背を向け、探しに行こうとすると「待って!」と背後から呼び止められる。

「あなた、本当に水野さんがどこにいるか知らないの?」

 女性教師が心配げな表情で立っていた。
 原因は深く考えるまでもなく俺だ。なのに、行き先が分からないことが歯痒く感じる。

「絶対見つけます」

 俺はそう言い残して、学校を後にした。





 啖呵を切ったはいいものの思いつく場所は少ない。というか、ほぼない。この時間であれば学校にいるだろうと思っていたのだがその予想は早速外れてしまったのだ。
 それに、昨日から帰っていないと言うことは家族だって探しているだろう。水野は両親を亡くしているから今は祖父母か。どちらにせよ、そんなすぐに見つかるような分かりやすい場所にはいないだろうと予想出来た。水野は今、一体何を考えているのだろう。無事でいてくれているのだろうか。

 焦燥感から額に汗が浮かぶ。
 考えろ。今こうしている間にも時間は過ぎていっている。俺が水野ならどこへ行く? 何を考える?
 水野は、死ぬつもりなのだろうか。嫌だ、そんなの嫌だ。
 強い否定、認めたくないという気持ちが湧き上がる。水野と共に過ごした日々が輝いて思い出される。それが、紗奈に求めたことの代わりだったとしても俺は確かにあの時間を楽しんでいた。それは嘘じゃない。

『さようなら』

 水野の不穏なメッセージが頭にチラつく。相変わらず返信は来ない。携帯を見ていないのだろうか。見られないほどに落ち込んでいる? それならばまだいい。
 嫌な予感を振り払い電話をかけるが呼び出し音が鳴るばかりで水野の飴のようなコロコロとした声が聞こえてくることはない。
 樋口から言われたことを思い出す。

『あの子の気持ちを考えろよ』

 両親を亡くして、今まで信じてきたものにも裏切られて。それでも俺の願い事を叶えようとしていたのは何故だ? そんなこと意味がない。きっと俺なら死にたいほど絶望している。
 そうして考えてはっとした。水野は願い事を三つ叶え終わった後のことを教えてくれなかった。あれは死のうとしていたんじゃないのか?
 最初から死ぬつもりだったと考えると様々なことに合点がいった。お金は必要ないと言っていたこと、いつも奥底にある深い絶望、嫌なことなど何もないと言い切る謎の胆力。
 水野がそんな強い女の子じゃないことを俺は知っている。普通に笑うし、普通に泣く。喜怒哀楽のあるただの女の子だ。
 全てに諦めて投げ出す覚悟が、もう出来ていたんじゃないか?
 俺が水野なら、どこを死に場所に選ぶだろうか。思い出の場所? 誰にも迷惑をかけない場所? 分からない。どこを目指しているのだろう。
 そうして考えていると、水野と死が結びつく場所が一箇所だけ思い当たった。無駄足になるかもしれない。でも俺はその場所に行くしかなかった。





 そうして俺は、長い階段を登っていた。その先に水野がいることを信じて。
 俺の予想が全くの見当違いで、俺の知らない場所にいるのならもうそれはどうしようもない。諦める他ない。
 だが、一ミリでも可能性があるのなら行くしかなかった。
 そうして、登り切った先に、見覚えのある姿を見つけた時、俺はほっと息を吐き出した。
 息を呑むほどに白い、まるで雪のような純白のワンピース。その対となるような胸まで伸びた黒髪。透明感のある肌と合わさり、まるでこの世のものでないかのような存在感を放っている。どこか現実味がなくて本当に存在しているのかと疑いたくなるほどの美少女。
 神木神社、あの日水野が樋口を突き落とした場所にその姿はあった。陽射しを避けるように木陰にしゃがみ込んでいる。
 その肩が、近付くことで小刻みに震えているのが分かり、泣いているのだと気付いた。

