「凪ちゃん、何かあったの? 私で良ければ、力になれることがあったら、頼ってほしいの」
電話の向こうの凪が一瞬だけ静かになって、すぐに長く息を吐く音が聞こえてきた。美緒はドキドキしながら凪の言葉を待つ。やっぱり、今の自分ではダメかな、そんな不安がじわじわと大きくなっていく。
『……本当は、全部終わってから話をしようと思ってたことがあって。今、実は、国外の航空会社の試験受けてるんだ』
海外の大手航空会社が新しく設立するLCC航空、経験や国籍を問わないCAの採用試験を凪は二人には内緒で受けていた。日本法人での一次面接は通過したけれど、今度行われる二次面接の事を考えるとどうしても怖くなってしまったみたいだった。
『また落ちたらどうしようって……。これでまたダメだったら、私の夢が終わっちゃう。それなら何のために今まで頑張って来たんだろうって思うと怖くて。それで、何かイライラして美緒に当たって、本当にごめんなさい』
見えないけれど凪が深々と頭を下げているのが伝わってくる。美緒は言葉を出さずに、やっぱり凪からは見えていないのに首を横にぶんぶんと振っていた。
「応援する! 凪ちゃんなら絶対に大丈夫だから」
積み上げてきた三人の友情を壊したくなかったのは、凪も同じだった。その美緒の言葉が嬉しくて、気づけば目の端から一筋の涙がこぼれていた。
『うん、ありがとう。私頑張るから』
「凪ちゃんがCAさんになったら、私乗りに行くから、飛行機!」
『……あはは! 楽しみに待ってる。美緒はどうするの? 浅香君の事』
美緒は俊のプロポーズを思い出す。少しでも多くの時間を彼と一緒に過ごしたい、そう願うのは以前の美緒だけじゃない。あの日、俊と出会ったあの日から――美緒にとって彼は何にも代えがたい、とても大切な人。
「……私はもう大丈夫」
『それなら、次会う時はさ、美緒の結婚と私の就職祝いかな?』
「……うん!」
『じゃあ、私、桃子にも謝らなきゃいけないから』
「うん、またね。頑張ってね」
そう言って通話を切る。そして美緒は、すぐに俊に電話をかけ始めていた。
***
美緒は近所にある公園にいた。外は暗くて、空を見上げると星の瞬きがよく分かる。まるでクリスマスの夜に見た街の明かりみたいに明るく光っている。美緒はベンチに座ってそれをじっと見つめた。すると、まるで自分自身が夜空に溶け込んでいくような浮遊感を覚える。星空を眺めるときはいつも同じ感覚を味わっていた。美緒は目を軽く閉じて、それに身を任せる。フラッシュバックするように、頭は勝手に俊の事を思い出していた。この公園は退院した日に、俊と出会った場所だった。あの日は春の暖かさに包まれて、ピンク色の桜の花がひらひらと舞い落ちていた。けれど今はまだ寒いから桜の木にはつぼみもついていない。その代わりか、小さな雪の結晶が落ちてくるけれど、それはすぐに溶けていった。少し待っていると、男の人が走ってくる足音が聞こえてきた。美緒は目を開ける、まるで太陽のように温かい色を持つのは彼しかいないからすぐに俊であることがわかった。
「夜遅いのに出歩くなよ、危ないだろ」
真っ先に叱られてしまった。美緒が笑みをこぼすと、俊は「笑うな、心配してるんだから」とさらに怒ってしまう。そのまま彼は隣に座った。
「……懐かしいね」
「え?」
「ここで俊君に出会った日が」
俊の事はひとつも覚えていなかった。けれど、体が、美緒の魂が彼とずっと一緒にいたいと望んでいた。その気持ちは今でもありありと思い出せる、どうして悩んでいたのか分からないほど美緒の頭はクリアに冴えわたっていた。
「あのね、俊君」
美緒は隣に座る俊の手を握って、顔を覗き込んだ。彼の顔は分からないし、思い出せない。それでも俊が俊であることには変わらない。美緒は口を開く。
「私は死ぬまで、俊君と一緒にいたい」
そう告げると、俊は美緒の体に腕を回して強く抱きしめていた。ずっとこうしていたいと思うほど、彼の胸の中は心地が良かった。
「もう離れたりしない、絶対に。美緒の事は俺が守る」
その誓いの言葉は、そっと優しく美緒の頭に染み渡っていった。