「凪、桃ちゃん、おはよう!」
二人は美緒に気づき、笑いながら「おはよう」と返してくれた。凪が手に持っているのは北海道の旅行ガイドブック。夏休みが明けたら、待ちに待った修学旅行! しかも旅行先はずっと行ってみたかった北海道! さっきまで悩んでいた美緒だったけれど、それを思い出して些細な悩みは一気にどこかへ飛んで行ってしまった。楽しみにしているのは美緒だけじゃなくて、みんな期待に胸を膨らませているのを感じていた。いつもクールな友人・塚原 凪も切りそろえられたボブカットのせいで横顔は少し見えづらいけれど、少し嬉しそうにガイドブックに目を落としている。隣にいる三条 桃子なんてずっとはしゃいでいて、ゆるくパーマが当てられた明るい茶髪がふわふわと揺れていた。
「美緒、おはよう」
「また二人で学校に来て~。本当に仲良しだねぇ」
桃子がニヤニヤ笑いながら美緒と俊を見てそういうので、美緒は少し照れてしまう。俊はそれをかわすように、美緒の肩を叩いて「またな」と言って一番奥にある教室まで行ってしまった。凪も桃子も高校に入学してから仲良くなった友達だけど、美緒が俊に対して好意を抱いていることにすぐ気が付いた。それを知って、桃子はこんな風にわざとからかってくる。凪はそんな桃子の脇腹を肘でツンッとつつくけれど、彼女も二人の関係に興味津々であることを美緒はよく知っている。
「せっかくだし、修学旅行で告白でもしたら?」
凪の突拍子もない提案に、美緒が変な叫び声をあげるのと同時に、桃子が「それいいね」と両手を打つ。美緒のおでこから汗が流れるのは、暑いせいだけじゃない。これはきっと冷汗だ。
「告白にはうってつけのイベントじゃん、修学旅行なんて」
「そうそう! 恥ずかしがってる場合じゃないよ、美緒ちゃん。前に進まないと」
「で、でも」
「いい加減、その両片想い状態なんとかしてほしいんだけど。私たちだって、二人見てたらヤキモキしちゃうし。なんかじれったくて背中がむずむずするんだよね」
凪の言葉に桃子が深く頷く。でも、美緒は唸るだけで返事はしなかった。
「まあ、今の関係が壊れちゃう不安ってあるだろうけどさ、浅香君なら断ることはしないと思うけどね」
浅香というのは俊の苗字。凪はガイドブックをぺらぺらとめくりながらそう呟いていた。
「でも、俊君って何気にプライド高そうだからな……あっちから告白しないとダメって思ってそう」
「あー、分かる。美緒から告られたら嬉しいけどちょっと傷つきそう」
「あの、二人とも! 勝手にあれこれ言わないでよぉ……まだ早いよ、告白なんて」
「何言ってんの? 私たちだって来年には高三だよ? 受験で忙しくなるし、もしかしたら進路によっては住む場所もバラバラになっちゃうかもなんだし。絶対早い内に告白して、ラブラブ期間を楽しむべきだよっ!」
その言葉に美緒はまた肩を落とす。告白するのが嫌なわけではなく、美緒の中ではその『進路』についても悩みの種の一つ。さっき薬を飲んだばかりなのに、ほんの少しだけ頭が痛くなってきたような気がしてきた。朝礼のチャイムが鳴って、担任の先生がやってくるのが見えて、三人は話題を切り上げて教室に入っていく。気まずくなるばかりの会話が終わって一安心していたのに、担任の話はふたたび美緒の気分を落ち込ませた。
「進路調査票を配ります。夏休み中に家の人とよく話し合って、始業式の日に提出してください」
前の席から順番に配られる進路調査票。周りのクラスメイトを見ると、美緒みたいに苦虫を潰したような顔をしている人はいない。美緒は誰にも聞かれないように小さくため息をつく。将来の夢もなく希望の進路も定まっていない美緒は、高校を卒業した後の事で悩む日々が続いていた。進路調査票を折れ目がつかないようにクリアファイルに挟み、とりあえず目に入れないようにとリュックの中に仕舞った。
昼休み。廊下側にある凪の机に集まって、三人は昼食を囲む。お弁当箱を開けた美緒がため息をつくのを、二人は聞き逃さなかった。
「どうしたの? どっか体調が悪いとか?」
「ううん。進路の事でちょっとね」
美緒は深く肩を落とす。凪が「美緒、まだ決まってないの?」と聞くと、美緒はそのまま頷いた。
「二人はどうするの? もしかして、もう決まってるの?」
「私は決まってるよ」
凪の言葉がとても軽やかに聞こえた。
「私、CAになりたいからさ、英語の勉強ができるところに行くつもり。英文科とか国際文化とか、そういう学科のあるところ」
「あー! 確かに、凪ちゃん英語の成績めっちゃいいし、CAさんとか似合うと思う!」
美緒も頷く。凪の英語の成績は特別進学クラスの生徒と並ぶくらい良いのは美緒も桃子も良く知っていたし、英語の能力試験でもハイスコアを記録している。一生懸命英語を勉強をしていたのは目標があったからなんだ、と今まで知らなかった凪の一面を知った美緒は、彼女を尊敬のまなざしで見つめる。それがくすぐったく感じたらしく、凪は「そんなに見つめないで」と笑った。
「桃ちゃんは?」
「私もちょっと悩んでるんだぁ」
美緒は仲間がいた! と背筋を伸ばす。しかし、桃子の次の言葉で再びがっくりと肩を落とすことになる。
「ペット関連の仕事したいんだけど、トリマーになろうか、動物病院の看護師になろうかって悩んでるところ」
「桃子、動物好きだもんね」
「うん! だから、夏休みに専門学校のオープンキャンパスっていうのに行くつもりなんだ」
二人は盛り上がっているけれど、美緒の気持ちはそれとは真逆の方向に盛り下がっていく。ふと廊下に目を向けると、友達と一緒にいる俊の姿が見えた。俊も美緒に気づいたのか、お弁当袋を持たない方の手を軽く上げる。桃子も俊に気づいたらしく、俊君! と手を振って彼の足を止めさせた。
「何か用事?」
俊の言葉に桃子が深く頷く。