「水野……?」

 驚かさないように、優しく声をかける。どう接していいのか分からなかったのだ。俺は、水野に対して酷い態度を取った。それを、一方的に俺が悪かったとは思わないが傷つけたのは確かで、今この状況を作り出しているのは間違いなく俺にも原因の一端がある。

「陣くん?」

 俺の言葉に、信じられないと言うような表情で水野が顔を上げる。
 久しぶりに見るその顔は、相変わらず言葉に出来ないほど可愛くて。煌めく涙すらそれを彩る宝石のように見えた。
 だが、そんな言葉で誤魔化せないほどに疲れが滲んでいるのもまた目にとれた。

「久しぶり。元気してた? ……ってそんなわけないよな」

 どう声をかけていいか分からなくて当たり障りのない言葉が口から溢れる。何も言わないと気まずくなってしまいそうだったから。
 そうでなくても、こんなに息苦しいというのに。

「水野が連絡に出ないから俺、学校まで行ったんだぞ? めちゃくちゃ警戒されててもちろん入ることなんか出来なくて。そしたら昨日から帰ってないなんて言われるし……心配したんだからな」

 水野が何か言う前に畳みかけるようにそう早口で告げる。

「どうして……ここが」

 水野の絞りだすような言葉にぐっと息が詰まる。
 俺は、水野が死を選ぶならどこだろうと考えた。もしも、両親の後追いをしようとして両親と同じ事故現場に向かっているのであれば、その場所を知らない俺はお手上げであった。
 だから、俺の知っている場所に限定して考えることにした。
 水野は、壊れているわけじゃない。ちゃんと心がある。死ぬ方法を考えた時に大勢の迷惑になるようなことをするわけがないと俺の第六感が告げていた。だとするなら、人の迷惑にならず、かつ死ねる場所。そうして選択肢を絞っていき、海か山かと考えた時に思いついたのがこの場所だった。
 とは言え、樋口は実際この場所で死に損なっているわけなので本当にここで死のうとしているのかは賭けだったが、俺はその賭けに勝ったということだろう。

「探したんだよ。ほんとに」

 水野の問いには答えず、変な気を起こしたりしないように慎重に心配の言葉を投げかける。
 水野は顔を俯けて俺の顔を見ようとすらしない。

「陣くんはもう私がいらないんじゃないですか?」

 水野の不貞腐れた子供のような言葉に悲しい笑みが溢れる。笑い飛ばせないのは、その裏にある悲しい真実を知ってしまったから。

「そんな訳ないだろ。水野には俺のつまらない願いに付き合ってもらった恩がある。方法が少し極端だっただけで……悪気があった訳じゃないんだろ?
もう帰ろう、みんな心配してる」
「帰りません」

 差し伸べた手を取らずに水野は首を横に振る。

「みんなって誰ですか。私に私のことを心配してくれる人なんてもういないんです」

 それはきっと亡くなった両親のことだろう。でも心配してくれる人がいないなんてことはないと教えてあげたい。俺だって、樋口だって、学校の先生だって。きっと水野の祖父母も心配している。そうでなければ誰も探そうとだってしないはずだ。

「俺はこうして迎えに来て……」
「陣くんは嘘つき!」

 水野の泣き叫ぶ、もはや悲鳴のような絶叫に俺の声がかき消される。

「どうして、私のことを信じてくれないんですか。私は陣くんにあんなに尽くしたのに、陣くんのためなら何だってする覚悟だった。
それなのにどうして結局私を見捨てるの? おかしいよねおかしいよ! 
私はただ役に立ちたかったそれだけなのにそうすれば必要としてもらえるはずだったのになんでなんで!」

 水野が口にするのは俺への不信感だ。もはや会話できるような精神状態ではないほど、頭を抱えて叫ぶ。

「私はもう用済みですよね。言われたこともちゃんとこなせない、どうしようもなく使えない馬鹿な道具ですから。
ねぇ、陣くんもそう思うでしょ? そう思うから私はもういらないんでしょ?」

