「よし! こういうときは楽しい話しよう」

 桜井月は不安な空気を吹き飛ばそうと満面の笑顔を見せた。

「桐島さんって音楽好きなの?」

 なぜ返事が返ってくるはずのない相手に話しかけたのか。もちろん空気はしんと静まり返った。

「いつも家でヘッドホンしてるから音楽でも聴いてるのかなって。違った?」

 何度無視され続けているか分からない。

 それなのに、返答がなくてもめげずに話しかける彼女は打たれ強かった。

 桐島は岩壁に頭をつけたまま無表情で一点を見つめていて、すっかり心を閉ざしている。あれでは答える気もない様子だ。

「歌ってたじゃん」

 そんな彼女に痺れを切らし口走っていた。

 彼女の表情が動く。信じられない、とでも聞こえてきそうなほどひどく驚いた顔で大きく目を見開いた。

「ビーチで気持ちよさそうに歌ってたと思ったけど?」

 わざとらしく大きな声で言葉を投げかける。

 桐島はみるみるうちに顔を赤くしていき、ぎろりと睨みつけてきた。

「桐島さんって歌うの? え、聴きたい」

 空気なんて読む気もない桜井月は自分の興味に素直で、構わずぐいぐいと彼女のテリトリーに踏み込んでいった。

 最大の秘密をばらしてしまったようだ。

 唇をかんで鼻息を荒くする桐島を見て、俺はゆっくり目を逸らした。