歩き出す俊に並ぶように美緒が一歩踏み出した時、背後から誰かの声が聞こえたような気がした。美緒が振り返ると強い風が吹き、桜吹雪が舞っていく。それに包まれた時、頭の中に見たこともない映像――思い出が溢れ出した。

 星がきれいに見える夜、幼い美緒と俊の姿が、桜の花びらの向こう側にあった。きっとあれが、美緒が俊と一緒にいたいと思った日に違いない。【今の美緒】はそう確信するように、俊と繋いでいる手とは反対側の手を、決意するように強くに握った。そして、心の中でその時の美緒に語り掛けていた。

――俊君と一緒に生きていきたいと思ってくれて、本当にありがとう。たくさん大変なことがあったけれど、俊君と幸せに生きていくからね。ずっと、死ぬまで一緒に。


***


「あ、帰ってきた!」

 美緒と俊が自宅に着くと、出窓のあたりから京平の声が聞こえてきた。どうやらまだ帰ってこない二人にやきもきして、ずっと見張るように待っていたらしい。リビングに続くドアを開けようとしたとき、中からドタバタと騒々しい音が聞こえてくる。
 俊がドアを開けた瞬間、パンッとクラッカーが弾ける音が響き渡った。俊と美緒はキラキラとしたリボンを頭からかぶる。美緒はびっくりして目を丸めていたけれど、俊は何が起きるのか分かっていたみたいで涼しい顔をしていた。

「何だよ、俊。驚けよ」
「京平の声が聞こえてきた時点で大体は想像できた。残念だったな」

 桃子が「やっぱり、牧村が大きな声出すから!」と京平を責め立てていて、彼は肩を落としていた。
 リビングのテーブルにはお寿司やチキンなどの料理が所狭しと並んでいる。お酒を飲むことができない美緒のために、みんなにはソフトドリンクが配られた。

「それでは、雅弘さんに乾杯のご挨拶をいただきます」

 由梨が隣にいる雅弘を見ると、彼は驚きのあまりドリンクを少しこぼしてしまった。

「え? き、聞いてないよ由梨さん!?」
「パーティーの主催者みたいなところあるじゃない、ほらほら、早く」

 雅弘が周りを見ると、みんなが期待を込めた眼差しで彼を見つめた。それは美緒も同じで、その瞳は少しキラキラしているようにも見えた。そんな美緒の目を見るのは初めてだったせいか、よし! と胸を張る。

「美緒ちゃん、俊君、ご結婚おめでとうございます。二人が結婚して一緒に生きていくことを、僕以上に二人の友達、由梨さん、俊君のご両親が喜んでいると思います。二人が今、生きてくれていて本当に良かった。それじゃ、乾杯!」

 その声に合わせて、みんなグラスを高く掲げた。美緒も真似をして、グラスをあげて、一口だけジュースを飲んだ。しゅわしゅわと甘い炭酸のオレンジジュースが、乾いていた喉に染み込んでいくみたいでとても美味しい。

「美緒ちゃん」

 少し濡れてしまった唇を舌で舐めた時、誰かが美緒に声をかけた。誰なのか分からなくて困惑していると、女性が「俊の両親よ」と柔らかな声で教えてくれる。

「あ、お義父さん、お義母さん、不束者ですがどうぞ末永くよろしく……」
「そんな堅苦しい事言わなくていいよ。前みたいに、おじさん、おばさんでいいんだから」

 俊のお父さんがそう言ってくれるけれど、そんなに親し気に呼べる勇気が今の美緒にはなかった。困惑していると、俊のお母さんが美緒の手を握った。その手はとても熱くて、わずかに震えていた。

「ありがとう、美緒ちゃん。美緒ちゃんがいてくれたから、俊は今日まで頑張って来られたの」
「そんなこと……」
「ううん、絶対にそう。事故のせいで、高校を卒業するのも一年遅れてしまっても、あの子の目は変わらなかった。それだけじゃない、美緒ちゃんを助けることができるように絶対に医学部に行くって頑張ってくれて……美緒ちゃんがいなかったら、今の俊はいないの。だから、生きていてくれてありがとう。本当に、本当に……」

 美緒の手にぽとりと水滴が落ちていく。目の前にいる俊の母が肩を震わせて、声を押し殺し泣いていた。美緒が困惑していると、俊の父が彼女の肩を抱く。

「ごめんね、美緒ちゃん。今度うちの家族と食事でもしよう」
「は、はい! よろしくお願いします!」

 二人が俊に近づいていくのを見送って、美緒はもう一口ジュースを飲む。すると、待ち構えていた凪が姿を現した。

「凪ちゃん!」
「美緒、おめでとう。私、美緒に言わなきゃいけない事あって……最終面接まで行けたんだ」
「え? もしかして、前に話していた航空会社?」

 凪がイヤリングを揺らしながら大きく頷く。

「来月、本社がある国まで行って面接を受けるの。今もちょっと、いやすごく緊張してる」
「大丈夫、絶対に受かるよ」
「美緒ならそう言ってくれると思った。……夏頃には、私はちゃんと夢を叶えて空を飛んでる、絶対に」
「うん!」

 凪は自分にまじないをかけるようにそう呟くので、美緒は少しでも力になりたくて、強く頷いていた。

「海外暮らしなのがちょっと不安だけどね。まあ、住めば都って言うから」

 その凪と美緒の会話に、聞き耳を立てている人物がいた。京平だ。

「凪ちゃん、海外で暮らすって本当!?」

 その大きな声に美緒はびくりと驚いてしまう。この人は誰だっけ、と考えている間に凪が美緒の前に立つ。

「今美緒と話してんの。首突っ込んでこないでよ、牧村」
「それなら、俺も海外の勤務希望して引っ越すから、結婚してよ!」