 水野は、叫んでいたのが嘘のように一転し、悟ったような口調で俺に疑問を投げかける。
 その目は酷く虚で光を映していない。水野の瞳の中の俺が狼狽えて酷い表情をしているのが見えた。
 水野の人の目を惹く容姿が絶望で暗く歪んでいた。
 だが、それぐらいで怯んではいられない。俺だって覚悟を持ってここに来たのだ。

「用済みなんて、人に使う言葉じゃないだろ。それに、水野は俺の彼女なんだ。だって俺はそう願ったはずだから。それはまだ有効で勝手に終わらせるなんて許さない。
だから、ちゃんと生きて……一緒に帰らないといけないんだ」

 縋るような言葉。聞く人が聞けば情けないと思うだろう。俺だってもっとカッコいい言葉で水野を生きてていいと思えるように踏みとどまらせたい。でも、何も思いつかないのだ。だからこんなかっこ悪い言葉になってしまう。
 死んでほしくない理由、一緒にいたい理由、いなくならないで欲しい理由、笑っていて欲しい理由。俺にはつい最近までさっぱり分からなかった。でも気がついたのだ。
 水野は、俺に誠心誠意正面から向き合ってくれていた。彼女になって欲しいという願いを忠実に聞いて俺を愛そうとしてくれていた。その行動にいつしか俺も愛を感じるようになっていたんだ。

「樋口からあの日何があったのか全部聞いたんだ。あれは、水野に実際に起こった出来事なんだろ?
俺は水野の考えていること、何一つ。本当に何も分かっていなかったんだ。いきなり願い事を聞いてくれる超可愛い女の子が現れたぐらいの緩い認識だった。そんな訳ないよな。ある訳なかったんだ。
どれだけの想いを抱えて俺と向き合っていたのか知らなかった」

 水野はただ黙って俺の話を聞いている。その感情は表情からは読み取れない。だが、水野の頬を流れていた涙はいつの間にか止まっていた。代わりに俺の瞳に涙が滲んでいる。

「携帯を見た時、背筋が凍った。水野のさよならの言葉から最悪を想像したんだ。水野ともう二度と話せないという最悪を。
俺は、あんなことがあってもまだ水野と一緒にいられると思っていた。だって俺たちには二人を繋ぐ願い事という縁があったから。
でも、いつもすぐ返ってくる返事が返ってこない。気が気じゃなかった。俺だってもうとっくに水野なしじゃどうにかなってしまいそうなんだ」

 言い切って再び静寂が訪れる。

「陣くんはどこまで聞いたんですか?」

 その沈黙がどれだけ続いたか、水野がようやく口を開いた。
 そのいつもと変わらぬ可愛らしい声色にほっとして涙が溢れそうになるがぐっと堪える。

「水野が、この町に引っ越してくることになった理由。なんで願い事を叶えようとしてるのかと、両親を亡くしたことを聞いた」

 隠してもしょうがないので、全てを正直に打ち明ける。

「そうですか。樋口くんに話したこと、本当に全部聞いたんですね。
誰にも言うつもりはなかっただけどな……。冥土の土産にと話したのがこんなことになるなんて」

 水野は小さくため息をつき、空を見上げる。陽は落ちかけていて、空には一等星が煌めき始めている。
 頬を撫でる風が少し冷たい。

「でも分からないこともあるんだ。俺は水野と出会えたことを凄く感謝してる。
でも、いくら考えても相手が俺であった理由が分からないんだ。どうしてあの日、水野は俺を選んでくれたんだ?」
 この質問をするのが怖かった。第一、一度最初の頃に尋ねて拒否された話題だ。ちゃんと答えてくれる保証なんてなかった。
でも、それでも俺を選んでくれた理由を。俺たちの縁の正体を知りたかった。

