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 札幌のホテルに宿泊して、三日目は待ちに待った自由行動の日。美緒たち三人は電車に乗って、隣町の小樽に来ていた。

「美緒ちゃん、大丈夫?」

 運河沿いを歩いていると、桃子が美緒の事を覗き込んだ。

「うん、大丈夫だけど……」
「昨日、具合悪そうにしてたから」
「一晩寝たら元気になったから、心配しないで」

 ちょっとだけ嘘をつく美緒。少しだけ頭が痛くて、先ほど二人が見ていないうちに薬を飲んだばかり。けれど、何か勘付いているみたいだった。

「本当にしんどくなったら絶対に言ってよ。浅香君に連絡するから」

 凪の言葉に美緒は「どうして俊なの」とぶうと頬を膨らませる。桃子はその顔を見て少し笑ってから、マップを見て「こっちみたい!」と道の先を指さした。まずは桃子が行きたくて仕方がなかったカフェに向かう。二人はその後に続いた。

 作りたてのチーズケーキにスマホを向けて連写する桃子と、いい加減にしたら? うるさいよ? と注意する凪。美緒もその写真を撮って、後で俊と由梨に送ろうと決めた。そして、意を決するように背筋を伸ばし、アイスティーを一口飲む。ずっと、何て切り出そうかと考えていた。今が、そのチャンスだ。

「あのね」

 美緒が口を開いた時、その言葉がいつもより堅苦しく、重たく聞こえた。二人は「ついに来た」と顔を見合わせる。美緒が話してくれるのを待つと決めていたはずなのに、いざその時が来ると、緊張で凪の指先は震える。桃子はちゃんと話を聞こうと、持っていたスマートフォンをテーブルに置いた。

「ずっと言おうと思ってたことがあるの。聞いてくれる?」
「……もちろん!」
「ゆっくりでいいからね、無理しないで」

 二人の優しさに包まれながら、美緒は大きく息を吸った。目の奥がじんわりと痛くて、今にも自分が泣き出しそうなことに気づいた。でも、絶対に泣かないで話そう。美緒は、二人に全てを打ち明けた。一度口を開くと、まるで滑る様に一気に言葉が溢れ出す。あの倒れた日から起きた事すべて、病気の事も、後遺症の事も。

「だから、もしかしたら……二人の事、全部忘れちゃうかもしれないんだ」

 ごめんね。美緒は最後にその言葉を付け足して、顔を伏せた。二人がどんな表情をしているのか見たくなかった。けれど、桃子がバンッとテーブルを強く叩いたせいで、再び顔をあげざるを得なかった。

「何で謝るのよ、そんなのどうでもいいよ! 死なないでよ、美緒ちゃん」

 桃子は美緒の手をぎゅっと握る。大きな目から、ボロボロと涙がこぼれていた。

「私たちの事なんて気にしなくていいんだよ。美緒は、まず自分の心配をして」

 凪は美緒の肩に手を置いた。彼女の手は僅かに震えていて、目は少し潤んでいるようにも見えた。二人の体温を通して、優しさが伝わってくる。目を閉じると、一筋の涙が流れていった。

「まずは病気を治して、お願い」
「うん。それにさ、もし私たちの事忘れちゃったとしても、また友達になればいいんだよ」

 その言葉に、美緒はハッとした。記憶を失くした後の薄暗かった未来の世界に再び光が差し込むような感覚を覚えた。美緒はこの時心の底から、二人と友達になれてよかったと思った。それを口に出すと、桃子はさらに泣き出してしまう。

「もー、桃子ってば」

 凪はバッグからティッシュを取り出して桃子に渡す。そんな彼女も鼻をすすっていた。ひとしきり泣いた後、三人はようやっとチーズケーキに手を付けた。作り立てを食べるはずだったのに、その少し冷めたチーズケーキは少ししょっぱい様な気がした。

「……なんか、友情の証的な物、買わない?」

 ティーカップを持ちながら、桃子はそう提案する。凪は「恥ずかしい事言って」と小さく笑った。

「証? 例えば?」
「もし美緒ちゃんの記憶がなくなっても、それを見たら私たちが友達だったんだって分かる様なやつ!」
「それなら、この後ガラス工房行くからそこで買う?」

 凪は美緒に「どう?」と聞くので、美緒は何度も頷いた。チーズケーキを食べ終えた三人はカフェを出て、観光を続ける。凪が行きたがっていたガラス工房は、裏道に入った場所にあった。

 ガラス工房には、様々な商品が並んでいる。グラスやお皿といった生活用品、動物の形をした置物。そして、アクセサリー。凪の目が、ある一点に止まった。

「ねえー、これとかいいんじゃない?」

 呼ばれた二人は凪が指さす方向を見る。そこにあったのはイヤリングだった。色とりどりの、丸みのあるしずくのような形をしたそれを美緒も桃子もひと目で気に入った。桃子は明るいイエロー、凪は落ち着いたブルーを買う。美緒は、柔らかなピンク色を買った。俊が買ってくれたお守りと同じ色をしていたから、迷わずにそれを選んだ。レジにそれを出すと、店員は「今付けていきます?」と聞いてくる。三人は頷いて、お店を出るときにはそれぞれの耳に、選んだイヤリングが揺れていた。

「あ、待って。電話来てる」

 美緒はスカートのポケットに入れたスマホが鳴っていることに気づく。二人から離れて画面を確認すると、相手は俊だった。美緒はすぐに出る。

「俊? どうしたの?」
『いや、体調、大丈夫かなって気になって』

 俊の優しい言葉に小さく笑って、美緒は「ふたりに話したよ」と言った。