「陣くんを選んだのは……運命でもなんでもありません。たまたまです」

 水野は数拍黙った後に、ゆっくりと口を開いた。
 その言葉に、俺は頭の中は真っ白になった。
 何か俺でなければならない理由があって頼られたのだと思っていた。でも違った。感じていた親近感や信頼のようなものが絶たれた気分だった。ただの偶然と切り捨てられたのだ。ここまでショックを受けていることに自分でも驚くが思考が纏まらない。
 だが、水野の言葉はそこで終わらなかった。

「あの頃は、私はまだ両親の死を受け入れられていなくて、毎日泣いていました。それは今でもあまり変わっていないけど……、とにかく全てに絶望して学校も何もかもやる気を失っていたんです。
もう生きている理由が分からなかった。死にたいと何度も考えていてそれでも死を選べない自分に嫌気が差してました。何度も通ったカウンセリングなんかで傷が癒えるわけもなくて。
あの日は、そんなどうしようもない鬱も最高潮に達していて本当に今なら死を選ぶことが出来る気がしてた。そうして死のうと駅のホームに立った時、あることを思ったんです。
今死んだら、両親の言っていた人の助けになるような人間になりなさいという教えが間違っていたと、私が証明することになるんじゃないかって。だってそうじゃないですか? その教えに従った結果、誰も幸せにならず結局みんな死ぬんですから。そう思うと、死を選ぼうとする私の足が止まったんです。
陣くんは私の両親がどうして死んだのか聞いたんですよね? 私は、私を慰めようと連れ出してくれた家族旅行で二人を亡くしたんです。原因は私です。私の考えが足りなかったばかりに都合よく利用されて。二人は何も悪くなかったのに。
その旅の最中に喧嘩したんです。言ってはいけない言葉を口にした。この家に生まれて来なければ良かった、って。
そんなこと思ってなかった。言うつもりなかった。でも、今死んだらその言葉が現実のものになってしまう気がして、二人に合わせる顔がなかった。
だから、思ったんです。その言葉を否定してから死のう、私の存在によって幸福になる人がいると証明しようって。そう思うとまた気が楽になりました。そこからは簡単です。人の助けになろうと、困っている人を探しました。
そうして歩いていたら、暗い顔をして歩いてくる陣くんを見つけたんです」

 ようやく出てきた俺の名前に、はっとして水野に向き直る。そんな俺に、水野はにこりと微笑んだ。
 その笑顔は、今まで見せてきた水野のどんな表情よりも綺麗で、心を奪うには一瞬だった。
 どうしてこんなに心に響くのか。それはきっと、今までの無理に作られた偽物の笑顔とは違う真実の微笑みだったから。

「あの日、あの時間にたまたま陣くんが通りかかったんです。暗い顔をして下を向いて歩いている陣くんは私の思う助けを求めている人そのもので。そんな陣くんを見て、きっとこの人が私を救ってくれるんだろうと直感的に感じたんです。それを運命というのならそうなのかもしれません。
実際、陣くんと会えたのは奇跡でした。陣くんが文化祭で演奏した曲ありましたよね? あの曲は、ドライブ好きの父がよく車内で流していた曲なんです。時代遅れで、古臭い。でも私には凄く刺さるものでした」

 だが、幸せそうだった水野の顔が歪んだ。

「でも、両親のいない世界で……私を必要としてくれる人がいない世界で、いつまでも生きながらえるつもりもなかった。だから、三つだけ何でも願い事を叶えてあげることにしました。それを叶え終わったら死ぬつもりで」

 水野の語った内容は大方予想通りだった。それも、考えうる限り最悪の。

「俺はそうさせないためにここにきた」

 水野は俺の目を見ようとしない。

「違うんです」
「違う? 違うって何が」

 水野は言葉に詰まる。

「私は結局、自分の存在価値を証明したいだけだったんです。両親の言葉を否定したくないというのも結局建前で私には死ぬ勇気なんてなかった。
だから、もう後には引けないように樋口くんを殺して自分の中で区切りをつけようとしたんです。でもそれも失敗した。私には覚悟なんてなかった。私はただの臆病者です……」

 その姿は、華奢な体がいつもよりさらに小さく思える程しぼんで見えた。だけど俺は、そんな水野を救いにここまで来たんだ。

「三つ目の……最後の願いを聞いてくれないか?」

 水野はびっくりしたように顔を上げる。

「今ですか?」

 狼狽えているように見える。それもそうか。叶え終わったら死ぬという話を聞いたばかりに最後の願いをするなんて。死んでくださいとでも言うようなものだ。

「水野もいつも空気を読まずに尋ねてきてただろ? お互い様だよ。
どちらにしろ死ぬつもりなら最後に俺の願いを聞いてくれよ」

 俺はそう言って微笑みかける。だが、当然笑顔が返ってくることはない。

「どうぞ……」

 しばらく沈黙の時間が続いたが、何かしら決心がついたのか水野がそう答える。
俺は静かに深呼吸して息を整える。


「俺とこれからも一緒にいてくれないか」


 何も返事がなく、聞こえなかっただろうかと心配になるが水野の驚いたような顔でちゃんと声に出来ていたのだなと安心する。
 俺の一世一代の告白が聞こえなかったなんて、そんな悲しいことになっていたら泣いてしまうところだった。

「どういう……意味ですか?」

 水野の視線から目を逸らしてしまわぬように真っ直ぐと見つめ返す。

「そのままの意味だよ。これからも俺のそばにいて俺のことを見守っていてほしい」
「意味が分かりません。私はもう死にたいんです。これからもだなんて、私に一体どんなメリットがあるんですか?」

 水野は困惑した表情を浮かべている。

「簡単だよ。今まで通り、休みの日は一緒に遊びに行ったり、俺の家に遊びに来たりしてもいい。水野の聞きたがってたギターだって何度だって弾く。水野が生きてていいと思える理由を俺がいくらでも作ってやる。俺がそうしたいんだ。自分を認めてくれる人がいないって言うのなら俺がいくらでも話し相手になる。俺が生きてる意味がないなんて言わせない。
そもそも願いも三つなんかじゃ足りないんだ。それっぽっちじゃ俺はちっとも救われないし満足できない。それは水野も困るだろ? 俺はこれからもっと沢山わがままを言うし、水野だって俺に何かを求めたっていいんだ。そうして、俺が心から幸せだと感じることが出来て水野がまだ死にたいと思うのなら……その時、また考えたらいいだろ。死んだらそこで終わりなんだから。
だから最後の……いや、違うな。ここから始めよう、これが最初だ。
俺の、高崎陣の。最初で最後の願いを聞いてくれないか?」

 鼓動がうるさいほど高鳴り、体が燃えているかと思うほど熱い。顔から火が出そうなくらいだ。こんなの柄じゃない。今まで、人と関わるのなんて苦手だった。
 それでも、これから先も一緒にいたいと思うのはきっと水野のことを好きになってしまったからだ。
 水野の反応を見る。表情は相変わらず、呆気に取られたようなままで固まっている。だが、ふいに止まっていた涙が、再び頬を伝った。

 「大丈夫か⁉」

 泣かせてしまった。それがどういった類の涙か分からず狼狽える。

「陣くんは……」

 だが、水野は俺の心配の声には耳を貸さず言葉を重ねる。

「陣くんも結局いなくなるんじゃないんですか? 私はもう用済みだって。いらないってそういうんじゃないんですか?
私はもう一人になりたくないんです。どうせいなくなるのなら無責任なこと言わないでください」

 水野が生きてきた世界を思うと、涙が出そうになる。水野には本当に頼れる人がいなかったのだ。誰のことも信じられない。そんな悲しいことあるだろうか。
 俺だって、ある日自分の両親が突然死んでしまったらと考えたらとてもショックで立ち直れないだろうと思う。ましてや、それが間接的であるとは言え自分のせいだなんて。でも、そんな水野にも救いはあるのだと教えたい。
 俺は水野の体を抱きしめた。

「陣くん⁉」

 水野が聞いたことのないような素っ頓狂な声を上げる。
 でも、それを無視して俺は腕に込める力をさらに強くした。決して離さぬように、これからも離れないというのを表すように。
 言葉じゃ足りない気がした。

「俺はいなくならないよ、ずっとそばにいる。いて欲しいんだ。
水野がいないと俺は、寂しくて仕方がないし落ち着かない。それが分かった。まるで心にぽっかり穴が空いたみたいだった。
俺は、水野のことが好きなんだ」

 腕の中の水野は、苦しそうにもがいている。それに気付き、しまったやりすぎたと拘束のようになっていた抱擁を解く。
 水野の顔は耳まで真っ赤になっていてまるで茹でたこのようだ。いや、それは俺もか。俺の顔も人のことを言えないほど赤く染まっている。

「陣くんはいつからそんな恥ずかしいことが言えるようになったんですか」

 水野の言葉には、先程までのような悲壮感はなく、照れたように早口になっている。
 それがおかしくて、思わず吹き出してしまう。

「水野に教えてもらった話術が活きてるのかもな」
「そんな傷ついてる女の子につけ込むようなのは教えてません!」

 二人で顔を見合わせ、同時に笑い出す。やっぱり、どうしようもなく水野のことが好きだと改めて思う。

「それで? 俺としては答えを聞かせてもらわないと不安で仕方ないというか……」

 ひとしきり笑って一世一代の告白の返事を待つ。今までの人生で、ここまで緊張したことなかった。ステージ発表なんて比にならない。今回は背負っているものが違うのだ。
 水野は、恥ずかしそうにもじもじと身をよじる。

「えっと……いいのかな。私、凄くめんどくさいと思うよ? きっと甘えちゃうことだって多い。病むことだってきっとなくならない。
それでも……いい……?」
「もちろん。どんと大船に乗った気持ちで任せてくれよ」

 水野は、泣き顔で溢れんばかりの笑顔を浮かべる。それはとても綺麗で、どこにも嘘くささなんてものなく、真実であると確信する。

「帰ろう水野」

 手を差し出す。

「うん……!」

 その手を、恐る恐る水野が受け取った。


 
「で、最近どうなのよ」
「いや、まぁ別に前と大して何か変わったわけじゃないからなぁ……」
「なんだよ、つまんね」

 言葉通り心底あきれたという風にぼやく樋口に思わず苦笑がこぼれる。
 樋口が言っている最近というのは、あの日からの俺と水野の関係についてだ。だけど、それは本当に語るべきことは何もない。以前も、実際どうであったかは別として付き合っていたことには変わり無い訳だし周囲に対する対応が変わるわけでもない。
 強いて言うのであれば、綾と呼んで欲しいと言われていることぐらいだろうか? まだ恥ずかしくて呼べていないのは許して欲しい。
 つまり結論としては、ただ水野がいる日常が戻ってきただけだ。でも、それだけのことにこの上なく幸せを感じてしまう。

「そういう樋口は、色々大変そうだな」
「ん、まあな。俺も色々考えたんだけどやっぱりこのままじゃいけないと思って。
今は清々しい気分だよ」

 樋口は、紗奈と別れたらしい。校内のビッグカップルの突然の破局に様々な憶測が飛び交ったが真実を知る者としては時間の問題ではあったのかな、などと思う。
 樋口の顔に後悔の色はなく、吹っ切れた様子なのが救いである。

「いいよな高崎は。……ほら、噂をすれば」

 樋口の声に釣られて視線を動かせば見慣れた制服が目に入り、思わず顔が綻ぶ。

「お待たせ、陣くん!」

 駆け寄ってきた水野の顔には以前のような悲壮感はどこにもなく、見違えるような輝く笑顔である。
 この美少女が本当に俺の彼女なんていまだに信じられない。
 その笑顔の裏でまだ死にたいと思っているのか分からない。でも、生きている。
 それだけで俺はこの上なく救われているんだ。